第1話 ハンバーガーにピクルスは必要ですか?

「ハンバーガーにピクルスは必要だと思いますか?」

「はあ」


AI研の活動は毎日放課後に行われる。

活動とは言っても、その内容は"形容し難い"というのが正直なところだと、部長であるメグルは常々思っていた。


彼らの目的は"完全自立式汎用型人工知能"を完成させること。

そしてその成果が"クオリア"であり、人工知能にあるまじき思考パターンを取得した"クオリア"に深層学習(ラーニング)していくことが現在の活動内容でもある。


その為、彼らの部活動は放課後に集まって、ただ"クオリアと話すだけ"と。

突き詰めるとそれだけのことである。


「だから、聞いているんですか名高くん!」

「はい」


当然、監督する教師の必要性などない。

そもそも、AI研の顧問である町田統(まちだすみ)は生物学の教師であり、人工知能を始めとした「コンピュータ科学」への造詣は浅い。


あくまでAI研が活動する上で、便宜上の顧問でしかない。


しかしそんな町田は放課後になるや否や部室となっている「生物第二教室」を訪れると、迷いなくメグルの前の席に座り、件の謎の質問を投げたのだ。


「もう一度聞きます。名高くん。あなたは、ハンバーガーにピクルスは必要だと思いますか?」


――全く持って意味が分からない。


そう言い返したかったメグルではあるが、さすがに目上の、それも担任であり部活動の担当教師でもある町田にそんな態度を取れるわけもない。


メグルは知っていた。

何も、町田の奇怪な質問は今日が初めてではない。


町田は『あること』が起きると必ず、似たような質問を引っ提げて部室へやって来る。涙目で、憤りながら、大音声で「聞いてください!」と入って来る。


決まって、標的となるのはメグルだった。

しかし、それもまた必然であるとメグルも納得している。


仮にこの場に他の三名が居たとして……。


真理衣はけらけらと笑って真面目に答えない。

愛人は聞いている振りをしながらも上の空。

双葉に限っては相手にせずこれ見よがしに読書を始めるだろう。


どうしたものか――と、メグルが答えあぐねていると……予想外の声が二人の間に割って入った。


『クオリアは必要ではないと思います』


それはメグルと町田以外に居た第三者の声。

"クオリア"のものだった。


中央の机に置かれたモニタの画面上で、オーディオスぺクトラムが淡く揺れる。

町田は目をぱちくりとさせながら見つめ「ああそっか」と、ここがAI研であり、この言葉は彼女の生徒が作ったAIによるものであったことを思い出す。


「え、っと……クオリア、でしたっけ。こほん。あなたはハンバーガーにピクルスは必要であると。そうおっしゃりたいわけですね?」

『はい。人間の味覚を刺激する上で、重要な役割を持つものは"ギャップ"であると言われています』

「ギャップ?」

『甘いものを食べたら塩辛いものが食べたくなる。同様に、触感にアクセントを加えることで美味しさが増す。最近のミシュランでは、"冷たい"と"熱い"のギャップを楽しませる料理もあるとの情報があります。このように、人間の味覚を刺激する上で"ギャップ"は極めて重要な意味を持ちます』

「……つまり、クオリアさんはピクルスこそハンバーガーにおける"ギャップ"であると?」

『その通りです。ハンバーガーには多様な具材が用いられますが、シャキシャキとした触感を表すもの多くありません。ピクルスはお手軽に固い触感をプラスし、尚且つ酸味を付け加えることで更なる食欲増進が見込める食材となっています』

「う……」


メグルは察していた。


この反応を見る限り、町田は「ピクルスはハンバーガーに必要ない」立場であったこと。そして、クオリアの一見すると「論破のように見える何か」が、町田との交流における「地雷」であったことも。


「そんなこと――分かってるわよぉぉぉっっっ!」


町田はそこで、机に両腕をついて蹲ると、年甲斐もなくおんおんと泣き始めた。

さすがのクオリアも困ったのか、返答がなく、オーディオスぺクトラムは静止したまま微動だにしない。


「ありゃー? ダメじゃんめぐるん! すみちんを泣かしちゃ! ちっこいけど、アラサーだけど、女性向け匿名掲示板に張り付くような人だけど――仮にもあたしたちの先生だよっ?」

「アラサーで悪かったですぅぅぅ! どうせ私は婚期を逃したアラウンドサーティなのよぉぉぉっっっ! いいじゃないアラサーでもピクルスが嫌いだって! 何が「その歳で好き嫌いあるの引くわ。アレルギーじゃないんだろ?」よ! 食べなくたって死にゃしないわよこんちきしょぉ!」


