第10話 未来知識は魔法を改革する
カイルの混乱など知るよしもなく、アイリスはぎこちない動作で教壇に立った。
見るからに緊張している。
「み、皆さんの担任を務めさせて頂く、アイリス・ミステスです。一年間よろしくお願いします。今年教師になったばかりの新米なので、まだまだ気分は学生の側に近いと思います。気軽に話しかけてくださいね」
なんだこの茶番は、とカイルはバカバカしくなった。
あの武闘派神官が、なにゆえ教師ぶるのだ?
お前、俺と一緒にゴブリンを撲殺したりオークの首を撥ねたりしただろ?
「先生、スリーサイズ教えてください」なんて質問に顔を赤らめてる場合なのか?
もう我慢できない。カイルは勢いよく立ち上がると、アイリスに疑問をぶつけた。
「何を考えている?」
「……はい?」
アイリスは脇に挟んでいたボードを取り出し、かぶりつくように見入っている。
あれで名前を確認しているのかもしれない。
「受験番号200……カイル・リベリオン君ですね。どうしました? 先生に何か質問ですか?」
「なんでお前が学院にいる。修道院はどうした?」
「……どうして私の前歴を知って……あの、誰かに聞きました?」
アイリスはきゅっと下唇を噛み、俯き加減で言う。
「……確かに私は去年まで修道院で修業していましたが、それが何か」
「修業を切り上げたのか? お前ともあろう者が? ……何があった?」
いずれ大陸一のヒーラーに育つ人間が、女教師なんぞをやっているのだ。声の一つも荒げたくなる。
カイルが人を殺しかねない目で凝視していると、アイリスは毅然とした口調で答えた。
「……貴方に答える義務はありません。着席なさい、カイル君」
絞り出すような声だった。あまり気の大きくない女性が、虚勢を張っているとしか思えない話し方だ。
この先生泣くんじゃないか、という不安が教室を覆い尽くし、一気に緊迫した空気が流れる。
「どこで私のキャリアを聞いたか知りませんが、今時転職なんて珍しいことでもなんでもないでしょう。……逃げ出したように感じられて信用できないかもしれませんが、この一年で貴方の信頼を勝ち取ってみせます」
信頼ではなく、敵の首を勝ち取ってほしいのだが。前衛寄りヒーラーとして。
カイルは納得できない、という顔で椅子に座り込んだ。
自分が一周目とは違う行動を取ったせいだろうか? この世界はどんどん予想もつかない方向に進んでいる。
「私の担当科目は光魔法です。……さきほどカイル君がバラしてくれましたが、以前は修道院に身を置いておりました。そこでみっちりと魔法の基礎を学んだので、安心して授業を受けてくださいね」
にっこりとアイリスが微笑むと、男子達が「はい!」と声を合わせた。
女子の方は、訝しむような目で見ている。この女は信用に値するのか、と値踏みしているようだ。
(ふざけるなよ)
そしてカイル一人が、頭を抱えて苦悩していた。
今後四年間、アイリスより強力な回復役は現れない。それは前世で嫌になるほど見てきた、確定した未来だ。
魔王をブチ殺すためには、絶対にこの女を冒険者に仕立て上げなければならない。
だが、どうやって?
せんせー、魔王倒しに行こうぜーでホイホイついてくるとは思えない。
しかも今のアイリスは、十八歳にして修道院から足を洗っているのだ。
これではせっかくの才能をドブに捨てているようなものだ。
なぜならアイリスは、遅咲きの神官なのだ。
本格的に能力が開花するのは十九歳からなのである。
最低でもあと一年は修道院と同レベルの修業を続けなければ、その高い潜在能力は埋もれたまま……。
(……俺が指導してやらねばならんのか?)
生徒の立場で、教師に物を教える。そんなことができるのだろうか?
