第16話 門前にて

「なんだったんだ、今の……」


 アラヤはログアウトの後、色々と調べたが、先の虎人間について何もわからなかった。自分の知らない、自分のコントロールできないところで何かが起きているのではないかとアラヤは焦る。


「おい、お前! これ調べとけ!」


 家事全般を担っているロボットに、そこらに置いてある空き瓶を投げつけて命令した。


「承知いたシました」


「ボロがよ……そろそろ買い替え時かもな」


「失礼いたシました」


「うるせぇ! さっさと調べろ!」


 知的電子生物保護法の施行以降、取り締まりは強化される一方だった。ほんの少し前には強制的にログインし放題だったのに、一月前にはログインに電子人間本人の同意が必要になった。そして先週、とうとう過去に同意を結んだ電子人間以外のログインが禁止になった。


 だから今回、過去に同意を結んだおもしろいやつが偶然復活を果たして、そいつにログインできたのは運が良かった。


 ゲームは終盤に差し掛かり、今まで生き残り続けていた強者たちは続々と死んでいった。まさにこれからというところで、生配信のPV数は5000を超えた。


 まだいける。ここで更なる着火剤が必要だと、アラヤは考えていた。自分のことを演出家であるとさえ思っていた。


 そんな折で、見事おもしろいログインで物語を動かした、はずだったのに。


 アラヤは配信についた視聴者のコメントを眺める。


「『余計なことするなカス』だとぉ……!」


 アラヤは苛ついてロボットに当たろうとしたが、調べものに行っていて不在だったので、モニターを殴った。


「いてえ……クソ」


 アラヤが何より許せなかったのは、謎の虎人間が現れた時が一番、視聴者のチャットが盛り上がったことだった。


 許せない。オレのゲームだぞ……。


「お待たせいたシました。これを」


 ロボットが調べ物を終えて、カタカタとキャタピラを鳴らして帰ってきた。


「ふむ。これは……」


 ロボットから受け取ったカードを手前のリーダーにかざすと、とある場面の録画映像が、亀裂の入ったモニター画面に表示された。


 『C369』『13A1』『13A3』が部屋に閉じ込められてガスで殺されかけている場面だ。


 しかし急に画面が真っ黒になってから、しばらくして元に戻ると、部屋の扉は破壊されて外に『C369』『13A1』が出ているところまで時間が飛んでいる。


 これはただのバグだと思っていた。違法なMODもいくつかぶち込んでいるので、そこから何か紛れ込んだのかもしれないと。


 どうやらただ事ではないらしい。


 『13A3』は危険だ。それはあの調子を気取った船乗りの『5』と同じ程度に。

 アラヤは画面と向き合い。虎人間対策を始めた。





 先ほどまでの揺れや轟音が嘘のように消え失せた。


 島の中央、コロニーの中央最深部にある中央制御室、さらにその下にポイント5は位置している。


 その空間は異常なほどに広く、用途不明の機械が辺り一面に散らかっている。奥の方に行くと床に巨大な穴が開いており、そこには海水が溜まっていた。


「ここはコロニーじゃないんだ。コロニーの中にあるけど僕の管理している場所じゃない。さっぱりわからない。本当はここには何も無いはずなんだ。何も認識できない」と目を覚ました18は戸惑っていた。


 しかし何よりも18が驚いたのは、この場所にいた一人の男だった。


 ツナギを着て髭面の無職と同い年くらいのその男に「お前誰だよ」と聞いても返事はなかった。けれど無視をしているようではなく、おそらく声が出せないんだという事に無職は気づいた。


 代わりに船長が答える。


「彼は整備士だ。昔からの仲間で、100年前、検事に喉をやられて喋ることが出来なくなった」


「なんでこんなところに……? 今まで何を?」


 18が尋ねた。再び船長が代わりに答える。


「彼には、とある装置を作ってもらっていた。それもつい先日完成した。これでやっとこの世界から脱出できる」


 船長は右眼から縮小した船を取り出して、それを部屋に空いた海水溜まりの中に投げ入れる。


 それはむくむくと巨大に膨れ上がった。無職からすると飛行船には見えず、巨大な紫色に輝くオウムガイのように見えた。やがてオウムガイの口の部分が伸びて飛行機のタラップのようになった。


