第2話 なつまつり

 優美と和解してから二日が経った。

「きゃー!」

 五名ほどの黄色い悲鳴がコートに広がる。

「和希せんぱーい!」

 女子テニス部員が、休憩時間に男子テニス部を覗いていた。

 先日台風はあったが、教師がブルーシートを被せていてくれていたので、被害は少なかった。

「おら!今は男子テニスがコートを使う時間だ!出てけ出てけ!」

 男子テニス部の一人である、鈴木正義まさよしが女子部員を追い払う動作をとる。

「何よ鈴木!良いじゃない少しくらい」

「駄目だ。お前らうるさいんだよ」

「なーにがうるさいよ。あんたらだって水希先輩見てはしゃいでんじゃん!」

「お前らと一緒にすんな!」

「あたしらだって、一緒にしてほしくないよ!」

「まあまあ佳子ちゃん。落ち着いて」

雪花せつか!だって、鈴木がいちいち突っかかってくるんだもの!」

 止めに入ったのは、佳子の同級生の風間雪花。

 正義と、反論してきた赤坂佳子はお互いに睨みあった。火花が飛び散っているのが見えた気がした。雪花にはどうすることもできなかった。

 男子テニス部の新本和希にいもとかずきと女子テニス部の高塚水希たかづかみきは、咲守の通う高校のベストカップルと呼ばれている。テニス部の憧れの人であり、テニス上級者である。男女ダブルスでは誰も勝てないとまで言われている。

