ポンコツ人工知能は少年と恋する夢を見るか?
駆け出し作家T
Prologue Case.1929 Qualia
第0話 上国高校人工知能研究部――"AI研"の日常
『べ、別にメグルくんのことなんて……すきなんかじゃありませんからっ』
"クオリア"の一言は、元々静寂に満ちていたはずの室内の空気をさらに固く、静かなものへと変えていた。
中央の机に置かれたノートパソコンに注がれていた視線は、ゆったりとした速度で同じ方向を向いていく。
「ぶふっ」
女子生徒のそんな笑い声が響いた。
途端に時間は流れ出し、我を取り戻した名高輪(なたかめぐる)は、自分を除く三人の視線が己に向いていることを知る。
眉間に皺をよせ、頭を抱えるように首を垂れた。
「名高くん」
「はい」
部屋の隅で椅子に座り、膝に乗せた小説に目を落としていた少女――同級生からかけられた声に、メグルは即座に反応して顔を持ち上げる。
少女の、眼鏡越しに見える瞳はこれ見よがしに細められ、"これは汚物です"と言わんばかりな様子でメグルのことを映していた。
「とりあえず、キモイ」
反論のしようがなかった。
"クオリア"の深層学習(ラーニング)は基本的にこの場所で行われている。
そしてその内容に関しては開発責任者であるメグルに一任されていた。
ノートパソコン全面で揺れるオーディオスぺクトラムの向こう側。
そこに居る"彼女"は、殆ど多くの時間をメグルと共に過ごしている。
であれば"クオリア"の言動に対する一切の責任はメグルにあると言って過言ない。
「まあまあ双葉ちゃん。メグルだって悪気があるわけじゃないって」
そう言って立ち上がったのは、メグルを除いて室内に居る唯一の男子生徒。
彼は隣に座るメグルを見下ろして、磨かれた白い歯を見せつけた。
「そうだよね? クオリアちゃん」
『はい。クオリアは日中、一般的な高校生男子の好む女性像を学習しました』
「ほうほう。それでそれで?」
『男性は先ほどのように、本心とは真逆の言葉を、照れ交じりの口調で話す女性に心惹かれます。そういった女性を指す『ツンデレ』という単語があり、かつて存在した匿名掲示板で成人ゲームのキャラクターの性格を『ツンツンデレデレ』としたことが起源であるとされています』
「なるほどなるほど。確かに、ツンデレ好きな男って多いイメージあるね。……で? メグルもツンデレ萌えだったわけ?」
「初めて言われたよ」
メグルはこれ見よがしにため息をついて、ちらりと視線を巡らせた。
部屋の隅に座る双葉(ふたば)はすでに視線をひざ元へ戻し、読書に集中。
対面に座る真理衣(まりい)は両手で頬杖をついてニタニタと笑っている。
一見すると事態を収拾させようと動いたようにも見える愛人(あいと)は、当然この事態を面白がってかき乱すつもりしかない。
「クオリア」
メグルはそう呼びかけると、続けて「この世の男全てがツンデレ萌えというわけじゃないからな」と、幼子に言い聞かせるように優しく言った。
『違うのですか?』
「ああ違う」
「あれ? でもめぐるんって昔からツンデレ幼馴染が性癖じゃなかったけ? めぐるんの家にある漫画のヒロイン、だいたいがそんなイメージだけど」
「……勝手に読んだな。女子禁制だぞ」
「にしし。ベッドの下なんて分かり易いところに隠すからだよ」
真理衣はそう言ってべっ、と舌を出して笑った。
『そうですか。申し訳ありませんでした』
そんな中、"クオリア"は声色を変えることなく言った。
『参考資料内で、ヒロインが放課後の教室にて主人公に同様の台詞を言い、感情がときめいたとありました。メグルくんにもそうなっていただけると考えました』
「オレがツンデレ萌えだったら最高の展開だったけどな」
『インプット。メグルくんはツンデレ女子に恋をしない』
「ふふっ……それにしても最高に笑えるね」
「何がだよ」