 船長に続いて、18と無職、装置を抱きかかえた整備士が階段を上り中に入る。最後に、ついてきていた人虎も恐る恐る中に入った。


 内装は少し生き物の内臓を覚えさせるものだった。そしてやはり用途不明の機械類があたりに転がっていた。


「ようこそ。脳散ノウチラス号へ」船長が呟いた。


 船長は操縦席に向かいパネルの操作し始める。隣に整備士が座り何かの装置をいじっている。


 18と無職は適当なところに座った。人虎は端っこに立っていた。


 無職はずっと18が気になっていた。


「なあ大丈夫か18?」


「あぁ。さっきよりばだいぶマシだ。ありがとう」


「お前はなんで船長と戦ってたんだ? 税務官とかいうやつと組んでよ……」


「怖かったんだ。計り知れないほど強大な奴が僕たちを、この世界を支配している。何をしても無駄だと思っていた。だからその中でも最善の行動を……税務官と協力してゲームを終わらせようとした」


「やっぱりわからねえよな……何が正しくて、何が最善かなんて……」


「100年間ずっと考えたんだけどね。間違えていたのかもしれない。今は船長の船に乗ってるわけだし」


「オレは管理者ってやつが許せねぇ。そいつがいなけりゃ誰も死ななくてすんだのによ……」


「その気持ちは痛いほどわかるさ。でも恐ろしくてたまらないんだ」


 18は震えていた。無職は初めて自分が何をするべきか分かったような気がした。


 途端に船内が明るくなる。


 船長が起動鍵を操縦桿に嵌め込み、回した。


「さあいくぞ」


 船は海水溜まりの奥底にまで沈んでいった。底には小さな横穴があり、そこに向かって発進した。


 やがて穴を抜けると、広い海に出る。船はとてつも無い速度で駆け抜けていく。やがて海上に飛びだした。


 無職は窓から外を眺める。


 雨雲が島の近くまで押し寄せていた。その雲からはドット絵のような雨が降り注いでいる。


 「あれは滅却雨だ。これで島がリセットされた後、再生されて、次の顕谷たちが島に転送される。今まではね」


 船長はおそらく無職に説明しているのだろう、わざと大きな声で説明口調で話した。


「もうゲームはこれでおしまいにする。私たちが全てに区切りをつける」


「どうやって?」


 無職が呆れて尋ねた。


 船は島の中央部分の上空へ向かった。


「さあそろそろかな」


 船が静止した。船長は続けて言う。


「違うかい? 管理者さん」


 船長は操縦席から椅子を回転させて無職の方を見て言った。


「足がまだ不調でね、失礼するよ。どうかな管理者さん。いやこの際、アラヤさんと呼ぼうかな」


「ずいぶんと余裕じゃないか! 今から全員死ぬのにな」


 無職の身体を乗っ取った管理者が言った。


「四対一で勝てるかな?」


 船長はあくまでも余裕を持っているような口ぶりだった。


「もうすぐ終着フェナーレだからな……。少し話してやるよ。オレは操作が上手いから、お前らが何人いようと余裕で倒すことができる。と言ったものの、やはりこの獣人だけは例外だった。でもわかったよ。コイツはウイルスだ」


 船長は意外そうな顔をして返す。


「ウイルス? この魔法が?」


「まあお前らデータ風情に何を言ったところで理解できないだろうが、ウイルスはウイルスさ。どこかから紛れ込んだんだろう。そして」


 管理者は凄まじい速度で移動して、人虎に触れた。


「対処済みだ」


 途端に人虎が崩れ始めた。消滅するさまにも似ているが少し違う。人虎のシルエットが幾重にも重なっては離れていく。そして一人の人間と一匹の虎、猛獣使いと白に分かれた。二人は意識がないようで、倒れている。


 管理者が猛獣使いの手に握られた真っ黒な本を奪い取った。


「これだよ。手にするのもおぞましい。削除……と」


 本は跡形もなく消えた。


「よし、あとは三人だな。さあ! かかってくるが良い! 屠ってやる」


「少し質問をしても良いかな? アラヤさん」


 船長は一切動じていなかった。


「なんだなんだ? 仕方のないおしゃべりさんだな。冥土の土産ってやつに、教えてやろう」


「無職の、今君が乗っ取っている身体の持ち主の、正体を教えてくれ」


「コイツは今日この日のために作ったアバターさ。この島にいた奴らのデータを組み合わせてランダム生成したんだ。彼固有の意思というものは存在しないので、法律的にはギリギリセーフ。しかも本人の同意なしでログインできる優れものだ」


「おお、それは驚きだ! ……では私の脱出計画についてもご存じで?」


「もちろんオレに知らないことはない。全てモニタリングさせてもらってるよ。しかも現在なんと生配信中だ。みんな見てるー?」


 管理者は誰にも見えないカメラに笑顔で手を振った。


 急に真顔になり、船長を見る。


「お前はこの船の力を使って、元のいた世界に戻ろうとしているんだろ?」


「……その通り、この船は宇宙に存在するいくつかの不可視障壁をすり抜けることができる。つまり並行世界に移動できるんだ。テスト飛行も繰り返ししたから機能に問題はないはずだ……幾度となく邪魔されたけどね」