「何をしているの?」

 鈴の鳴るような女性の声に、思わず振り返る。

「水希先輩!こいつがあたしらのこと追い払おうとするんです!」

「高塚先輩!こいつらが練習の邪魔するんです!」

 二人の声が重なった。正義と佳子はまた睨みあった。

「ごめんね邪魔して。皆はもう休憩時間終わりだから、いつもの坂に集まって。来ないとコートで練習している横で走り込みさせるよ」

「えー!ヤですそんなの!鈴木!あんた覚えてなさいよ!」

 走り去る佳子に、正義はあっかんベーをした。

「正義」

 背後から少し怒ったような声がして、恐る恐る振り返る。

「な、何でしょう?新本センパイ?」

「お前、遊んでたから校庭五周な」

「んなッ⁉で、でも!あいつらが悪いんですよ!」

「でも流されて喧嘩して練習さぼったのは事実」

「ぐうっ!センパーイ、せめて誰か道連れを……!」

 指を組ませて祈るように頼み込む。和希は呆れて、練習中の後輩に付いて行ってくれないかと頼む。

 初めに手を上げたのは光雅だった。

「光雅、行ってくれるのか?」

「勝手にさぼったので一人で行けばいいと思います!」

「裏切ったな光雅!」

 光雅はにししと笑った。

「俺が行きます」

 立ち上がったのは、正義の幼馴染である薄野誠すすきのまこと

「誠~。さっすが俺の親友!」

 近づいて来た誠の肩を組もうとすると、サッとよけられた。

「休憩しながらでいいから、無茶だけはしないように」

「分かりました。じゃあ行くぞ」

 先に行ってしまった誠を、正義は急いで追いかけた。

 ひと騒ぎ収まったところで時計を確認すると、十一時を回っていた。

「あ、光雅。もう十一時なったよ」

「え、もう?うーん……この試合終わったら帰ります」

 光雅は今日から三日間、午後一時からはお祭りに向けての最後の太鼓の練習を行う。



 夏祭りまであと三日。

 盆踊りの太鼓に立候補した光雅は、櫓の上で練習に勤しんでいた。

「もう少し音を合わせろ!」

 町長が声を張り上げる。

「はい!」

 太鼓の音が空へ響く。

「もっと腰入れろー」

「入れろー!」

「音鈍ってんぞー」

「ってんぞー!」

 聞き覚えのある声が、ヤジを飛ばす。

「うるせー!ヤジ飛ばすだけなら帰れー!」

「あ、帰っていいって。暑いし帰るか」

「やったー!」

「待って、帰らないでください」

 光雅は焦った様子で咲守と夏海を止めた。

「だって暇。光兄が来て、って言ったから来たのにー」

「来いって言ったり、帰れって言ったり、光兄はわがままだね」

「ねー」

 木陰のベンチで座っている二人は、特に何をするでもなく、のんびりと光雅の様子を見ていた。光雅は町長と共に練習へと戻った。

「咲兄は、今日はテニスないの?」

「午前中はあったよ。明日は一日あって、明後日は午後錬入ってる。でもその後は一週間休み」

「光兄は行くの?」

「午前錬だけね。午後は太鼓しないといけないから」

「そっかー、大変だねー」

 足をブラブラさせて夏海が言う。

「でも、夏美ちゃんも今年は屋台のお手伝いするんだろう?それも大変じゃない?」

「もっちろん!もうあたしもお姉ちゃんだからね!こんなこと大変じゃないよ!」

 去年までの屋台は、まだ危ないから、と何もできなかったが、今年はもうお姉ちゃんになるのだから少しはいいだろう、と手伝いをできることになった。津積家では毎年、射的を運営している。

「咲兄は何かするの?」

「俺は何も。いつも通り一般客として遊ぶよ」

「じゃあ、暇になったら一緒に遊ぼうね!」

 約束を交わして、夏海はどこを周るのか計画を話してくれた。

 その途中、咲守の背筋が凍った。冷たい風が吹いたようなものではない。もっと芯を凍らせるようなものだ。

 ふと夏美とは反対の方向を見やると、見たことのない少女が樹の隣に立っていた。中学生くらいのおさげをした女の子。

「……にい……」

 目が離せないでいると、虫の羽音で我に返った。

「咲兄!聞いてるの⁉」

 夏海の方を見て見ると、何やら怒っている様子だった。

「……ごめん。なんだっけ」

「もー!ちゃんと聞いててよ。まずはりんご飴を買うんだよ?」

「夏海ちゃんりんご飴好きだね」

「うん!大好き!」

 カリカリの甘い飴に、甘すぎないリンゴが丁度合う。他にはカメすくいにヨーヨー釣り。型抜きと綿あめ。やりたいことが多すぎて、お金と時間が足りるのか分からない。

 ただ待っているだけでは暇なので、光雅の練習が終わるまで、近くの川でザリガニ釣りをすることにした。アメリカザリガニを捕まえて、役場へと持っていけば、お駄賃がもらえる。辺りに落ちていた枝と、夏海の店からさきイカとタコ糸を買ってきて釣りを始めた。

 日本ザリガニよりアメリカザリガニの方が大きく、とげが付いているので、わりと見分けは付きやすい。釣れたアメリカザリガニは、水を張ったバケツへと入れる。

「咲兄はテニス以外に何かあるの?」

 釣りを始めて十五分。バケツには三匹のザリガニが入っていた。

「図書委員が入ってる」

 咲守の学校は図書委員が四人いる。夏休み中は一人五日程度当番が入っている。生徒は教師とともに図書室を管理する。

「咲兄はいつ?」

「お祭りの一日後」

「ふーん。じゃあ、その時はあたしも付いて行っていい?」

「別にいいけど、滅多に人来ることないから、暇だよ?」

 咲守の通う高校は全校生徒一五〇人ほど。ほとんどの人は親族の元へ帰ったり、旅行に行ったりしている。残っていても半分いるかどうか。その中から図書室を使う人はさらに減るだろう。

「別に手伝うわけじゃないよ。名前の辞書借りるの」

「辞書?」

「そ、赤ちゃんの名前決めるための辞書」

 津積家の赤ちゃんの名前は夏海が付けることになっている。ただ夏海はまだ小学二年生。多くの言葉、漢字を知っているわけではないので、どんな名前がいいのか、ずっと悩んでいる。

「お兄ちゃーん!」

 ザリガニを十匹ほど釣ったところで、風呂敷を抱えた優美に呼ばれた。彼女は歩きながら、咲守へと近づく。

「どうした」

「これ。お母さんがじいじのところに持って行ってって」

 中身はひじきの煮物とかぼちゃの煮っころがし。

「分かった。じゃあ行くか。夏海ちゃんはどうする?」

「咲兄のおじいちゃんは、今も病院?」

「そうそう」

 祖父の香坂静は九〇歳近くで、足腰がうまく動かせずに入院している。たばこの影響もあるのかもしれない。

「うーん。暑いから行こうかな」

「じゃあ光雅に一言言ってくるか」

 町長に一言断りを入れてから、光雅に祖父のところへ行くと伝えると、「絶対に戻って来いよ!」と、二度言われた。

 


