第12話 人形使いの主たるは
第三地区のパージが完了した影響について、その場にいた誰も予測することは出来なかった。だからこそ、ただ前に進むしかなかった。例えそこが敵の本拠地であったとしても。
凄まじい揺れに耐えながら先導する猛獣使いに、老いたスリと道化師は着いていった。
「ありがとう、猛獣使い。でもどうして……」
よそよそしく言った道化師に、猛獣使いは「良いんだ」と言って続けた。
「俺たちは同じサーカスにいた。別の世界だけど同じサーカスだった。なのに人生は真逆の方向を向いている。
道化師は「僕みたいになりたいならいつでも化粧してあげるよ!」と言って笑った。猛獣使いもつられて笑う。
老いたスリはどうにも笑えなかった。復讐を果たせねばならない。
「猛獣使い。ここに医者がいるってのは本当か?」
「あぁそれは間違いない。第三地区にはいなかったんだろ?」
「あぁいなかったさ。全員殺したから間違いない」
「こわ〜」と道化師は茶化すが、猛獣使いは無視して言う。
「ならここにいるだろうな。場所は定かじゃないが……」
「待て、誰か来る」老いたスリが遮った。
♦
詐欺師はただ死にたくない一心で、ひたすらに走っていた。行く当てもないのに。
「おい、そこのお前」
老いたスリが詐欺師の腕を捕まえ、体を床に押し付ける。
「ひぃ! だっ! 誰だお前ら?」詐欺師は必死にバタバタしているが、老いたスリの力はますます強くなり、詐欺師の腕がミシミシと音を立てた。
「あがァァァァァァ! なにをするんだ! ヒドイっ!!」
「医者はどこにいる?」
「医者ぁ? なんでそんなこと……アイタァ!! わかった! 分かりました! 喋る!喋るからその手を離してくれ……ください」
「もう一度聞く、医者はどこにいる?」
「あ、あいつは手術室にいます。今18から起動鍵を摘出してるところだ…です」
「18って言った?!」道化師が尋ねる。
「は?……はい。何やら船とやらに乗って皆んなで逃げるらしいです。ハァ……俺も乗せてくれねぇかなぁ」
「案内しろ」
老いたスリが金槌を詐欺師に押し付けた。
「え、逃してくんないんですか……? あ! やめてください、もう分かりましたよ…」詐欺師は泣いていた。そして小便と、ほんの少しの大便を漏らしていた。
「くっせぇ〜!」道化師の笑い声が響いた。続けてみんなも笑った。
詐欺師の案内で部屋から部屋へ移り続けた。ときおり大きな地震のような揺れに全員が苛まれた。
「まだか? どこに手術室はある」
老いたスリは金槌で詐欺師を脅した。
「も、もうすぐ着きます……! あ、ここです」
長い廊下に面した部屋の前で詐欺師は立ち止まった。その部屋の扉は何の変哲もない、ただの扉に見えるが、道化師はなにやら嫌なモノを感じた。虎も少し怯えているようだ。
「この中が手術室にございます。それではお疲れ様でした。あたくしはこのあたりで…」
逃げようとした詐欺師の首根っこを老いたスリがつかんだ。
「中に入れ」
「勘弁してくださいよぉ……」
詐欺師は扉を開けて中に入った。
詐欺師とて、この部屋に入ったことは無かった。医者は誰も中に入れたがらなかったからだ。中は通常の部屋の二倍程度の広さに思えた。外と同じはずなのになぜか妙な嫌悪感が湧いてくる。汗がどっと吹き出し、詐欺師は少し吐きそうになっていた。
部屋の半分は白いビニールハウスのようなもので覆われていた。中に人影が見える。おそらく医者だろう。詐欺師は部屋の外にいる三人にジェスチャーを送った。ここにいると。
老いたスリは金槌を握りしめ、部屋の中に入る。遅れて道化師と猛獣使い、虎も中に入った。詐欺師はゆっくりと人影が映る白いシートから離れたが、老いたスリが詐欺師の背中を金槌でトンと押した。
詐欺師が振り返ると老いたスリの口元は「あけろ」と言っている。
詐欺師はもう一周回ってどうでもよくなり、勢いよくシートを捲り上げた。
誰もいない。そこには血に塗れた手術台があった。手術道具のようなものがあたり一面に散らかっている。
「え……さっきまでここに……」詐欺師は恐ろしかった。大きな何かに自分は巻き込まれているんだと思った。
突然虎がグルルルルと唸りだした。
「おい、白。大丈夫か?」獣使いが必死に宥めようとする。虎は口から涎を垂らしてずっと唸っている。少し苦しそうだ。身体をぶるぶると震わせている。虎は立っていられなくなり、床に横たわった。
獣使いは最悪の想像をしてしまった。虎は凄まじい勢いで震え出した。ただ痙攣しているのではなく、振動していた。床から振動が伝わって、全員がそれを小さな地震のようにすら感じていた。
パン!!