「あれ? やっぱ気づいてたか。お前良いよ。めちゃくちゃおもしろい。それで、もう終わりか?」


「これを」


 船長は何かの欠片を管理者に投げた。


「なんだよこれ……」


 その拳ほどの大きさで赤みを帯びた欠片には、小さな穴が無数に空いていた。それぞれの穴からは顔のようなものがのぞいていて、何かを伝えようと呟いている。


 管理者がそれを耳に近づけると『殺してくれ』とはっきり聞こえた。気分が悪くなって、それを床に叩きつける。


「なんだよお前! 頭おかしいんじゃないか!」


「お前が捨てたそれは、悲しき裏切り者の……検事の末路だ。そしてお前もそうなる」


「なんだよお前! なんだなんだ! さっきから調子こきやがって! このデータ風情が! 誰よりも賢いんですって顔をしやがって! オレを見下すな!」


 管理者は怒りのあまり、船長を殺そうとした。


 まさに動き始めた瞬間、整備士が椅子を回転させて管理者の方を向いた。彼の手には装置が握られていた。三つのトリガーと三つの銃口がついている。そのうち一つの銃口が真っ白に光っている。


「射出!」


 船長が指示を出して、整備士が装置のトリガーを一つ引く。


 穴から放たれた真っ白な光線は、管理者に浴びせられ続けた。


「ふは! なんだそれ! 何も起こらないぞ!」


 白い光線を纏った管理者が、馬鹿にして言い放った。


 船長はにこやかな表情で話し始める。


「まずは固定だ。君をこの世界に固定した」


「は? 何を言っているんだ。固定?」


「ログアウトできるかな?」


「え?」


 しばらく管理者の動きが止まる。再び動き出すと、彼の表情は焦りがにじみ出ていた。


「え? え? なんで?! なんで?! 出れない! なんで!」


「そしてログイン先の強制移行を行う。整備士」


 整備士が再び装置を操作する。二つ目のトリガーに指をかけ、二つ目の銃口を検事だった欠片に向けた。


「おい! なにをしようとしている! やめ……」


 今度は青い光線が、検事だった欠片に放たれた。そして管理者に放たれていた白い光線と、青い光線が交わりだす。


 小さな衝撃波が起こり、装置は停止した。管理者は意識を失って倒れた。


「どうだ……? 18頼む」


 船長は18に、無職の身体を起こすよう頼んだ。


 そいつは目を覚まして呟いた。


「どうなったんだ……」


「君は誰だ?」


 船長が尋ねる。


「誰だって……くそ。聞いたかよ? オレには元いた世界なんて無かったんだとよ。畜生め!」


「成功だ……」


 船長は整備士と顔を見合わせた。


「一体何が起こったんだよ!?」


 18にはさっきから起きていたことがさっぱり理解できなかった。


「無職にログインした管理者の精神、いわば魂を検事に移し替えたんだ。この装置の機能の一部で、管理者が検事以外の人間にログインしたときのために準備していた」


「そんな対抗手段があるなら、なんで最初から使わなかったんだ!」


 18ははっきり怒っていた。


「あそこは場所もタイミングも良くなかった。本当にすまない」


 船長は頭を下げるも、18はあまり納得がいってなかった。


「あんたは何もかも秘密にしすぎだ! だから裏切られるんだよ! もっと信用してくれたら……」


「あの虐殺の日、私は何もできなかった。そもそも私がこの世界の正体を皆に話してしまったから管理者に介入されたんだ。全部私の責任だ。だから今回の計画は秘密裏に進めたかった」