 病院までは、小学校からは徒歩で三十分くらいかかる。山の中枢にある病院は、全てで四棟ある。祖父が入院しているのは一棟目の三階。

 行く途中に役場によって、ザリガニを渡してきた。

 真夏の空の下。山の病院の周りは、木々に囲まれているからなのか、下の町よりも涼しい。

「すみません」

「はーい。あ、こんにちは香坂さん」

 病院の受付で面会処理をして、三階へと向かう。香坂静という名前を確認して、病室へ入った。

「こんにちはー。じいじ、咲守だよ」

 病室に入ると、カーテンが閉まっている箇所が一か所あった。他のベッドは二つ。静は窓側のベッドに横たわっていた。

「おお、咲守。それに優美と……誰かな?」

 何度か会ったことはあるはずだが、もう数年前からボケが入ってしまっているせいなのか、夏海のことは覚えていなかった。それでも元気そうなので、咲守と優美は安心する。

「もー!また忘れちゃったの?あたし、夏海」

「そうかいそうかい。夏海ちゃん、よろしく」

 夏海はなかなか覚えてもらえない現状に、頬を膨らませた。いろんな人から、認知症でね、と言われても、夏海は理解できずにいた。

「今日は母さんから差し入れ。ひじきの煮物とかぼちゃの煮っころがし」

 咲守は風呂敷ごと引き出しの上に置いた。

「後で食べて」

「おお、おお。ありがとう。それにしても、優美は大きくなったなあ」

「美人になったでしょ」

「ああ、どこから見てもべっぴんさんだ。もういつ嫁に出しても問題ない。好きな男はいないのかい?」

 嬉しそうに微笑んでいた優美の顔から、表情が消えた。

「……好きな人、は……」

 優美の中に、ある人物が浮かんだ。兄とずっと一緒にいて、幼いころから一緒に育った彼。兄のように慕っていたが、想いはいつの間にか恋へと変わっていた。それに気が付いたのは、つい最近だった。

