第26話 ロゼッタ・コロンは最初から落ちていた

 五時間目と六時間目のテストも無事にこなし、気が付けば放課後である。

 あとは進路指導室でアイリスに魔法を教える以外に、何もやることがない。

 

(コーチングのついでに、二~三回抱いてやるか)


 カイルは鞄を肩にかけ、ガラリと教室の戸を開けた。

 すると廊下の向こうに、なにやら人だかりができているのを見つけた。


「うお……っ。超かわいい」

「尻尾くるんってなってる! 持ち帰りたーい」

「ちっちゃいなあ。何歳くらいだろ」


 いつも騒がしい男子だけでなく、女子までもが騒いでいる。

 皆が中庭を食い入るように見つめているようだが、何事であろうか。


(子犬でも紛れ込んだか?)


 この様子だと、小動物か何かが迷い込んだのかもしれない。

 魔王討伐の役に立つとは思えないし、カイルにとってはどうでもいいことだ。

 人ごみをかき分け、早歩きで進路指導室へと向かう。


 が、しかし。

 窓の外を横切った影を見て、ぴたりと足が止まる。


 ……馬鹿な。

 試験期間中に編入してくることはないと、アイリスが言っていたではないか。


 カイルは窓から身を乗り出して、その小柄な姿を凝視した。


 身長一四〇センチメイテル前後の少女が、パタパタと尻尾、、を振りながら中庭を歩き回っている。

 青い髪は肩の長さで切り揃えられ、瞳は燃え上がるような真紅。


 青髪赤眼――まず人間族の外見ではない。

 しかも犬耳とふさふさした尻尾まで持ち合わせているので、一目で獣人族だとわかる。

 ただ他のパーツが人間族と一切変わらないためか、小さな女の子が仮装して遊んでいるような、何とも言えない愛らしさがあった。


 そう、少女はとてつもなく愛らしい。まだあどけない顔をしているが、将来の美貌が約束された整い方をしている。

 十人中十人が家に持ち帰って飼いたいと答えるような、治安を脅かしかねない愛嬌の持ち主だ。

 ……いや、かねないではない。これはとうに治安を乱しているのではないだろうか? どこからどう見ても幼女なのに、学院の制服を着ているのだから。


 犯罪だ、とカイルは失礼な感想を抱いた。


 割とここの制服は体のラインが見えやすい構造をしているのだが、少女の体に女性らしい起伏は見当たらない。申しわけないが、とても十五歳以上には見えない。どんなに高く見積もっても、精々十二歳程度の外見年齢だろう。

 だが、この犬耳娘の実年齢が十四歳で、しかも途方もない魔力を秘めていることをカイルは知っている。


 ――ロゼッタ・コロン。


 かつてのパーティーメンバーにして、いずれ大陸最強の魔法使いに育つ少女。

 それがどういうわけか、フラフラと学院を散策しているのだ。


 転入してくるとは聞いていたが、少々早すぎるのではないか?

 あと賢者カーライルはたかが一歳の飛び級くらいどうとでもなると書いていたが、これはちょっと無理があるだろう。事案だ。

 

 カイルは窓から飛び降りると、すぐさまロゼッタの元へと駆け寄った。


「……お前、やはりそうか。ロゼッタだな」


 青髪の獣人幼女……ならぬ獣人少女は、きょとんとした顔でカイルを見つめている。

 外見のせいで迷子の子供に話しかけているような気分になるが、年齢差は一歳である。

 まあカイルの精神年齢は転生前と合わせると三十四歳なので、そういった意味では逮捕案件なのだが……。

 

「……じーじ?」


 ロゼッタはすんすんと鼻を鳴らして、こちらに近付いてくる。

 犬系の獣人種はあまり目がよくないため、嗅覚に頼る癖があるのだ。


「……じーじ。じーじの匂いがする」

「じーじ?」


 ロゼッタはわけのわからないことを呟きながら、ひしりと抱きついてきた。

 見物中の男子達が、さっそく喚き始める。「またカイルかよ」「俺悔しいよ、なんであいつばっかりモテるんだよ」「いやここで悔しがったらロリコン疑惑が立つ」といった具合に。

 

「じーじとはなんだ?」


 カイルがたずねると、ロゼッタは瞬時に身を離した。


「……じーじの声じゃない。……もっと若い……?」


 なんだこいつは、とカイルは眉をひそめる。

 が、すぐにある可能性に思い至った。自分とカーライルは、匂いが似ているのではないか。

 

「……ごめんなさい。……間違えた」


 ロゼッタは両手を胸の前に持っていき、もじもじと身をよじらせた。

 どうやらこの少女にとっては痛恨の失敗だったらしく、かなり恥ずかしがっている。見ている側が恥ずかしくなりそうな赤面具合だ。

 

「お前の言うじーじとは、賢者カーライルのことか?」

「……ん……」


 ロゼッタは無言で首を縦に振った。


「そいつと会うことはできるか? ぜひ腹を割って話してみたい」

「……無理」

「なぜだ?」

「じーじは昨日、死んだ」

「何?」


 くらり、と眩暈のような感覚がカイルを襲う。


「死んだだと? 賢者と呼ばれるほどの男がか。死因はなんだ」

「……寿命。人間の男で七十七歳まで生きたんだから、長生きな方。でも、悲しい……」

「……人間、時間にだけは勝てないな」


 ここで悔しがっていても仕方ない。

 それならそれで、ロゼッタから故カーライルの話を聞き出せばいい話だ。

 カイルは獣人少女の肩に手を置き、視線の高さを合わせた。お前には聞きたいことがある――そう言いかけたところで、先にロゼッタが口を開いた。


「……貴方、なんでじーじと同じ匂いがするの? 貴方が指輪の継承者?」


 指輪? 首をひねっていると、背中に殺気のようなものを感じた。


(こんな時になんだ)