その音と共に肉と血が、あたりに飛び散った。虎だったものから煙が立ち上り、血が壊れた水道管のように噴き出している。
「あ、あぁぁぁぁぁぁ!!!」
猛獣使いが膝から崩れ落ちた。
「おい! 何が起こっている?」老いたスリは何もわからなかった。
「これは……おそらく攻撃だ! 医者から攻撃を受けている!」道化師が返す。
「ひ、ひぃぃぃ」と情けない声を上げながら詐欺師は部屋から出ようとした。何かに足を滑らせて転倒する。
そのまま外に出ようと這いずったが、この部屋唯一のドアが急に閉まった。
「わ、わ、た、助けてくれ!! 医者ァ! 仲間だろ?? ほら俺だ詐欺師だよ!!」
もはや立てなくなった詐欺師は床に這いつくばりながら必死に懇願した。
「お願いだ! 助けてくれぇ!! た」
しかし彼の様子も変わり始める。
「た、た、た、あ、あ、あ、あ」と定間隔でまるで一言一言確かめるように呟きはじめた。
「なんだ!? 何が起こっているんだ?」
「あ、あ、す、す、う、う、う」
詐欺師は震え出した。しかしやはりただの痙攣のようには見えない。何かが彼の体を揺らしているようだ。
「ううううううううううううう」
言葉の感覚が徐々に短くなっていき、彼の身体は、もはや多重に見えるほどに震えている。
「けけけけけけけけけけけけけ」
爆発が起こった。血肉が飛び散ったが、ほとんどがミストのようになり、三人の全身に散布された。
「まずい! これかも!」と道化師は猛獣使いを立ち上がらせようとした。
「何かわかったのか!」
老いたスリもそれを手伝う。
「虎が死んだ時も、詐欺師も死んだ時も、彼らは床に近かった」
「それで?」
「つまり、なにか空気比重の重い有毒の気体が漂っているんじゃないかな?」
「なるほど、確かに俺らは無事だ。じゃあなぜ猛獣使いは無事なんだ? さっきまで泣き崩れていただろ?」
「それがわからない!! なにも!!」
「おいおいおい、脚が震えてきたぞ」
「これはまずい! その手術台に乗ろう!」
「いや待て!!」老いたスリが制止する。
「やけに床が滑らないか?」
「ん?……ああ確かに、何だこれ? ただの血糊かと思ってたけど何か違う」
「うわっ!」老いたスリがバランスを崩した。
「危ないっ!」道化師が支えようとするも彼自身も足を滑らせる。
「しまった!」
全員が転倒した。二人とも立ちあがろうとするものの、あまりにも滑りが良く、とても立てそうにない。
「ま、まずい!!」
突如、白衣を着た男のホログラムが部屋の中央に投影された。
「お前らが悪いんだ! 俺は何もしてないのに殺しにくるんだろ!」と男は憤慨している。
「貴様!!」老いたスリは激怒した。
「それはマイクロウェーブガスというらしい。吸い込むと全身の細胞が振動し続けて爆散する。科学者が作った。彼は天才だ! 救世主だ! お願いだからお前たちは死んでくれ!!」
「くそっ!!!」
二人は起きあがろうとしたが、失敗し何度も転倒する。息を止めるのも限界だ。
ここで死ぬのか……?
