第21話 マーキング
翌日。
カイルは何事もなかったかのように登校し、朝のホームルームを受けていた。
出席をとっている間、アイリスは何度も意味ありげに視線を絡ませてきた。
この調子だと、朝からできあがっているようだ。
(物欲しそうな目をしているな。帰ったら念入りにしごいてやるか)
女房役を自分に馴染むよう調整するのは、投手の務めである。
内角にコースを変えてストレートをぶつけ、キャッチャーミットをほぐしてやらねば。
変化球は……まだアイリスには早いか。
「今日から試験期間に入ります。文武に渡って厳しい試練が課されることでしょう。ですがA組の皆さんであれば、乗り越えられると信じています。……特にこのクラスは、カイル君もいますしね」
休み時間になると、教室中がアイリスの話題で持ちきりとなった。
先生の首筋にキスマークがあった、あれは何事だ、と。
試験などそっちのけである。
「彼氏いたのか……俺マジでショックだよ。卒業式の時に告ろうって思ってたのに」
「何言ってんだよ、あれは蚊に刺された跡だろ!? 清楚なアイリス先生に限ってそんな……そんなはずが……」
「今って十月だぞ。ついでに言えば首筋だけ三つも狙い撃ちな理由がわからん」
「お前は蚊を信じてないのか!? どうしてあいつらの頑張りをわかってやれないんだ!? 寒くても季節外れでも……それでも首をだけを狙って吸ったかもしれないだろ!?」
「そ、そうだな。俺が間違ってたよ。俺達が信じてやらなきゃ、アイリス先生が昨日男とよろしくやってたことになっちまうもんな」
「だろ? 多分夏になったら普通に手で叩いて殺すだろうけど、それでも今だけはあいつらを信じてやろうぜ」
アイリスのやつめ。
その気になれば魔法で痣を消せただろうに、わざとそのままにしてきたに違いない。
俺への当てつけか? それともレオナへの対抗心からか?
意外に思慮の足りない女なのだな、とカイルは呆れた思いでロッカーを開け、剣を取り出した。
一時間目は剣術試験である。屋外教練場へ移動し、剣の腕を採点されることになっている。
(未来のレオナ譲りの剣技があるのだ。余裕だな)
カイルが教室を出ると、そのレオナが腕を組んできた。
ぴたりと密着しながら、渡り廊下を歩く。
道中レオナは、
「先生を怒らないであげて」
とアイリスを庇った。
「あのキスマーク、ちゃんと理由があって残してきたみたいだから」
「いやにあいつの肩を持つな?」
「だって大概の女の子が同情する理由だし」
なんだそれは?
カイルは不思議でならなかったが、教練場へ着いた瞬間、何もかも納得した。
「アイリス先生……嘘だ……うひ、うひひひ……俺は悪い夢を見てるんだ……アイリス先生は処女……絶対に処女……あれは首フェチの蚊がやったことなんだ……」
剣術担当のバルザックが、肩を落として生徒達を出迎えたからである。
元々鳥のような奇妙な面をしている上に、今日は精神状態が不安定なのも合わさって、凄まじい人相になっている。
まるで出汁を絞り取られたあとの鶏ガラだ。
(そういえばこの男は、アイリスのスカートを覗こうとしていたのだったな)
ひょっとすると、職員室でしつこく声をかけるような真似もしているかもしれない。
アイリスがあえて交際相手の存在をチラつかせたのは、この男を諦めさせるためではないか。
カイルの予想は、見事に的中した。
「アイリス先生、前々からバルザックに付きまとわれてるみたい。かなり困ってるんだって」
一晩で随分仲が良くなったのだな? と感心しながらレオナの話に耳を傾ける。
「好きな人がいるって断り続けてたのに、信じてくれなかったらしくて。そんな時にカイルからマーキングしてもらったから、ちょうどいいと思ったそうよ」
修道院出身で美人となると、おかしな男に目を付けられやすいのだろう。
難儀なものである。
カイルは昨日自分の女になったばかりの女性に、深い憐憫の念を抱く。
(これは少し、あの阿呆男をこらしめてやらねばな)
剣術試験は、模擬戦の結果で採点が行われる。対戦相手は生徒の方から指名する仕組みだ。
訓練用のゴーレム、上級生、担当教師バルザック。後半になるほど難易度が上がり、勝利した際の獲得点数も上がる。
