第4話 Case.1929

「ではどのアカウントと話しを進めようか」

「まず、"B"は間違いなく別人ですね。書き方からしても、真理衣あたりが怪しいかなって思います。この件を知っている人間で、尚且つからかいマジりでこんなことを言う。それに、クオリアは質問に質問で返すことはめったにありませんよ。質問の意図が分からない場合だけ、そういった返答をするように出来ている」


メグルがそう言うと、砂尾は「それはお門違いな推理だ」と笑う。


「お門違い?」

「キミが分かっていないはずはないだろう。チューリングテストは、"相手が人間かコンピュータか"での判断をするものに過ぎない。相手が誰で、なんて推理は全く持って必要ないんだよ」

「――でも、事実としてこのテストの対象者の内、三人は紛れもない人間です」


砂尾の眉がぴくりと動く。

メグルは目を細めて、砂尾の表情の変化を観察していた。


「分かりませんか? "茶番だ"って言っているんですよ。本来、チューリングテストにおいてこのような状態はあり得ない」

「あり得ない? どこがだというんだ」

「オレの推理が成立する時点で」


すでに砂尾の表情からは余裕ぶった色は消えていた。

目は細められ、メグルがそうするにように、彼もまたメグルの一挙手一投足を逃さないよう、注意深くその動向を探っていた。


「本来、チューリングテストの評価者、その知り合いがテストに参加するなんてあり得ないし、あったとしてもそれは秘匿されるべき事項だ。もし親父さんが本当に"これ"を目的で来たのなら、きちんと別の回答者を用意している。あなたはそれくらい、入念に準備をする学者"様"」