「いやだってさ――」
隣で笑う親友に対してジト目を向けたメグル。
愛人は笑いこらえるようにして口元を抑え「やっぱりこのAI、すごいけど……"どっか"おかしいよね」なんて言葉を口にする。
「ま、"正しいAIの在り方"じゃないわな」
――クオリアのようなAI(人工知能)は通常、このような思考をしない。
それはこの場に居るメンバー……上国高校人工知能研究部の部員であれば、誰もが持つ考えでもあった。
・ライトノベルの中で男はツンデレ少女に恋をした。
・映画の中で男はツンデレ少女に恋をした。
・アニメの中で男はツンデレ少女に恋をした。
これらの事象と結果を重ね、「男はツンデレ少女に恋をするものだ」と導き出す。
これは俗に「帰納的(きのうてき)アプローチ」と呼ばれる考え方で、世に存在するすべてのAIは漏れなくこの「帰納法」を演算の中心として使い、人間のサポートをしている。
簡単に説明すれば、それは統計的に『概ね正しいだろう』という考えをもって動くということに他ならない。
「『三段論法』で話を組み立ててくるわけだし、確かにクーたんは変わってる」
真理衣の言った通り、それは『三段論法』と呼ばれる「演繹的(えんえきてき)アプローチ」の代表だった。
・「名高輪は男である」という大前提。
・「男はツンデレ少女に恋をする」という小前提。
・「名高輪はツンデレ少女に恋をする」という結論が導き出される。
「でも、クオリアちゃんの前提が一部間違っていた。だから『メグルはツンデレ女子が好きなんだ』なんて誤った答えが導き出された。そうなんでしょ?」
「少なくともオレは違う」
「クーデレ好き、ヤンデレ好き、他にもたくさんの性癖があるけど……ツンデレ萌えはその中で一大派閥とは言えごく一部ってわけ? でもめぐるんがツンデレ好きって間違ってないと思うけど」
「オレの属性は"幼馴染"だ」
「……キモ」
遠くから矢のように飛んできた一言がメグルの心を刺し貫く。
ただ……それ以上にメグルの興味を掻き立てたのは、AIでありながら演繹的な思考演算をしてみせた、その奇妙な存在に向けられている。
AIはビッグデータへのアクセスを始めとして、膨大な情報を基に論理・統計・確率から「おそらく大体正しい答え」を導き出す電卓である。
これがメグルや部活動のメンバーのみならず、人工知能に精通した人間たちの共通認識だった。
ここに「前提が合っていれば必ず正しい答えを導き出す」演繹的演算処理は殆ど施されないし、あったとしてもそれは極めて限定的な状況下。
現状の技術で、人工知能が「演繹法」を中心に演算を行うのは不可能と言える。
かつてのAIはこの演繹的手法を軸に開発されていたらしいが上手くいかず、結果的に帰納的手法が今日のAI時代を創り出した――と、そんなことを書いていた本があったことを、メグルは思い出していた。
『つまり、メグルくんは女の子だというわけです』
「ぶふっ」
次いで【クオリア】から放たれた言葉に、真理衣は吹き出して、お腹を抱えてけらけらと笑い始めた。愛人も笑いを押し殺しながら顔をそむける。
首筋を撫でながら、メグルは「どうしてそう思った」と、そんなことがあるはずもないと思いながら聞き返す。
『メグルくんはツンデレ少女に萌えません。しかし男の子はツンデレ少女に恋をするものです。であるのなら、メグルくんは男であるという前提が間違っていたと考えました』
「ひひっ……最高っ! クーたん最高だよ! あーはっはっ! おもろっ」
「そっか……くくっ、メグルは女の子だったのか。いや、まいった。誰よりも身近にいたはずが、気がつかなかったよ……くくくっ」
「女装ものはストライクだけどな」
「キモ」
「…………」
メグルの返答にかぶさった冷たい声。
ぺらり。
双葉は顔色を一つとして変えず、本の頁を捲った。
『違うのですか?』
「まあ、事実としては違うな」