バルザックの腕前は、剣に関しては王都一と言われていた。
やつと腕試しをしたがる者は、誰もいない。
自殺行為とされているからだ。
人格破綻者なのは確かだが、人間族で唯一「剣聖」のジョブを授かった男である。純粋な剣技ならば、勇者以上と信じられている。
バルザックの剣技は二刀流で、王宮剣術を我流で磨き上げたものだ。
この時代の最先端を行く流派と名高いが――
「俺とやろう、バルザック先生」
「あ?」
カイルは、ためらうことなく王都最強の剣士を名指しした。
「聞こえなかったか? あんたと模擬戦をやって、最高得点を稼がせてもらう。まさか臆したんじゃないだろうな」
「……く、くひひ。クキャキャキャキャ。ビビる? 俺が? なんで?」
バルザックは両手を背中に伸ばし、大小二振りの剣を引き抜いた。
右手にロングソード、左手には小ぶりなソードブレイカー。形状からして、後者は防御に用いるのだろう。
「俺はここで仕事を持って八年目になるが、タイマンを挑まれたのは二回目だぁ」
有名な話である。あまり他人に興味のない、カイルの耳にも入って来たほどだ。
以前バルザックに模擬戦を挑んだ生徒は、両手両足を切断されたらしい。
外傷は魔法で簡単に治せたが、恐怖心は中々癒えるものではない。
その生徒は結局、実戦では足がすくんで使いものにならなくなり、学院を辞めたという。
「かわいい子だったなぁ……そう、アイリス先生と少し似てた。髪が長くて……スタイルがよくて……気品があって……えーっと、なんでそんな子が俺に決闘を挑んできたんだっけな?」
「お前が女子生徒をいかがわしい目で見るのを、やめさせるためだろう? 今でも語り草になっているぞ」
「あーん? なんだそりゃあ? 記憶にねーなー……綺麗な子を斬ったら、大体は覚えてるもんなんだが」
どうしてこんな変質者が教職を得ているのか、全くもって理解できない。
学院が実力主義なせいもあるだろうが、いくらなんでも限度がある。
「で、やるのか。やらないのか」
バルザックは焦点の定まらない目でカイルを睨みつけた。
対峙するカイルも正気の者とは思えない目をしているので、狂人同士の対決であろう。
「……お前、入学案内読んだ?」
バルザックは笑いを噛み殺しながら言う。
「本学院の生徒は、授業中にいかなる外傷を追っても、その責任を教員に求めないこととする。要するに俺は、ここで先公やってる間は斬り放題なんだなこれが」
「……いい趣味だな」
「だろ? 女子生徒を合法的に斬れるなんて、ここくらいだぜ? アヒャヒャヒャヒャヒャ!」
カイルは腰の剣をすらりと抜くと、中段に構えた。
「審判役は誰にする?」
短く問うと、魔法硬球部の男子達が「任せろ!」と名乗りを上げた。いつもの面々であった。
ちなみに、アイリスの件で蚊に熱いエールを送っていたのも彼らである。
「三本勝負だ、カイル。入試の時みたいなまぐれ当たりは期待するなよぉ、剣術授業で蹴り技は反則だからな。わかるか? お前の大好きな体術は使用不可能なんだぜ、格闘馬鹿の補欠合格者さんよぉ……」
またそれか、とカイルはため息をつく。
バルザックの前では魔法を披露したことがないため、格闘技だけが取り柄の生徒だと思われているらしい。
「そうか、蹴りを使うのは禁止なのか。それは助かる。実は足技が一番苦手なんでね、やらなくて済むならそれに越したことはない」
「……ああん?」
「入試の時は驚いたぞ。まさか俺にとって最弱の攻撃である、足蹴りで吹っ飛ぶ教師がいるとは思わなかった」
「……殺す! 殺す殺す殺す殺す殺す!」
おいおい、殺す連呼は俺の芸風なんだがな、とカイルは唇を尖らせた。
狂人キャラも口癖も被っているとしたら、もはや生かす理由はない。
カイルは切っ先をバルザックに向け、呼吸を整える。
……殺す。
「よし、先生もカイルも準備ができたようだな。……位置について……プレイボール!」
魔法硬球部の間違った合図と共に、模擬戦が開始された。
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