第15話 アイリス先生のいけない個人授業

「ちょっといいですか」


 ある日の放課後。

 カイルは「さあ帰ってレオナを抱くか」と教室を出たところで、アイリスに捕まってしまった。

 

「……個人的に話したいことがあります。来てください」


 担任からの呼び出しとなると、断るわけにもいかない。

 一度腹を割って話すべきだと考えていたし、ちょうどいい機会であろう。


 カイルは先に帰るようレオナを促すと、アイリスに案内されて二階の進路指導室へと向かった。


 進路指導室。

 仰々しい名前から立派な部屋を想像していたが、着いてみればこじんまりとした部屋である。

 必然的にアイリスとの物理的な距離が近くなるため、あとでレオナに怒られそうだな、などと考えてしまう。


「課外授業では大層な活躍でしたね。担任として誇らしく思います。……よく頑張りましたね」


 アイリスは椅子に座ると、両膝を揃えて脚を斜めにした。

 オフィシャルな場で女性が取る座法としては、この上なく礼儀正しい。

 が、妙に艶めかしく感じるから不思議だ。

 スカートの裾から顔を覗かせるアイリスの太ももは、むっちりと肉付きがよい。


「世辞が言いたくて呼び出したのか? 違うだろう」


 カイルはアイリスの脚に目をやりながら、腰を下ろした。

 人として恥ずべき行動のように思えるが、筋肉の付き方を観察しているのである。


(前世のアイリスはもっと鍛えていた。運動習慣からして違うのか、今回のアイリスは)


 これは鍛えるのに骨が折れそうだ、とため息をつく。

 アイリスはというと、「や、やめてください」と恥ずかしそうにスカートを引っ張って太ももを隠していた。


「……担任教師をそのような目で見てはいけません」


 そんなつもりはなかったのだが、羞恥心の類が壊れているカイルは「気を付ける」とぶっきらぼうに答えるだけだった。

 

「貴方は優秀な生徒ですが、生活態度で他の先生からクレームが来ているのです……今回はそのことで呼び出しました」

「バザロフか」


 アイリスはこほんと咳ばらいをして言った。


「カイル君が優秀な生徒なのは理解しています。魔法も勉強も運動も、何もかも完璧にこなせる。そんな貴方が補欠合格になってしまったとなれば、屈辱的に感じるのは無理もありません」

「それで?」

「貴方、学院側の姿勢に不満があるのでしょう? だから先生方に対しても、挑発的な態度を取るのですよね? ……わざわざ私の経歴を調べあげてまで揶揄してきたのも、私が嫌いというわけではなくて……教師全般が気に入らないだけ、なんですよね?」