メグルはきっぱりとそう言い切った。
しかし――。
『根拠はありますか?』
「こ、根拠?」
そんな予想外の返答に言葉を失う。
『名高輪は男である』と示す絶対的な根拠。
考えてみたが、現状『男子である』と確定させるような証拠を、メグルは持ち合わせていなかった。
「あるでしょ。簡単なのがさ」
「あ?」
そこで声を上げたのは愛人だった。「睨まないでよ」冗談交じりでそう言いながら、愛人は人差し指を立てて提案する。
「メグルが男の子だとしたら、"ついてないといけないもの"があるだろ?」
「お前――」
続く展開を予期したメグルは慌ててその口を塞ごうとしたが時すでに遅く、真理衣は最上級の笑みを浮かべて事態を静観し、これまで遠くから「キモイ」という名の矢を射っていただけの双葉はこれ見よがしに眉間に皺を寄せ「軽蔑」という名の無言の矢を構え始めていた。
『クオリアは、メグルくんのち〇ちんを見たことがありません。結果、メグルくんが嘘をついている可能性も考えます』
「…………」
『見せてくだされば解決します』
そこからメグルに襲い掛かったのは、爆笑・嘲笑・冷笑の三重笑だった。
「にしし、クーたん最高っ!」
「あららあらら、っと。人工知能に何を言わせてんだか」
「……キモ」
"クオリア"は紛れもなく既存のAIとは一線を画す存在である。
そのことは周知の事実でありながら、このように常軌を逸した答えを出すことが往々にしてある。
本来人間の補助を目的として生まれ、人間と同じような思考形態で演算が可能であるという特性を持ち、しかし――。
「高性能なのは、間違いないんだけどな……」
それが【クオリア】への正統な評価だった。
『やはり、納得できません。メグルくんが女性である仮説をクオリアの中で棄却出来ず、クオリアの思考はとてもぐちゃぐちゃです。ち〇んちんを見せてくだされば解決します』
「娘が下品な言葉遣いになってしまってお父さん悲しいよ」
『ちー〇ちん。ちー〇ちん。ちー〇ちん』
「あまり大きな音量にしてそんな言葉を使うなって。誰かに聞かれ、た、ら……」
ガラガラガラ、とそんな音がして、メグルの背筋が凍ったように寒くなる。
真理衣はより一層顔をにやつかせ、愛人は最早呼吸すらもおぼつかないほどに笑い、そして双葉は一人頭を抱えてため息をつく。
部室の扉を開けたのはAI研の顧問である若い女性教師だった。
「あ、え、えっと……名高、くん?」
「あ、いやその、これは……その」
何か言い訳をと考えた挙句、しかしメグルの口から弁明の言葉が吐き出されることは終ぞとしてなく、顔を真っ赤にさせた担当教員は「誰にも言いませんっ!」と言って背を向けた。
「わ、わたし! 名高くんがっ……じ、自分の生徒が「人工知能に"おち〇ちん"って言わせる」性癖を持っていたなんて、だ、だれにも言いませんからっ!」
今日の晩御飯は何だろう。
目まぐるしく動く事態の中で、メグルはそんなことを考えていた。
そして、そんな風に「現状と関係のないこと」に思考を割く自分は紛れもなく人間であり、同時に――「"人間"と"恋"のこと」しか考えていない"クオリア"は、どれだけ優れた演算能力を持っていようと……人間足り得ない。
"クオリア"は一体全体、何者なのだろうか。
メグルはそんなことを考えていた。
「弱いAI」とも「強いAI」とも言い切れない、摩訶不思議な言動を繰り返す。
人間と「対話する」ことだけを目的としたチャットボットのようでありつつ、その思考は奔放でおよそ対話する人間の理解を超える。
「この――っ」
"クオリア"を表す為の言葉は膨大にあれど……この時、メグルの中においてそれはたった一つしかありえないものだった。
「超高性能な……"ポンコツAI"が」
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