二人は諦めきれなかったが、一方で猛獣使いはただ茫然として、起き上がることを放棄していた。
白が死んでしまった……
唯一の家族であり、心の支えだった。
白をこの世界に連れてくるべきでは無かった…
猛獣使いは常に悩んでいた。この世界に、なぜか白が来てしまったことにだ。
『土産』と別に、この世界に持ち込むことができるものがある。それは己自身が身に纏っていたもの。たとえば服などがその内に入る。
猛獣使いは虎の白を家族以上に思っていた。その思いは彼の想像以上だった。
彼は白を、自身の一部としてさえ思っていたのだ。
だから向こうに置いてきたはずの白は、不幸にもこの世界に連れてこられた。
猛獣使いは一冊の真っ黒な本を『土産』に選んだ。
そこには古の伝承、隠された歴史が記されている。ただのお伽話にすぎないと誰もが馬鹿にしたが、彼の父親は生前その研究に入れ込んでいた。父親が死んで数年後、猛獣使いは秘匿された研究を知った。
彼はその全てを引き継ぎ、全てを解き明かした。その禁忌たる呪文さえも。
猛獣使いは、それを唱えた。
そして全てが闇に包まれた。
老いたスリと道化師は喋ることはおろか、動くことすらできなかった。そして何も見えず何も聞こえない。
一方で猛獣使いにはそれを感じることができた。闇の中に一際、濃い闇が浮かんでいる。
『彼』だ。
「願いを叶えてくれ」と猛獣使いは強く願った。
『彼』が肯定の意思を表したことを、猛獣使いは感じ取った。
「白を生き返らせてくれ」
闇が微笑んだ。
現実に引き戻された瞬間、誰も反応できなかった。何が起きたのか理解することができなかった。ホログラムの男も同様にだ。
猛獣使いは虎と一心同体だった。『彼』はそれを考慮して願いを叶えた。
白い炎に包まれた男の首から上は虎になっていた。
その男は虎の声で吠えた。それにもかかわらず全員には意味が通じた。
【図らずも願いは叶った。代償はあれど問題はない。今は誰であれ赦そう】
その男は素手で扉を破壊した。
ホログラムの男は「ええ……! なに? なに?」と戸惑っていた。
男は道化師と老いたスリを軽々と持ち上げて、部屋の外に放り投げて言った。
【我が名は
人虎は正拳突きをした。すると衝撃が波となり、正面にある壁という壁に穴を開けていった。
「ひー!!」という叫び声が二重に聞こえた。ホログラムの男は転倒している。
「おい、まさかそこに医者が?」
老いたスリが振り返った時、すでに人虎は姿を消しており。そこには少しの獣臭と焦げ臭い匂いだけが残っていた。
起こったことを完全には理解できなかった二人だったが、老いたスリは起こったことを深く考えず、穴をたどり進んでいく。
「おい医者貴様ァ!」と叫びながら、老いたスリは穴の終着地に入った。
その部屋はあまりにもおぞましいものばかりで溢れていた。
四肢を切断されたまま磔にされチューブで命を保っている人達、頭部のみが詰まった水槽、手足でできた風車のようなオブジェの中央には顔がある。
その部屋の奥で白衣を着た男はうずくまっている。
「たすけてくれ……俺じゃ無いんだ」
あまりにも悲壮を込めた表情でそう言ったので、老いたスリは憤慨した。
「なにがだ!! 貴様!! お前が若いスリを殺したんだろうが!!」
「ヒィ、ほんとに違うんだよ。でも知ってる。知ってはいるんだ」
「貴様自身が薄汚い変態殺人鬼だということか? この部屋を見ろ!! お前がやったんだろ」
「違うんだよ! 確かにこの部屋は知ってるし俺は医者だけど……俺は殺しちゃいない」
「はぁ、せめて話を聞こうとでもした俺がバカだったよ。すぐに殺してやる」
老いたスリは金槌を医者の頭に振り下ろそうとした。しかしそれは中断された。
なにかに腕を掴まれたからだ。
「可哀想だ。医者は可哀想なやつなんだ」
医者の表情が、がらりと変わる。まるで顔に面が張り付いているかのように、作られた表情になった。
「あいつは仕事で人を治すために切り続けた。それだけなら良かったが、きっかけはそうだな。あいつが弟を治してやれなかったことだ。くだらない派閥争いに巻き込まれて、メスを握ったのは別の医師だった。それで弟が死んだ」
男はゆっくりと立ち上がりながら続ける。
「あいつは真面目すぎた。もう立ち直れなかった。だから僕が出てきた。産まれたのはずっと前だけど、困った時は僕の……科学者の出番だ」
その男、科学者は隠し持っていたメスを袖から出して、老いたスリに投げつけた。
老いたスリは交わそうとするも、何かに腕を掴まれて動けない。
「危ない!」
遅れてきた道化師がメスを弾き返した。
老いたスリは何者かに掴まれた右手に持っていた金槌をあえて落とし、それを左手で受け止め、そのまま手を掴んでいる何者かに叩きつけた。
「?!!」
誰かが離れる。当たった場所から血が滲んでいる。