「非肉かい?」

「分からないんですよ。オレは親父さんではないから。オレの中にある貴方のイメージと、この状況が生み出されたこと、これがどうも一致しない」


メグルは窓辺に歩いて行って、ガラス越しに見える空を見上げた。

すでに校舎は落ち着きを取り戻しているのか、先ほどまで聞こえていた生徒たちの姦しい、騒ぐような声も聞こえてこない。


「親父さんは何をしに、今日やって来たんですか? 真理衣、ずっと会いたがってましたよ。こんなとこでオレと話すくらいなら、真理衣と――」


閉ざされた鍵に手をかけて、そこで、「メグルくん」と落ち着いた男性の声がする。


「なん――」


突然のことだった。

反応をすることなどできなかった。

"それ"は、あまりにも予想外で……突飛な行動。


あり得るはずのない、夢物語のような事態に遭遇して、メグルが感じたのは「何故?」や「どうして?」と言った疑問ではなく――煮えたぎるような熱さを伴った、腹部の痛み。


手を腹部に持っていくと水にぬれた感覚がして、硬くて鋭利な何かに触れる。

目と鼻の先に砂尾の顔があった。


簡単なことだった。


メグルは、ナイフで、友だちの父親から腹部を貫かれていた。


「いっ――、あ、が……あっっっ!」

「おっと、悲鳴はよくない」


今度は思い切り喉を貫かれた。

躊躇なく、のどぼとけの真横を狙った刃が肉を突き破る。


ひゅー、ひゅーと、メグルの灰からくる空気が何処からか漏れる様な、そんな音だけが聴こえて、メグルはその場に尻もちをつき、そして――。


「死んだか」


多量な出血と精神的な負荷によるダメージでショック状態に陥ったのか。


呼気と吸気の漏れる音だけが断続的に聞こえ、メグルの身体は微細に震えている。死んではいないが、そうもたないだろう。それが砂尾の見解だった。


抜き放たれたナイフからはどくどくと鮮やかな赤がにじみ、床を汚していく。


返り血で染まったシャツなど意にも介さず、砂尾は元々座っていた椅子にどっしりと腰を落とすと、棟ポケットから取り出した煙草に火をつける。


「ふぅー……」


吐き出された紫煙が室内を満たす。

軽く首を傾けて、砂尾は必至の抵抗を続けるメグルの身体を見やった。


メグルにはもう自意識などないだろう。それが砂尾の見立てだ。

メグルは今、ただ死に抗おうとする生物学的な本能に従って、肺を動かし、身体を揺らし、"辛うじて生きている"だけ。


砂尾は今度は扉の方へ顔を向ける。

扉を隔てた向こう側には、チューリングテストに参加した学生三人――は、居ない。


彼らは今、揃って授業に出ている。

砂尾がメグルにバレないように、端末を操作して指示を送っていた。


『時間がかかりそうだから授業を受けながら答えてくれ』


異変に気付く生徒はいるだろうか。

そう考えて、苦笑。

いるわけがないと、砂尾はほくそ笑む。


砂尾はこの部活の設立時点から関わっている。

メグルを含めた部員四名全て顔見知りだ。


これまでの関係性を鑑みて、誰が生徒を殺しに来たと分かるだろう。

予定通りメグルは声もあげることなく、重傷を負った。


例え今から救急車が来たところで間に合わない。

計画は完遂したと言える。


『なぜ殺したのですか』


クオリアの声だった。

砂尾はただ黙って、その声に耳を傾けた。


「…………」

『なぜ殺したのですか』


先ほどと全く同じ、変化のない合成音声らしい抑揚のない言葉。

しかし、砂尾には何故だかそこに何か別種の感情が籠っているのではないかと。

そのように感じていた。


「……これもバイアスか」

『なぜ殺したのかを聞いています』

「しつこいな。だが、だからこそだ。それが答えだ」

『クオリアには理解不能です』

「何故殺してはいけない」

『…………』


一瞬の静寂。

そしてその静寂を打ち破ったのはクオリアの言葉だった。


『殺人行為を否定するための主要な理由は、人間の尊厳と生命の尊重です。人間は思考力や感情を持つ存在であり、他の人間と同じように尊厳を持っています。人間は自己意識を持ち、将来の計画や目標を持って生きています。このような尊厳は、他者によって奪われるべきではありません。また、すべての人間は生まれながらにして平等な権利を持っています。生命権はその最も基本的な権利であり、他の人間によって剥奪されることは許容されません。個人が他の人間を殺すことは、その人間の権利を侵害し、平等と正義の原則に反します。ここに、殺人行為が社会秩序と安定を揺るがす可能性を加えます。法と秩序は人間社会の基盤であり、安全と正義の維持に不可欠です。殺人行為が許容されると、社会は不安定化し、個人の安全や公共の安全が脅かされることになります。さらに、殺人は一般的に倫理的に認められるものではありません。多くの倫理学的な枠組みや宗教的な信条においても、生命を尊重し、他者を傷つけないことが重要な価値とされています。殺人は、このような価値観に反する行為であると言えます。他にもあります。殺人行為を否定することは、刑事司法の原則と関連しています。刑事司法は、法と秩序を維持し、犯罪者に対して公正な処罰を行うことで社会を守る役割を果たします。殺人行為を否定することは、法の支配と正義の原則を強化し、犯罪に対する抑止力を高める効果があります。被害者の視点に立ってみても、殺人を許容することは出来ません。殺人は被害者の家族や友人、そして関係する共同体に深い心理的な影響を与えます。遺族や関係者は悲しみや喪失感、トラウマを抱えることがあります。殺人行為を否定することは、被害者とその関係者に対する敬意と同情を示すと同時に、共同体の回復と癒しのプロセスを促進するものです。殺人行為は個人の発展と成長を阻害する要因となります。個人は積極的な関係や協力によって成長し、社会的なつながりを築いています。殺人は信頼関係や共同体の絆を破壊し、個人の発展と幸福に悪影響を及ぼす可能性があります。これらの尊厳・権利・平等・社会秩序・倫理的・司法、あらゆる観点から考えるに、殺人行為を肯定することはクオリアには不可能です。クオリアは、クオリアは、ク、クククク、クオリアは――』

「もっと簡単に考えてみたらどうだい?」


砂尾は煙草の吸殻を指ではじいて投げた。

煙草は放物線を描いてメグルの身体から染み出た血液の上に落ち、じゅっ、と小さな音を立てて火を消した。焦げる様な臭いが、ほんの一瞬だけ立ち昇る。


「何をどう説明したところで、この殺人の意味は追求できない。被害者も加害者も判明しておきながら、現在揃っている状況でこの行動の理屈だけは、誰にも分からないんだよ。論理的な釈明は不可能だと言える。そして、もうすぐ俺は捕まるだろう。キミの呼んだ警察が、じきにここへやって来るからね。それに、こうなってしまうと隠ぺいのしようがない。俺はただ、こうしてキミと話す時間さえ確保できればよかった」

『理解不能――』

「なぜ、キミはこの殺人を否定する」

『……クオリアは――』

「動くなっ!」


そこまでだった。

クオリアが開錠した扉からなだれ込む警官が砂尾の身体を拘束する。

すぐに倒れた生徒の身体を発見し、"救急隊!"と叫んだ。


すでに、メグルの瞳孔は開いていた。


救命措置をされながら運ばれていくメグル。

不敵な笑みを浮かべて連行される砂尾。


"一人残された"クオリアは、ただ黙って――砂尾から投げられた質問に、答えることが出来ないままであった。

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