「だからって……」


「君は税務官のところにいるのが最も安全だった。私は君にだけは死んでほしくなかったんだ」


 困惑する18の隣で、無職は考えていた。乗り移られている間の管理者の会話はすべて聞いていた。


 自分には何も無かった。記憶を失っているのではなく、何も無かっただけだった。

 無職は薄々そのことに気付いていたような気もしていた。でもそれを認めるのは何よりも恐ろしかった。どんな強敵よりも、世界の本当の形よりも、仲間の死よりも。


 死んでいった仲間たち。こんなときに探偵なら、道化師ならどうしただろうか。彼らと過ごした時間がとても愛おしくてしかたない。


「それが君だよ」


 全てを見通したように船長は無職に言った。


「お前に何がわかるんだよ!」


 無職は激昂する。少し泣いてもいた。


「わかるよ。私の本体は十歳の時に死んだ。機械に移植された人格にしか過ぎない私は自己というものについてずっと悩んでいたからね」


「でもオレはロボットじゃねえ」


「全部同じだよ。突然生を授かる、意識が芽生える。そこに違いもない。それに君はもう自分を持っているだろう。それは君だけのものだ」


「うるせぇ……意味わかんねえんだよ。クソが」


「があぁ」


 もともと拳程度の大きさだった、検事の欠片は少しずつ元の形に戻ろうとしていた。18は焦る。


「おい! 船長! これはどうするつもりだよ!」


「もう少し待つ。あと三分ほどかな。整備士、準備を」


 整備士は装置の調整を始めた。


 検事の欠片はミチャミチャと音を立てて元の形を取り戻していった。まだ完全に回復しきる前に、管理者は勢いづいて、肉を口から吐き出しながら叫んだ。


「おい! 機械風情が! オレに何をしたんだ!」


 船長は落ち着き払って感慨深げに言う。


「ここまで何年かかったか……。長かったよほんと」


「おい! お前が何をしたって意味ないからな! お前らはただのデータなんだよ! いくらオレがフルダイブしていても、傷つくのはアバターだけだ!」


「君が私たちを造ったのかもしれないが、本当に愚かで情けない気持ちになるよ」


「なんだとテメェ!」


 管理者は殴りかかろうとしたが、無職が足を払って、組み伏せた。


「なんなんだよ!」


 管理者は這いつくばりながら吠える。


「最後の鍵は君だった。ただの仮想世界に作られたデータにすぎない私たちが脱出するための鍵。いや、鍵穴とでも言おうかな」


「オレが鍵穴? 何を言って……!」


 管理者は全力を出して無職の拘束を振り切ろうとしたが、身体がまだ完全に回復しておらず、力に逆らえない。


「この仮想世界と君のいる現実世界を唯一繋げているのは、ログインした君だ。その身体をゲートにして、私たちは現実世界に向かう」


「無理だ! できるはずない! 絶対に……」


「絶対に、とは言えないはずだ。この船の性能を君は知っているよな。そして論理上それが不可能でないことを」


「うるせえ! そもそもお前らが現実世界に逃げたところでどうにもならない! すぐにVHSVirtual Homeland Securityが来てお前らを消去するだろうさ!」


「これはただの脱出じゃない。わかるか?」


「これは征服なんだ」


 船長が指示すると、整備士は管理者の身体に向けて装置の第三の銃口を向けた。紫の光が放たれる。寸前で無職は管理者の身体を放して光線を避けた。


 管理者は恐怖のあまり、目を瞑った。しかし何の異常も見られなかった。何の痛みもない。ただ全身を紫色の光が包み込んでいるだけだ。


「なんだよ……ただの脅しか! 馬鹿どもめ!」


 突然、船の口の部分が飛び出した。無職は何をするべきなのか察した。


 船長と目が合う。やはり正しいようだ。


 無職は管理者の身体を掲げ挙げて、船の口から、外に放り出した。


 空中に放り出された管理者は真っ直ぐ島の中央に落下した。あまりの衝撃に指先一つ動かすことができない。


 船長は船についたスピーカーから声を出力する。


 「君は痛みとは無縁だったろう? だが今から嫌と言うほど味わえる。消滅雨がここにくるまでまだ30分近くあるからな」


 管理者は身体が少しずつ再生していくのを感じていた。


「馬鹿め……何をしても無らふぁ……!」 


 様子がおかしい。口が自らの意思に反して徐々に開かれていく。もちろんこれに痛みは無い。


 しかし管理者は妙な感覚に陥っていた。フルダイブしているはずなのに現実世界の感覚がする。それはまるで半分起きながら半分寝ているようなもので、現実と仮想世界の二つの感覚を同時に感じていた。


 尻の穴が開いている……?


 アラヤは現実世界で尻に違和感を感じていた。もちろん痛覚を遮断しているのは仮想世界のみの話で、現実では痛みを感じる。


 仮想世界側では顔よりも、裂き開かれた口の方が大きくなったとき、現実世界でアラヤの肛門は異常な大きさにまで開かれていた。


 それらの門は徐々に拡張されていく。普通なら死ぬはずだが、不死身の再生力を持っている仮想世界の検事の身体と、門を通じ深くまでリンクしていたおかげで、現実のアラヤは死にたくても死ねなかった。


 拡張は続く。常人なら意識を失うどころかショック死ぬはずの痛みでさえも、アラヤは脳細胞を焼き焦がしながら味わっていた。


 永遠にも思える二十分が過ぎ、ついに門は完成した。半径15メートルにまで拡張された管理者の口とアラヤの肛門は唯一無二の門となった。


 船長が操縦し、空中を漂っていた船が門へ入り込んだ。

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