第13話 復讐(七倍濃縮)
老いたスリの心は怒りで満ちていた。
事前に道化師から受け取った注射器をポケットの中で確かめる。これは道化師の義手の一部で、今の老いたスリの生命線だ。
ここで最後になるだろうと老いたスリは覚悟していた。復讐を果たせば全てが終わりになる。
それで本当に良いのかと思うこともある。若いスリはきっと復讐など望まなかっただろう。
銃を撃った後の震えた手に、自分は何もしてやれなかった。
老いたスリは考える。これらは全て自分のための、自己満足に過ぎないということを。
早く自分の人生に決着をつけたい。
その相手としてこの医者、おそらく解離性同一症で、科学者という人格が全ての元凶なのだろうが、こいつは丁度良いゲス野郎だ。
ただこいつの脳漿が壁に抽象画を描く様を見たい。
それが自身の本性ならばそれも構わない。
その本性は、目の前に対峙する科学者と大して変わらないのかもしれない。
老いたスリは注射器を自らの首元に打ち付ける。
「さぁ
老いたスリが金槌を天井に投げつける。
科学者はそれを見て嘲笑しながら、老いたスリの方に向かって走った。
誰が見ても老いたスリが天井に投げつけた金槌は、今にも死にそうな老人の朦朧とした意識の中で繰り出した最後の一撃にしか見えなかった。
しかし次の瞬間、地に伏していたのは科学者だった。
天井に投げつけられた金槌はしばらく静止したのち、科学者の脳天に向かって落下したのだ。
「ふふふふ、痛いな。なかなかやるじゃないか」
科学者はふらつきながら、ベルトについた四角い金属製の薬箱からアンプルを一本取り出して、緑色の液体を飲みほした。
「来いよ」
老いたスリは、科学者から見て右側の壁に向けて金槌を投げつけた。科学者はそちらに意識を逸らす。そこに老いたスリが、科学者の意識した方向と逆側から拳を叩き込む。科学者の反応は一拍遅れて、拳は脇腹にヒットする。
跳ね返った金槌が戻ってきて科学者の横っ腹に突き刺さる。老いたスリは科学者の右脇を抜けながら、その金槌を引き抜き、そのまま科学者の頭に叩きつけた。
頭蓋骨が砕けた音が響く。老いたスリは終わりを確信して、金槌を頭から引き抜く。
「ぴゅぅぅ」という音と共に血と脳漿が飛び散る。
科学者は床にドシャッと崩れ落ちた。
「終わったか。あまりにも呆気ないな……」
老いたスリはそのまま消滅を確認することもなく、部屋を後にしようとした。
「もう帰るのか?」
背後から声がする。
「なに……?」
老いたスリが振り返ると、血にまみれた科学者が何事も無かったように立っていた。
「いや強いね御老体。さすがここまで生き残っただけある。年の功というべきなのかな。自分自身の身体とは思えないほどの動きだね」
「どういうことだ」
老いたスリは何が起こったのかさっぱり理解できなかったが、何も終わっていなかったことだけは確かだった。
「どうも何もさっき飲んだ薬のおかげで不死身になったんだ。それだけ」
「そうか。関係ないな。何度でも同じことをするだけだ」
老いたスリは再び金槌を科学者の顔面に叩きつけようとした。科学者はそれに右拳で対抗する。金槌が右拳にヒットする。
しかしそれでも科学者は引かない。拳がプチプチと音を立てて裂け始める。拳から肘あたりまで真っ二つに裂け、一方から飛び出た骨が老いたスリの頬に突き刺さった。
「がぁっ!」
老いたスリは顔を逆側に振り、骨を頬から抜いたのち一歩引いた。
「くそっ……なんて野郎だ」
科学者はニタニタと笑いながら叫ぶ。
「痛ってええええ! 馬鹿みたいに痛いな。全く。やってられないよ。でも悪くないね。どこまでいけるのか試してみたくなった。例えば」
科学者は裂けた腕から飛び出た骨を握り、折った。
「ぐぁぁぁぁぁあ!! いっでぇぇぇぇ!!」
少し経ってから、ぐちゃぐちゃになった腕は元の形に戻り出した。肉がグジャグジャと音を立てて形作られていく。
「これで完治して、さらに」