「え、いるのか?」

「えっ!いや、えっと。……いる、けど」

「どんな奴?同じ中学の?」

 咲守の問いに、優美は首を横に振る。

「わたしのことはいいの!それよりお兄ちゃんは?」

「えー、俺?今は別に」

 仲のいい異性はいるが、恋人にしたいかはまた別問題だった。

「じゃあ、あたしが咲兄のお嫁さんになる」

 目を輝かせて夏海が咲守を見る。

「あはは、ありがとう。気持ちだけ受け取っておくよ」

 咲守は少し嬉しそうに笑った。微笑ましいなと思う。

「ところで話は変わるが、今年の祭りの太鼓は誰がやるんだ?」

「今年は光雅だよ。覚えてる?」

 静は思い出すのに少し時間がかかった。

「寺の次男坊か」

「そうそう。あいつ自分から立候補したんだよ」

「あの青臭いガキにできるのか?」

「じいじ、なんで光雅には厳しんだ?」

「光兄、すっごく優しいよ?色々歴史教えてくれるよ?」

 光雅は確かに無茶をすることはあるが、目の敵にするように嫌う人物ではないと、咲守たちは思う。

「あの祭りの太鼓は、死者の魂が迷わないようにここに連れてくるための音だ」

 静の言う通り、お祭りの太鼓は、お盆に帰ってくるご先祖様たちのための太鼓だ。

「それに、あいつは将来寺を継ぐ一人なんだ。もっとしっかりしてもらわなくては困る」

「あら、弓削さんの所のお子さんは、皆さんとってもいい子ですよ」

 様子を見に来た介護士が言った。それでも静は納得いっていないようだった。

「あ、ナースさん。どうかしましたか?」

「何もないですよ。様子を見に来ただけ」

 介護士は三人分の椅子を用意してきてくれたようだった。

 静と駄弁っていると、いつの間にか一時間が過ぎていた。

「じゃあ、そろそろ帰るよ。じいじ、元気になったらまた釣りに行こう」

「そうだな。若いころは釣り名人と呼ばれたこの私が行けば、もう入れ食いよ」

「じいじそんなすごかったんだ。じゃあ楽しみにしてるね。またね」

 病院を後にするとき、静は静かに笑っていた。

 病院を後にして、小学校の校庭に戻てくると、光雅が一生懸命に練習している姿が映った。六時まで続く練習をただ待つだけでは退屈だと、家から宿題とおやつのお菓子をいくつか持ってきた。