「こいつは透明人間だ。不幸なやつだが僕が改良してやった。代わりに喋れなくはなったがね」科学者は襟を正す。
「透明のやつは僕に任せてよ! 君は医者を!」
道化師は空中に滲んだ血が浮いている場所に向かって、スプリング足の勢いで突進した。しかし透明人間はそれを捕まえて道化師を放り投げる。道化師は部屋の扉ごと吹き飛んで、別の部屋に飛ばされた。透明人間がその後を追う。
「?」
「なんてパワーだ……」
道化師は全力でその場から逃げ出した。
透明人間もそれを追う。
「!」
「こっちだよ! こっち!」
道化師の疲労は限界に近づいていたが、それでも何とか足を動かした。スプリングの力を利用してスピードを増す。しかしそれに透明人間は対応していった。真後ろに透明人間が張り付いていることに道化師は気付き、より足に力を込めた。
スプリング足を透明人間に押し当てて、その反射で遠くまで飛んだ。
「!」
透明人間もさらに加速して後を追う。
道化師は飛んでいった先の部屋で体勢を整えようとした。
だが目の前に透明人間が立っていることを、道化師は感じ取った。
透明人間が拳を叩きつける。そのショットガンのような早い打撃は道化師の腹を掠めた。そこにあった肉が抉れて血が噴き出る。
「ぐっ……うそだろ……!」
道化師はスプリング足で跳躍しようとしたが、そこを透明人間に掴まれて地面に叩きつけられる。
金属製の床が凹み、道化師の血が溜まる。
再び叩きつける。あたりに血が飛び散る。道化師は自身の全身の骨が砕ける音を聞いた。
「ひ……ひひひ…ひ」
道化師は笑った。
「?」
透明人間は手を止めた。
道化師が笑っていることを、透明人間は理解することができなかった。何か隠された意図があるのではないかと考えた。
「は………ひひ」
辛い時こそ笑った。辛くなくても笑った。
それが僕にとっての役割だったからだ。
観客には決して見えない、糸で操られる人形のように、ただ与えられた役割をこなし続ける。
それがまるで呪いのように全身にしみついている。
まあ笑ってもらうのも、悪い気はしないがね。
この世界に来て船長に出会い、彼の作戦を実行しようと心に決めた時は、何となく自分が最後まで残ることはないだろうと思っていた。
自分自身のおせっかいさと、偽善と、無鉄砲さは理解していた。だからといって役を降りることはできなかった。
今だって本来の作戦とは関係のないところで、老いたスリを助けようとして死にかけている。
「僕は何者なのだろうか?」
ただのおせっかい焼きだ。
「何者だ?」
偽善者だ。
「本当は?」
操り人形だ。
「違うだろ」
僕はただの道化師だ。
透明人間が、再び道化師の足を掴んで振り上げた。振り下ろされて床に叩きつかれる寸前、気絶していた道化師は覚醒した。
とっさに道化師は両脚を外した。そのまま地面に落下したが、叩きつけられることは避けられた。
「?」
透明人間が外された義足を訝しげな表情(もちろん誰も眼にすることは出来ない)で眺めている。
道化師が笑いながら、自身の右奥歯を砕いてボタンを押した。
義足が爆発する。
近くにいた道化師は吹き飛ばされる。
かろうじて意識は保ち、透明人間を探す。
どこだ……どこにいる?
煙が消えた時、そこには爆破で刺さった破片に形どられた透明人間が立っていた。
道化師を睨みつける。
「!!!」
透明人間は地面に横たわる道化師の身体を蹴り上げた。
道化師はもはや声を上げることすら出来なかった。
「!」
突然透明人間がバランスを崩し転倒した。立ちあがろうとするも立ち上がることができない。
「???」
道化師は地面に何度も叩きつけられている最中に、左手の注射針を透明人間の手に打っていた。
科学者に改造されて超人的な肉体を手にした透明人間であったが、これは想定外のことだった。透明人間は立ち上がることができずにいる。
道化師は口から血を吹き出してぼそりと言った。
「た……のしんで……くれたかな?」
がたりと崩れ落ちた道化師の身体が徐々に消滅していく様を、床に横たわったままの透明人間はじっと見ていた。
何か違和感を感じていた。
確かに刺しこまれた薬品で身体が起き上がり辛いということは間違いないが、それ以外の何かがある。
あたりを見まわしてみれば、この部屋には診察台のようなものがある。
あれに掴まれば立ち上がれるかもしれないと、透明人間はそこまで這いずって行った。
透明人間はここが他の場所よりも寒いのではないかと思った。
なぜなら先ほどから身体の震えが止まらないからだ。そしてそれはだんだんと激しくなっていく。
透明人間はその時気づいた。これは医師から聞かされていた、あのガスかもしれない。
この部屋はもしかして……
「!!!!!!!!!!」
透明人間は透明に爆散した。
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