カイルが一人で物思いにふけっていると、ふいに視界が暗くなった。
机の上に人の影ができているのだ。
顔を上げると、目の前にアイリスが立っていた。腰に手を当てて、大層おかんむりな様子だ。
「カイル君、今の聞いてました?」
「何がだ」
「やっぱり。……貴方は私に含むところがあるようなので、集中的に指導させて頂きます。教師としての私を認めてもらいますからね」
アイリスはツカツカと教壇に戻ると、教鞭で黒板を叩いた。見なさい、と言いたいらしい。
「これは共通語に訳していない、光魔法の術式です。原文だと一行も読めないでしょう? ですが私は読めます。……貴方達一年生には、教師の導きが必要なの。だから私の話をよく聞いて」
「それ、間違ってるな」
カイルは黒板を指をさし、術式のミスを指摘した。
文字列を眺めた瞬間、ピンときたのだ。古い知識で書いているな、と。
カイルは未来の知識を持っている。
途中で修業を放棄した、未熟者のアイリスなんかに後れを取るわけがない。
(そうか。この時代はまだ光魔法と雷魔法が混同されてるんだったな)
カイルは来年発見されるはずの魔法技術を、すらすらと語り出す。
「アイリス。電撃系統の攻撃は、いずれ雷属性として独立するぞ。書いていて不自然だと思わなかったのか? 一度雷系の術式を外して、光系統のみで計算してみろ。より威力が向上するはずだ」
「何をおっしゃって……?」
「いいから言われた通りにやるんだ。触媒の演算が障害になってるんだろ? そっちは無視していい、代わりに記号でも代入しておけ」
アイリスは不審そうな顔をしているが、否定はしてこない。
迷っているのだろう。
「そのまま直感に従え。お前だってずっと光と雷を区別するべきと思っていたはずだ。修道院の連中は誰も信じてくれなかっただろう?」
「……貴方、どこまで私のことを把握して……?」
「やれよアイリス。お前は正しい。異端なんかじゃない。俺は知ってるんだ」
そうとも。
一周目の世界で光魔法と雷魔法を差別化したのは――他ならぬアイリスなのだから。
本来の歴史であれば、一年後に独学でこの術式を見つけ、一躍最強のヒーラーに成り上がるのだ。
異端と蔑まれようとも研究を続け、修道院にしがみつき、自力で這い上がった奇跡の神官として。
(なのに、どうして学院なんかに逃げ込んだ……。俺は前世のお前を尊敬してたんだぞ)
カイルはたまらず机を殴りつけた。
あまりの迫力に気圧されたのか、アイリスは困り顔で右手を動かし始める。チョークを滑らせ、黒板に新しい術式を書き記していく。
八割ほど計算が済んだところで、アイリスの指が止まる。
「……嘘。これって……」
やればできるじゃないか、とカイルは頷く。
アイリスの書いた文字列は、間違いなく光魔法の革新を告げる内容である。
「そんな……カイル君は一体どこでこんな知識を……? ううん、それよりも……」
本当にこの公式が成立するなんて、とアイリスは唇を震わせていた。
「修道院では散々に虐められたんだろう? 誰もお前の話を信じてくれなかったんだよな? それが嫌で逃げ出したのか」
「……貴方、何者なの……?」
「お前の素質を、お前以上に評価している者だ」
アイリスの目には、光るものがあった。今までよほど酷い仕打ちを受けてきたのだろう。
「――じ、自習にします」
アイリスは両手で顔を覆うと、堪えきれないといった様子で駆け出していった。
一年A組のカイルは入学初日に担任を泣かせたらしい、という伝説が誕生した瞬間だった。
「おいおいおいおい。マジかよカイル。俺ら今、歴史的瞬間に立ち会ってるんじゃないの? あの術式って世紀の大発見的なやつだろ?」
「あいつ、ピッチングだけじゃなく勉強もできるのか……キャッチャーもいけるだろこれ」
「俺もう中退しようかな。勝てる気しねーし」
「俺も実力差を感じて退学届書いてたんだけど、走り去っていくアイリス先生の乳揺れ見たら全部どうでもよくなったわ。カイルは凄い……それでいいじゃないか。クラスメイトなんだから応援してやろうぜ! 俺はカイルがどこまで伸びるのか見届けたいから、三年間ここに通うよ」
「嘘つけ。お前が見たいのは先生の乳だろ」
しょうもない騒ぎ方をするクラスメイト達を尻目に、カイルはレオナの顔を眺めていた。
最愛の少女は、穴が開きかねない勢いで黒板の一点を見つめている。
雷魔法を得意とする人間からすると、何か思うところがあるのだろうか?
視線に気付いたのか、レオナはくるりとこちらを振り返った。
「あとで話があるわ」
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