 どうも話の流れがおかしい。

 カイルの生活態度に対して注意するはずが、「私のことどう思ってる?」に話題をすり替えようとしている。

 バザロフがどうのこうのというのは建前で、本当はこの質問がしたかったのではないか。


「俺は別に、教職者が気に食わなくてお前につっかかったわけじゃない」

「な、ならなんですか? 他に理由が?」


 カイルは言う。


「お前が気に食わなかったからだ。修道院から逃げ出すなど、言語道断だ」

「……そう、ですか……」


 露骨にしゅんとなったアイリスに、二の句をぶつける。


「稀にみる才能を持ちながら、それを腐らせているお前が気に食わない。お前はもっと上に行ける人間のはずだ」

「……?」


 アイリスは怪訝そうな顔をしていた。


「私に才能など……そういえば以前も似たようなことを言ってましたね、貴方は」

「お前以上のヒーラーなどいるものか。真面目に鍛えれば大化けするはずだぞ」

「……どうして言い切れるんですか?」


 転生前からの因縁を、わかりやすく説明するにはどうすればいいだろう。

 カイルは少し考えたあと、


「一目見た時から、そういう予感があった。運命みたいなもんだ」


 と適当にぼかした。


「運命……」


 アイリスは口元に手を当てて黙り込んでいる。

 どこかそわそわしているように見えなくもない。


「騙されたと思って、俺の指導を受けてみないか? 俺がお前以上の魔法知識を持っているのは、よくわかってるだろう。俺ならお前の潜在能力を引き出してやれる」


 そしてお前はまた俺の仲間になるのだ、と胸の中で呟く。

 魔王を刻み殺すための、精鋭部隊の一員として。


「……なぜ、そこまで私に執着するんですか? 課外授業の時も……おかしなことを口走ってましたよね」

「お前は特別なんだ。俺にとって」


 昔のパーティーメンバーなんだし。

 カイルの発言をどう解釈したのか、アイリスは頬を染めて下を向いてしまった。

 ん? ちょっと空気が変になったか? という感覚がなくはなかったが、カイルは黙ってアイリスの手を握る。


「な、何を……」

「言われた通りに詠唱してみろ。魔力のコントロールは俺が手伝う」


 カイルは四年後のアイリスが得意としていた、上級光魔法を唱えさせてみた。

 ディバインスフィア。聖なる光球で悪を滅ぼす、浄化の魔術。

 あとはこちらから体内に魔力を送り込んで、きっかけさえ作ってやれば……。


「あっ……!」


 やはりな、とカイルは口角を上げる。

 アイリスの手のひらから、光の玉が生成され始めたのだ。

 これを作れる時点で、体内に莫大な魔力を抱え込んでいる証拠となる。


「これ……私から出てるの?」

「そうだ。体の奥から湧き出てくるような感覚があるだろう?」

「……あります」

「お前の体は一級品だ。持ってるものが違う。他の有象無象とは器が違うんだ」


 きっとアイリスは、大きすぎる魔力を持て余しているのだろう。

 そのせいで魔法を制御するのが苦手なのだ。


 カイルが手を離してもなお、光球はアイリスの手の上に留まり続けていた。


「……信じられません。修道院じゃ一度もできなかったのに……」

「あそこにいる連中では、お前を扱いきれなかったんだ。誰もお前の素質を見抜けなかったばかりに、正しい指導を受けられなかったのだろう。間違ってたのはお前じゃない、周りの方なんだ」

「……わ、私……」


 並外れた才能を育てようと思えば、相応の知識と技術が必要となる。

 この時代の人間では、アイリスを指導するのは至難の業だろう。

 だが未来の情報を持つカイルなら、簡単にコーチングすることができる。

 

「お前は誰よりも強力な神官になれるよ。俺が保証する」


 アイリスはぽろぽろと涙を流しながら、己が作り上げた光球に魅入られていた。目が離せない、といった様子だ。


「どうだ。俺に弟子入りする気になったか?」


 鼻をすすりながら、アイリスはこくこくと首を縦に振った。

 奇妙な師弟関係が結ばれた瞬間だった。



 それからというもの、カイルとアイリスの個人レッスンが始まった。

 放課後になると二人で進路指導室に籠もり、魔法の講義を行うのだ。


 アイリスは持ち前の勤勉さを遺憾なく発揮し、メキメキと力をつけていった。

 乾いた砂が水を吸うように、ありとあらゆる魔法を習得していく。


「凄い……カイル君の説明はわかりやすいですね。私だったらこう解釈するだろうな、という表現を使ってくれるので、すんなり頭に入ってきます。こんなの初めてです。貴方、私なんかよりずっと教師の才能がありますよ」


 そりゃそうだ、とカイルは思う。

 二十二歳のアイリスに解説された時の言い回しを使っているのだから、十八歳のアイリスにとって理解しやすいのは当然である。

 ある意味これは、未来の自分に教わっているようなものだ。


「カイル君は恩人です。もっと早く貴方と出会っていれば、私には違う道があったのではないかと思えてなりません」

「今からでも取り戻せるさ」

「……そうでしょうか」

「俺はお前を信じてる。だからお前も俺を信じろ」

「そ、そういうこといきなり言わないでください!」


 この女教師、妙に俺を見る目が潤んできたな? と思いながらも、カイルはレッスンを続けた。



 アイリスを指導するようになって、十日目に入った。

 今や二人はすっかり打ち解け、にこやかな顔で世間話をしてくるまでになっている。

 今日は全体回復魔法について教えようか、とカイルが席に着いた途端、アイリスはペラペラと喋り出した。


「廊下ですれ違うと、バザロフ先生がお尻を見てくるんです。もう気味が悪くて」


 なにやら生徒に聞かせるべきではない愚痴を漏らしている。

 完全に頭が雑談モードに切り替わっているようだ。


「あとバルザック先生は私が話しかけると、わざとらしく剣の手入れを始めるんですけど、なんだか刀身を鏡代わりにしてスカートの中を覗き込もうとしているような感じがして……」


 よくわからないが、リラックスしてきたなら好都合である。気になっていたことを聞いてみよう。

 カイルはアイリスの目を覗き込むと、よく通る声で質問した。


「なんで修道院を辞めた?」

「……え?」

「なんで辞めたんだ。お前はそんなやわな女ではないはずだが」


 アイリスは一気に顔を曇らせた。

 その話題はやめにしませんかと目で訴えてくるが、ここで妥協するわけにはいかない。


「……私、昔からどんくさいですから。あまり先輩達に気に入られなかったみたいです」


 果たして本当にどんくさいせいかな? とカイルは思う。

 元修道女のくせにむんむんと女くさい外見をしているし、変に男にモテるし、そのへんが理由なのではと勘繰りたくなる。

 女だらけの環境では、一番目をつけられやすいタイプだろう。


 だが、それに耐えきるほどのガッツを持っていたのが、前世のアイリスだった。

 以前のアイリスが負けず嫌いだった理由は、なんだったか。


(まさか)