 ロゼッタも鼻をひくつかせているところを見るに、明らかによくないことが起きている。

 人間の数十倍の嗅覚を持つ獣人少女は、消え入りそうな声で言った。


「……オークの匂い。指輪に寄って来たのかも」

「オーク? それは確かか」

「……ん……」


 ロゼッタが頷いた瞬間、カイルの意識は切り替わった。

 学生のカイルは消え失せ、殺戮者としてのカイルが首をもたげる。


 どうして学院に豚野郎が紛れ込んでいるのか? なぜロゼッタが予定より早くやってきたのか? そんなのはどうでもいいことだ。


 オークが現れたのなら、それはただちに殺さなければならない。

 カイルはロゼッタに詰め寄り、


「場所を教えろ」


 とたずねた。


「……下の方……」


 下。

 カイルは少し考え込んでから、中庭に地下室があることを思い出した。

 なんだ、そんなところにいるのか。一匹残らず殺してやるよ。

 懐からダガーを取り出し、犬のように中庭を嗅ぎ回る。ロゼッタよりよっぽど犬らしい動きをしている。


(ここか)


 カイルは花壇の傍にあるチェーンを引っ張り、地下室への入り口を開けた。

 こうこうと放たれる冷気は、そこが異界と繋がっていることを示している。……戦場という名の異界へと。


 カイルは脇目も振らずに降下すると、閃光の魔法を唱えた。

 視界の確保は成功だ。

 

 ……それにしても、学院の敷地内にこんなダンジョン紛いの施設があるとは。おまけにモンスターがうろついているとなると、きな臭いものを感じずにはいられない。

 

(理由はなんだっていい。俺はただ殺すだけの存在だ)


 考えるのはレオナの仕事。正義や理性はあいつが担当すればいい。俺は強さを引き受ける。

 カイルは目を血走らせ、地下道をくまなく歩き回った。


 そして、見つけた。


 錆び槍を抱えた二頭のオークを。しかもかなりの大物だ。腰回りには人間の頭蓋骨をぶら下げている。……人食の残滓。

 カイルの怒りは一秒で沸点を超えた。

 

「ブゴオッ! ブゴオッ!」


 なんて醜い声なんだろう。なんて醜悪な種族なんだろう。主食が人間で、首から上が豚。殺したり奪ったり犯したりする以外に、何もすることがない怪物。


 お前達は生きるに値しない――


 カイルはダガーを投げ、左側のオークに命中させた。刃は、眼球に深々と刺さっていた。


「ブゴオオオオッ!?」


 仲間の悲鳴に驚いた右のオークは、闇雲に槍を振り回した。こんな狭い空間で、何を考えているのか。

 案の定、天井に得物を引っかけて身動きが取れなかったところを、カイルは再びの投擲で仕留めた。


 たった数秒の戦闘で得た、圧倒的なまでの勝利。

 カイルが虚脱感にも似た達成感を味わっていると、後ろから小さな足音が聞こえてきた。

 いかにも体重の軽そうな音……あいつか。

 

 カイルが振り向くと、やはりそこに立っていたのはロゼッタだった。

 あとをつけてきたようだ。


「……これ、貴方が殺したの?」

「そうだ」

 

 てっきり怖がるのかと思いきや、ロゼッタは目を輝かせている。


「……凄い……どっちも一撃で倒してる。じーじより若いのに、じーじより上手い」


 カイルは黙って聞いていた。

 

「……じーじは言ってた。一番オークを上手くやっつける人に、指輪を渡せって。その人が次のじーじだからって」

「次のじーじ? 俺がカーライルの後継者ということか?」


 ロゼッタはこくこくと首を縦に振る。


「……貴方の名前、聞かせて」

「カイルだ」


 ロゼッタは赤い目を大きく見開き、「素敵な名前。じーじと似てる」と嬉しそうに笑った。


「……やっと会えた……。新しいオーク殺しと、会えた……」

「何がなんだかわからないな。もう少し詳しく教えてくれ」

「……ずっと探してた。次のオーク殺しはもっと若くて、必ず英雄になる人だから……」


 カイルは問う。


「俺に何を期待してるんだ?」

「……私は、次のオーク殺しの花嫁になる」

「は?」

「……カイル、好き……」


 言うなり、ロゼッタは勢いよくカイルの胸に飛び込んだ。

 それから懸命に背伸びをし、首に手を回したかと思うと――


(こいつ……!?)


 幼い外見からは想像もできないほどの、大人びたキスをしてきたのだった。

 短い舌でカイルの口内をねぶり、体を密着させてくる。

 こんな平たい胸でも、当たると柔らかいらしい。少女の体というのは、不思議に満ちている。


「……ん……」


 ロゼッタが唇を話すと、二人の間に銀の糸がかかった。


「……カイル……吸魂の指輪、受け取って……」

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