折った前腕部の骨は1mあるかないかで、断面がギザギザになっており、一方は鋭く尖っている。
「武器もできた」
科学者が鋭くとがった骨を老いたスリに突き刺そうとする。
老いたスリはそれを金槌で弾き、科学者の顔を、腕を、胴を叩き続けた。
しかしすぐに科学者は回復する。
老いたスリは体力を消耗して、手を止めてしまった。
科学者が余裕そうな面持ちで語りかける。
「意味ないぜジイさん。なぁもう無駄だって。ほらこれ」
科学者は手に持っているアンプルを見せつける。
「これを飲めば一定時間不死身になれる。どうだい? これを機に心機一転、不死身になってみないか? 僕を殺そうだなんて馬鹿なことは辞めてさあ。あんたもう死にかけているだろ? なあに、見ればわかる。僕は医者でもあるからな。お前はもうじき死ぬ」
「あぁ、そうだろうな。不死身だと? 死んでも断る」
「なんだ残念。実はこれ、君に渡すと言った薬だが、身体の細胞が無限に増殖し続ける薬なんだ。本当に残念だよ。死にかけの君なら騙されてくれると思ったんだけどなぁ」
「そんな見え透いた罠に騙される馬鹿がいるか」
「それがいるんだなぁ。この部屋を見回してみなよ。みんなこれ生きてるんだぜ。死んだら消えちゃうからな。もったいない。コイツらはみんな死にかけると僕を頼ってきた。医者でもあるからな。でも医者はプレッシャーに弱くてね、手術の直前に僕と入れ替わることがある。だから僕なりに治してやったのさ。現にコイツらはまだ生きてる。まあ地獄の苦しみだろうけどな」
「お前は、お前は! 一度殺しても足りないほどだ。不死身になったことを後悔させてやる」
「まあ待てよ。お前がそもそも何に怒ってるのかわかる。あの若造のことだろ?」
「そうだ!! お前は若い命を奪った。アイツもスリだった。だが未来があった! 俺と違ってな。お前はそれを奪った!」
「勘違いしてないか? 奴は礎になったんだ。少し身体を弄って、作ったガスを試しただけだ。お陰で全世界の科学水準はまた一つ次の段階に上がった。だから意味の無い犠牲なんかじゃない! 尊い犠牲だ……」
「何をほざくか! お前は狂っているだけだ。そんなのは科学じゃない。ただのママゴトだろうが」
「言ってくれるね、まあいいや。気が済むまで殴りなよ」
そこからは一方的だった。いくら老いたスリが攻撃を当てても、すべて回復される。科学者は一切反撃をしてこなかった。ひたすらに老いたスリは消耗した。
どこか遠くで爆発音が鳴り響いた。老いたスリは一時的に攻撃の手を止める。
いくら休んでも、はぁはぁはぁはぁと息切れが収まらない。心臓は少しずつ速くなり、内臓ごと暴れ回り始める。
老いたスリは何かおかしいと思い、ポケットに突っ込んだ道化師から受け取ったはずの義指注射器を確認する。
そこには何も無かった。
あぁ彼も死んだのか。
老いたスリはそのまま立ち尽くしてしまった。
「なあ、もう気は済んだかな?」
科学者が馬鹿にしたように言った。
老いたスリはそれに応えることが出来なかった。もう肉体的に喋ることなど不可能だった。
「悪いことは言わない。ここまで生きてきたんなら、それなりに理由があるはずだ。生き残る理由がな。お前はまるでここで死んでも良いって感じだよな? それでなんか気持ちよく上がろうとしていないか?」
部屋に空いた穴から何者かが割り込んで言う。
「それの何が悪いんだ?」
「えぇ〜お前誰ェ?」
「オレは無職だ」
無職は老いたスリの握っていた金槌を指した。
「それ借りていいか?」
老いたスリは頷いた後、倒れた。無職が身体を支えて壁にもたれかからせる。
「不死身の相手に素手は厳しいからな」
「お前、もしかしてコイツがやられる様をずっと見ていたのか?」
「邪魔しちゃ悪いだろ? コイツはお前を恨んでたみたいだからな」
「ふざけた野郎だ。まあ良い、やってみな」
科学者は戯けた。ただ舐め切っていた。目の前にいるただの中年を。
無職は科学者が攻撃を認識する前に、一切の予備動作なく金槌を三度振った。