 カイルはある可能性に思い至る。

 

「お前、家族を亡くしたりしてるか?」

 

 アイリスはきっぱりと否定する。


「いえ? 両親も姉妹も健在ですが」


 ……それでか。カイルは全てを悟った。


「家族構成がどうかしましたか? 私に興味を持ってくれるのは嬉しいのですが……」


 前世のアイリスは、オークに襲われて家族を亡くしていた。

 八歳の時点で天涯孤独の身となり、敵討ちのために修道院に出家したのだ。

 以降、鬼の執念で修業を続け、大陸最強の神官と化したのである。


 ところが二周目のアイリスは、家族を失っていない。

 おかげで復讐心を持ち合わせておらず、覇気に欠けている。

 今回の世界で修道院に入ったのは、読み書きを教わるための、言わば手習い程度の動機だったのかもしれない。


(まさか俺が原因だったりするのか?)


 知らず知らずのうちに、本来アイリスの家族を襲撃するはずだったオークを殺していた……?

 馬鹿な。そんな偶然があるものか。


 第一アイリスの実家は、大陸の東端にあるではないか。

 北西部で生まれ育ったカイルが近隣で魔物狩りをしたところで、大した影響はなかったはずだ。


「どうしました? 先生の顔をじっと見て」


 カイルが見ているのに気付いたのか、アイリスが微笑を浮かべた。 


「いやなんでもない。少し昔を思い出しただけだ」

「そうですか。カイル君は時々、ここではないどこかに心を飛ばしているように感じます」

「まあな」

「……見てて心配になります。悲しそうにしてることも多いですし」

「よく観察してるな」

「カイル君は私のヒーローですから、注視するように心がけています」

「ヒーロー? 大げさだな」


 アイリスは笑う。


「ヒーローですよ。……本当に。貴方のおかげで、私はコンプレックスを解消できたんです。魔法がこんなに楽しいものだと思いませんでした」

「ふん。感謝の念があるなら、あとで恩返ししろよ」

「どうやって?」

「俺が卒業したら、教師を辞めろ」

「……え?」

「一緒に王都を出るんだ。俺について来い」


 カイルは勇者に任命され、戦力となりうる仲間を集めきったら、すぐにでも魔王討伐の旅に出るつもりだった。

 アイリスは、新たなパーティーのメインヒーラーとなってもらう。


「……それは……。でも貴方には、レオナさんが……」

「あいつは置いていく」


 もう死なせたくないから。レオナは冒険者にさせず、町に待機させる。

 恋人を思うがゆえの台詞だったが、アイリスはなんだか妙な解釈をしたらしかった。

 苦しんでいるような、嬉しがっているような、判断に困る表情をしている。


「……貴方って人は、どこまで……」

「いいだろう? お前がいないと駄目なんだよ俺は。機能しないんだ」


 狂戦士のジョブは負傷が多いので、回復役を侍らせる必要がある。

 高レベルの神官は生命線と言っていい。アイリスがいないと、戦力的な意味で駄目だ。

 カイルが力強く見つめると、アイリスは困ったように目をそらした。


 が、少し迷うようなそぶりを見せたあと、どこか上気したような顔で目を合わせてきた。


「カイル君は悪い人です」

「だろうな」


 平気で魔物を虐殺するしな。肯定するカイルに、アイリスはいきなりしなだれかかってきた。

 長い黒髪が、カイルの顔にかかる。


「アイリス?」


 十八歳の女教師の唇が、カイルに重ねられる。

 レオナとは違う、少し大人びた味がした。

 身にまとっている香りも、少女ではなく女のそれだった。


 アイリスの目から、涙の筋が伝い落ちる。右目の泣き黒子が、しっとりと湿り気を帯びた。


「……ごめんなさい……好きになって、ごめんなさい……貴方にはレオナさんがいるのに……私は教師で、貴方は生徒なのに……」


 言葉とは裏腹に、アイリスの口付けは情熱的だった。


「……貴方がいけないんですよ。カイル君が、私をこんな風にしたの」


 涙声で囁くと、アイリスはスーツのボタンをはずした。胸元をはだけ、深い谷間が露わとなる。


「アイリス?」

「……カイル君も脱いで。それとも、私に脱がせてほしいですか……?」

「アイリス……!?」

「……こういうの初めてだから、勝手がわからないです。……こっちも、先生に教えてください」


 何がどうなってるんだ? カイルは混乱の極みに叩き落される。こいつが俺に恋愛感情を抱くなど、前の人生ではなかったイベントだが……?

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