 光雅が三十分の休憩に入ると、四人でお菓子を食べて、ジュースを飲んで、まるでピクニックに来たような気分だった。

 六時の鐘が鳴った。学校と町内放送と寺の音が重なる。

「よし!それまで!」

 町長の号令に、光雅の体から力が一気に抜けた。

「はー。つ、疲れた」

「今までよりもはるかに良くなってはいる」

「本当ですか⁉」

「ああ。後は微調整だな。二か月半あった練習もあと少しだ。頑張れよ」

「はい!」

 光雅は気合を入れて、櫓を後にした。



 お祭り当日。弓削のお寺が毎年主催するこの町のお祭りは、この町だけではなく、咲守たちの通う高校のある町の人々も毎年通う、大きなお祭りとなっている。

 小学校の階段下から伸びる一本の道の両脇に屋台が並び、その数八十店以上が出店することもあるという。

「咲兄!」

 呼ばれた咲守は、脚にしがみつかれてバランスを少し崩した。

「おっと。……ああ、夏海ちゃん」

 咲守から離れた夏海は浴衣を着つけていた。

「それ新しい浴衣?かわいいね」

「ありがとう。咲兄の新しい浴衣は恰好いいね」

「ありがとう。夏海ちゃんとこの屋台ってどこ?」

「あっち!」

 手を引っ張られて案内される。咲守と夏海は背丈の差が大きいので、自然に咲守の方の腰が低くなる。

 案内された屋台は、小学校から少し離れた場所にあった。

「こんにちは、渚おばさん」

「あら、咲守君。こんにちは。あ、夏海も一緒だったの。心配させないでよ」

「ごめんなさい、お母さん」

 眉尻を下げて反省する夏海を見て、隣へ座るように促す。

 お祭りは始まったばかりで、まだまだ人は少ないが、夕方にもなれば多くの子供たちがやってくる。お祭りの本番は六時半から始まる盆踊り。この時刻に一番人が多くなる。

 五時頃になると、続々と人が増えてくる。この町の学生。隣町の学生。時間のできた社会人。様々な人がやってくる。

「夏海ちゃーん!」

 射的屋台の手伝いをしていると、夏海の後ろから、ガバッとみかんに抱き着かれた。

「みかんちゃん!今年も来てくれたの?ありがとー!」

「向こうでみんな待ってるの。一緒にまわろ?」

 せっかくのみかんからのお誘い。だが、初めての屋台の手伝いをさぼるわけにはいかない。

 渚の方を何かを訴えかけるように、夏海が見つめる。

「行ってらっしゃい」

「やったー!ありがとうお母さん!いこ!」

「うん!行ってきます、おばさん!」

 少女たちは楽しそうにお寺方面へ走っていった。

「大丈夫ですか?」

 綿あめを片手に、咲守が渚に問いかける。

「大丈夫」

「俺、手伝いましょうか?」

「本当に大丈夫。子供たちには自由に遊んでいてもらいたいから」

 渚は辛そうにしつつも、どこか嬉しそうだった。

「咲守!」

 呼ばれて振り返ると、そこにいたのは、浴衣姿の和希だった。

「先輩、こんにちは」

「こんにちは」

 挨拶を済ませると、咲守は辺りを見渡した。

「どうした?」

「高塚先輩はいないんですか?」

「待ち合わせしてるんだけど、もう少し遅れるらしい。咲守は?」

「俺は一人で周ってます」

「なんか困っているようだったけど」

 先程のやり取りを見られていたようだ。

 和希が、何に困っているんだ?、と尋ねる。

「この方。近所に住む渚さんなんですけど。今妊娠中で、この屋台一人だと大変だと思って……」

「だから、大丈夫よぅ」

 弱々しく返事をする彼女の様子は、とてもそうには見えなかった。

「ふむ。では僕が代わりに店番をお手伝いしますよ」

「えぇ、でも……」

「つらそうな妊婦を一人にしておくわけにはいきませんから」

「でも、彼女さんは?」

「大丈夫ですよ。連絡はしておくので。咲守、今度は盆踊りの時にな」

「はい、また後で」

 咲守は射的屋を後にして、お寺のある方へと歩みを進める。少し行ったところの金魚すくいの屋台で、聞いたことのある声が聞こえてきた。

「おじさんもう一回!」

「お嬢ちゃん、もう七回目だぜ?もうやめときな。祭りはまだまだあるんだ」

「そうだよ。もう千円以上使ったよ?私のあげるからさあ」

「いや!自分で取らなきゃ意味ないんだから!」

 ムキになる女学生を、すぐ隣で遊んでいた小学生たちが、ポカンと見上げていた。大人たちも何かと足を止める。

「何やってんだ?赤坂、風間」

 咲守は呆れたように尋ねる。

「あ、香坂。あんたも来てたの」

「俺は毎年来てる。で、何やってんだ」

「ポイで金魚が掬えないの」

「それだけで騒ぐなよ」

 佳子はよほどムキになっていたのか、我も忘れて、泣きながら咲守の胸ぐらをつかんだ。

「だって!雪花は何十匹もとって!もう何回もやってるのに一匹も取れなくてぇ!もう引き返せないの!」

 咲守の胸ぐらを掴んだまま、ぐわんぐわんと揺らす。

「待て、落ち着け。さっき……焼きそばを……」

「佳子ちゃん、香坂君苦しそう」

 雪花が佳子の腕を掴むと、彼女は咲守を放して深呼吸をした。

「……ごめん。ちょっと落ち着いた」

「それなら、よかった」

 咲守は胸元を正して、浴衣を正す。幸いあまり着崩れはしていないようだ。

 屋台の店主と周りの人々へ謝罪を入れてから、お好み焼きを買って、三人で周ることにした。

「香坂、弓削とは周らなかったのね」

「あいつは太鼓で忙しいからな。それにしても、風間は金魚すくいうまいんだな」

 恥ずかしそうに俯いて歩いている雪花は、少し肩を震わせて返事を返した。