一発目は科学者の脳を破壊して、中身の半分は外に飛び出した。科学者の再生能力を持ってしてもそれは意識に空白の数秒を生み出すことになる。
二発目で肋骨を折る。三発目で金槌の尖った側をその肋骨に引っ掛けて、そのまま引き抜いた。
科学者の意識が戻ったころには、無職は引き抜いた肋骨を使って、科学者の身体中を突き刺していた。そしてその最後の一刺しは、下顎を貫通して頭上から飛び出した。再び科学者の意識が喪失する。
そのまま無職は刺した肋骨を手で押さえていたが、徐々に押し戻される。
「おお、めちゃくちゃな回復力だな」
「ふっ……どうぞ飽きるまでやってくれ」
科学者は余裕だといった笑みを浮かべて言った。
「お言葉に甘えさせてもらうとするよ」
無職もふざけて言い返した。
そこから無職の猛攻は止まることがなかった。科学者は内心焦っていた。二人目が現れるところまではまだ想定内だったが、これほどまでに底知れぬ体力と手慣れた殺人術を持った奴だということまでは想定していなかった。
時間が無い……
不死身には時間制限がある。そうなれば追加で薬を飲まなければならない。
この猛攻に区切りがついたらすぐに飲まなければまずい。
制限時間ギリギリになって、ちょうど無職が攻撃を止めた。
さすがに体力の限界が来たのだ。
「惜しかったな! 馬鹿め!」
科学者はベルトにつけた薬箱を手に取ろうとした。
「え……なにもない!! なんで??」
奥から笑い声が聞こえる。老いたスリが立っていた。
「俺は腐ってもスリだぜ」
老いたスリの右手には金属製の薬箱が握られている。
「それを返せェェ!!」
科学者が老いたスリに襲いかかった。
無職は手に持った金槌を老いたスリに投げてつぶやいた。
「やってやれ」
「ありがとよ」
老いたスリは渾身の一撃で科学者の膝を砕いた。
「がぁぁぁぁぁ」科学者は立てなくなり崩れ落ちた。
「今度こそ
老いたスリは金槌を科学者の脳天に叩きつけた。頭蓋が破壊されて中身が壁中に飛び散った。
「おいおい。抽象画みたいじゃねぇか」無職がふざけて言った。
「なんだお前、俺と気が合いそうだな。じっくり話してみたかったぜ……」
老いたスリには限界が来ていたようで、その場で倒れた。
「おい! 大丈夫か? なに、これを飲めば」
無職は老いたスリが持っていた金属の箱を探したが、見つからなかった。
「うそだろ……ミスっちまった!」
科学者の死体は消滅を始めていた。彼の『土産』の一部である薬箱も同じだった。
「あぁ……気にするな。どうせすぐ死ぬんだ」
無職は言われた通り、気にせず尋ねる。
「じゃあ、道化師と猛獣使いがどこにいるのかだけ教えてくれ」
「道化師は死んだ……。猛獣使いは虎人間になった……」
「二人とも死んだってことか。すごく……残念だ」
「いやそうじゃない。困ったときは大きな声で、奴を呼ぶと良い。
「だいぶもうキてるんだな! すまねえ」
「最期に頼みがある。この部屋に、忌々しい実験で苦しんでいるヤツらがいる」
無職は部屋を見回した。
「え? あれ本当に生きてんの?」
「あぁ、奴らを楽にしてやってくれ。お前ならできるだろ?」
「任せてくれ、爺ちゃん」
「ははっ、若いの。オレはやったぞ……」
老いたスリの身体の消滅が始まった。
「よし、まあ遺言は聞いてやるか」
無職は部屋中の実験台にされた人たちを楽にしていった。全部自分の顔だったので本当に気味が悪かったが我慢した。
しかしただ一つだけ別だった。
無職は生首が浮いている水槽を破壊した。しかし、その生首はジュグジュグと音を立てて再生し始めた。
「お前誰だよ? 全裸だぜ。恥ずかしくないのか? まあいいけどよ。オレと同い年ぐらいか? いやちょっと若いか」
「ふう助かったよ。感謝する。私の名前は検事。今は何日目だ?」
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