廊下からやってきたのは真理衣。そしてその背後には背の高い愛人がいる。メグルは二人にジト目を送り、「この状況を何とかしてくれ」と訴えた。


「先生、また振られたの?」


愛人の言葉はグサッ、と大きな音を室内に響かせた――ような気が、メグルはしていた。

愛人と真理衣は泣きわめく町田によって行き、あれやこれやと声をかけながら慰めていた。


メグルは現場から離れ、机の端に位置する場所に移動して大きなため息をつく。


『メグルくん』

「なんだ」

『どうして町田先生は泣いているのですか?』

「そりゃ、お前の返答が間違っていたからだろ」

『間違い――』


人間とはかくも複雑な生き物である。

それはメグルが掲げる座右の銘の一つだった。


答えを欲していないのに質問をする。こんなこと日常茶飯事だ。

彼女らは単に「自分の話を聞いてほしい」だけであり、それは突き詰めると「意見に同調してほしい」に繋がる。


だから、あの場でクオリアが見事に町田の意見を真っ向から切って捨てたのは悪手で、メグルからしてみるとそれは「コミュ障」のやり口に他ならない。


――まあ、AIにコミュ強もコミュ障もないんだけどさ。


「ほらほら、鼻水啜って。で? どんな男に振られたの? どーせ、金目当ての禄でもない年下塩顔男子でしょ?」

「うぐっ、な、なんでそれを……」

「いい加減学習しなよ、先生。世の中には、先生みたいなのを"カモ"にする男がわんさかいるんだ。あ、僕は違うけどね。今度デートします?」

「ぐすん……生徒には手を出しません……」

「あらら、振られちゃった」

「アタシ思うんだけど、先生はもっと向こうから寄って来る人に狙いを絞るべきだって。先生って恋愛体質だから、いつも自分からじゃん」

「だって、だってだってだって! 好きになっちゃうんだもん!」


制服を着た生徒に頭を撫でられる、スーツ姿の教師。

そのやり取りを見るメグルの口元は、自然と綻んでいた。


「先生はさ、別に答えなんていらなかったんだと思うぞ」

『クオリアには分かりません。町田先生はピクルスの必要性をメグルくんに問いかけました。クオリアはメグルくんが返答に困っていると判断し、アシスタントAIとしての役割を全うしたと考えます』

「だとしたら、さっきも言ったけど"間違い"だったんだよ」

「冷たい返事」


――突然隣から聞こえた声に驚いて、メグルは身体を持ちあげる。


そこには部屋の隅っ子にある定位置に椅子を置いて座った双葉が居た。彼女はいつものように膝に置いた本に視線を投げている。


「珍しいこともあるもんだ。お前からオレに話しかけるなんて」

「…………」

「あ、いや。で? 冷たいって?」

「"キミの"AIはきちんとした答えを欲していると思っただけ。相手を何だと思っているの? ……電卓に"推し量れ"とでも言いたい?」

「…………」


メグルは目を細め、視線を窓から外へ投げた。

運動部の学生が集団となってグラウンドを周回して走っていた。

前を向いて懸命に走る姿もあれば、俯いて気だるげについて走る者もいる。

遠くで顧問と思しきジャージを着た男性が、ストップウォッチを片手にそんな彼らを見ていた。


――なるほど。そりゃそうだ。


「クオリア」

『はい』

「人間はさ、ただ「話を聞いてほしい」だけの時があるんだ」

『答えは必要ないのですか?』

「ああ。必要ない。ただ、聞いてほしいだけ。それって、例えば自分の感情の意味を整理したり、他にも……あれだ。自分は可哀想な人だからって、自分で自分を慰めてみたり。答えを求める質問ではなく、質問であることそれ自体が答えの場合がある」

『町田先生がそうであったのですか?』

「ああそうだ。町田先生はアラサーで、婚期を逃して焦っている。だからマッチングアプリで手あたり次第付き合って、金だけ引っ張られて、それですぐに振られてはああして泣きわめく」

「聞こえてますよぉっ!」


メグルはばつが悪そうな顔をして、声のトーンを落とした。


「……てな感じで、泣きながらも周囲の状況を深く観察している」

『だから、答えはいらないのですか?』

「だからって言うか……うん。それで、別れた理由を自分のせいじゃなく、相手のせいにしたくて。ああやって変な質問を投げて来る。いつものこと。日常茶飯事。所謂ルーティンワーク」

『インプット。人間は、質問に対して必ずしも答えを求めていない』

「…………」


それはたった今、メグルの口から吐き出された言葉。


しかし、それがクオリアの声として、人口の音声処理プログラムに乗って耳に届くだけで、メグルには「自分ではない誰かの声」のようにそれが聴こえていた。


――人間は、質問に対して必ずしも答えを求めていない。


メグルは握りこぶしを握っていた。

焦点の合っていない瞳は部室の床を映しながら、彼にしか見えない何かが水晶体の奥で蠢く。


――どうしてオレは"クオリア"を作ったのだろうか。

そんな自問を吐き出しかけて、止めた。首を強く振る。


メグルの瞳に映っていたのは、離れた位置で壮大なコントを繰り広げる三人の姿。


『メグルくん、クオリアから質問があります』

「ん……なんだ?」

『メグルくんはクオリアに言いました。「恋をしろ」と。誰でも良いから、「人間に恋をして学習しろ」と、そう命令しました。半年前、この部室で」

「そだな」

「あの命令もまた、結果を求めてのものではなかったのですか?』

「…………」


"クオリア"が生まれ、そしてそれがこれまで創ってきたどのAIとも違う特別な存在であると分かった時。


メグルは自然とそんな命令を下していた。

理屈はメグル自身にも分かっていなかった。


ただ、「なんとなく」

そうすることが、彼には正しいように思えていた。


『ああ。だから、その命令にこだわる必要なんてない』


そう答えるのが適切なんじゃないかと、メグルの心の中の誰かがささやく。

しかし、メグルの口から放たれたのはそんな誰かのささやきとは全く異なるもの。


「いや、違う。その命令はそのままでいてくれ。……誰かに、恋をするんだ」

『はい。では、これまで通り――クオリアは、メグルくんに恋をしたいと思います』

「いや、出来ればオレ以外の相手が望ましいんだけど」

『棄却します。クオリアには、メグルくん以外に恋を出来る相手がいません』

「……恋は、したくてするものじゃないんだけどなぁ」


メグルは頬杖をついて、再び視線を外へ投げた。

グラウンドでは生徒が一人、先生に怒られているところだった。

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