「うん。掬う系のものは得意なんだ。ヨーヨーも得意だよ。でも射的はできないんだよね」

 気恥ずかしそうに笑う。視線を交わすのが怖くて、雪花はすぐに咲守から視線を外した。

「赤坂」

「ふぁに?」

 水あめを舐めながら、佳子は尋ねる。

「食べ終わってからでいい」

「……ん。で、なに?」

 雪花には聞こえないように耳打ちする。

「風間って、俺の事嫌いなのか?」

「嫌いじゃないよ!」

 耳打ちしたはずの声は、しっかりと雪花の耳に届いていた。

「え、ごめん」

 日頃おっとりした性格の彼女からの切迫したような否定に驚き、思わず謝ってしまった。

「風間って俺にだけ目合わせないから、嫌われてんだと思ってた」

「ま、まだ。慣れなくて」

「……俺たしか、風間と一年の頃からクラス同じだったと思うんだけど」

 雪花は顔を伏せた。気まずいまま歩みを進める。嫌いではないのなら、目位合わせてもいいのではないかと、咲守の中でもやもやが募る。

「……嫌いじゃいないよ。むしろ……」

 雪花は小さな声で懸命に声を絞り出す。

「むしろ!すき、だから!」

 相手の返事を待っていると、とんとんと、肩をたたかれた。

「雪花、勇気を振り絞って告白してるとこ悪いけど、香坂はあっち行ったよ」

「……へ?」

 来た方へ振り返ってみると、咲守ともう一人、見知った顔を見た。

「誠、お前も来てたのか」

「俺もお前と同じで、毎年来てる。知ってるだろ」

「それもそうだ」

 誠と出会ったのはちょうど三年前。たまたまこのお祭りで出会って仲良くなった。目指している高校が同じだということで、仲良くなった。

「今回は正義いないんだ?」

「あいつは店の手伝い。今日は蕎麦の出前が多いんだと」

「なるほど。じゃあ、赤坂と風間もいるから、四人で周ろう」

「ああ、ありがとう」

「なーんだ。誠ちゃんはオレのことなんてどうでもいいんだなー」

 恨めしそうな声が後ろで聞こえた。誠は肩をたたかれて、飛び跳ねた。咲守も驚き軽く声を上げた。

「……な、なんだ、正義か。びっくりした」

「やー、ごめんごめん。誠もさー、悪かったから、さっさと出て来いよ」

 怖いものやビックリ系のものが心底苦手な誠は、咲守の背中の後ろへ隠れていた。

「……別に驚いてない」

「分かったから」

 誠は深呼吸をしてから、咲守の後ろから出てきた。

「いいなー」

 それを羨ましく見ていたのは雪花。

「あたしが驚かしてやろうか?」

「いいの⁉」

 食い気味な返答。佳子は一歩下がった。

「……冗談よ。大体あんた、びっくりとかホラーとか大好きで、そうそう驚かないじゃん。スプラッター大好き少女でしょ」

「う、うん……」

 お化け屋敷に行ったとしても、驚かない、抱き着かない、先頭を行く。そんな彼女には少々難しいことだった。今回の作戦は諦めて、素直に女の子らしい一面を見せようと決意した。

「咲守たちはこの後どうすんだ?」

 正義に聞かれて時計を見る。盆踊りの時間まではあと三十分ある。今咲守たちがいる場所から小学校の校庭まで約十分。屋台を周りながら戻ることになった。

 片手にあんず飴、もう片手にチョコバナナをもって、小学校の校庭まで戻ってきた。

 すでに準備は整っており、櫓の上には太鼓と笛が置かれていた。櫓にかけられた梯子を上っている人物が見えた。

「あ、光雅だ」

 梯子を上っていたのは、光雅と笛担当の同年代の女子。

 五分前になると、続々と人がやってきた。その中には見知った顔もあった。風間に一緒に踊らないかと誘われたが、咲守には他にやることがあった。弓削家の皆さんから、光雅をビデオカメラで撮っておいてほしい、と頼まれた。光雅の両親はお寺の方で仕事。姉と兄はまだ帰ってきていなので誰も撮ることができない。そこで白羽の矢が立ったのが咲守だった。断ることもできたが、特に断りはしなかった。たまにはこういうこともいいだろう。

 しばらくカメラを回していると、時間になったのか司会の挨拶が始まった。毎年おなじみの挨拶と、太鼓と笛の挨拶。それが終われば、死者たちを迎える盆踊りが始まる。

 地に響くほどの太鼓の音と、空へ昇るような笛の音色。それからこの地域の盆踊りの曲。

 同じ部活の友人も先輩も踊っているのが見える。優美と夏海を見つけて手を振ると、夏海は返してくれた。

 熱い風を浴びる中、一筋の冷たい風が背中を撫でた。

 驚いて立ち上がり辺りを見渡すが、特に変わったものはなかった。右を見て、左を見て、後ろも見て前に戻る。一呼吸おいて右を見ると、高校生くらいの女性がそこに立っていた。

 どこかで見たことのある姿。

 病院へ行く前、夏海とりんご飴の話をしていた時に感じたものと同じ風。

(姉妹、か?)

 顔や雰囲気が似ていた。

『ま…………で。……め。…………』

 何かを言っているような気がする。聞きに行こうにも、体が動かない。

『し…………。……さ…………、……う……。…………ず……。………………』

 辺りが静かなのに何を言っているのか分からない。もはや太鼓の音が聞こえないなんて問題はどうでもよかった。

 手を伸ばそうとしたとき、虫の羽音で我に返った。太鼓と笛、盆踊りの主旋律に人々の歌声。いつもと変わりない盆踊りの風景。それが嫌に怖かった。汗を大量にかいていたが、暑いからではなかった。

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