第11話 6フィート下

「誰もいない!」


 銛で壁を引っ掻きながら漁師は唐突に叫んだ。


 隊列を組んだ六人は、敵を警戒しつつ移動を続けているが、敵どころか人の気配すらもなく、空気が緩み始めている。


「漁師よ、敵は五人ほどしかおらぬはずだが、全員かなり腕が立つそう。油断は禁物だ」と強盗は腰にかけた手斧に常に手をかけ、漁師をたしなめた。


「?」


 そこでふと透明人間が、倫理に借りた本を読みながら疑問を呈した。


 不動産は頭を搔きむしり、フケをあたりに散らかしながら、ぼそぼそと呟く。


「と、透明人間の言う通り……。わ、罠が仕掛けられている危険性について常に考え続けるべきです……。油断大敵油断大敵……」


「ニクゥ?」と精肉が三本の肉切り包丁でジャグリングしながら問うた。


「ルソー曰く『私たちは無知によって道に迷うことはない。自分が知っていると信じることによって迷うのだ』」と、精肉の疑問に倫理が答える。


「おい誰か!! 誰か通訳を連れてきてくれ!!」


 漁師が叫んだので、「大きな声を出すな。落ち着きたまえ!」と強盗が注意する。


「ニクゥ! ニクゥニクゥニクゥ?」


 そんな中、精肉はウィットにとんだジョークを交えつつ、的を得た発言をした。


「は? なんだって!?」


 漁師にはさっぱり理解できなかった。だからどこまでも実直に言葉の意味を尋ねた。


 それに「アリストテレス曰く『我々の性格は、我々の行動の結果なり』」と倫理が返し、不動産が「つ、伝わらないのは理解しようとしないからだ、と言っています……」と補足する。


「うるせえ! わかんねえもんはわかんねえよ!」


 漁師は銛をがんがんと床に打ち付けたので、強盗が「落ち着くのだ」となだめる。


「だってよぉ。急にこんな訳の分からない奴らと組まされて不安で不安で……」


 漁師を強盗が、ぎゅっと抱きしめた。困惑した漁師もそれに応じる。


 漁師は誰にも見せないようにしていたが、一目瞭然で、彼の目には涙が浮かんでいた。


 そこには仄かな潮風があった。全員が少しノスタルジックな気持ちになる。


「……!?」


 突然、透明人間が何かに気付いたようだ。


「ニクニクニクゥ、ニクニク」


 精肉も、それに乗る。


「……なんだって?」


 落ち着いた漁師は穏やかな表情で尋ねた。


「な、なぜ傭兵と税務署員は別行動なのかと聞いています……。た、たしかに気になりますねぇ。まるで私たちが……」と不動産が補足する。


 漁師は、それが何を意味するのかよく考えて、解り始めていた。


「おい何だ! 俺らはただの陽動の捨て駒ってか?! リーダーが俺らを見捨てたと?」


「その可能性、決して無いとは言い難し。だからこそ生き残らねば」


 強盗が再びヒートアップしだした漁師の目をみて、しっかり語りかけた。


「エマーソン曰く『自分自身を最大限に利用しなさい。あなたにとって、あるのはそれだけなのですから』」と倫理がはっきり言った。


「へぇ! たまには良いこと言うじゃねえか!」


 漁師は素直に倫理の言葉に感心して、パッと笑顔になった。


 先頭にいた強盗が次の部屋に入ったとき、何かに気付き全員に『止まれ』のハンドサインをした。


 しかし五人に、それの意味が分かるはずもなく、無視して部屋の中に入っていった。


 その部屋は、今までに彼らが見てきたどの部屋よりも広々としていた。


「ニクゥ」


 精肉は気づいた。部屋の中央で何者かが後ろ向いて立っている。


 六人はその何者かに気付かれぬよう息を殺し、慎重かつ大胆に近づいていく。


 10メートルほどにまで接近したとき、その何者かは急に振り返った。


 それは派手な帽子に革のコート、右眼に眼帯をした男だった。


 男は不敵な笑みを浮かべながら話し始める。 


「君たち、あまり見ない顔だが、こんなところまではるばる何のようかな?」


「おい!! イカす格好じゃねえか? もしかしてアンタが船長か?」


「あぁそうだ。君は、当てようか……。うーん。漁師かな?」


「当たり! 見る目あるなぁ」


 漁師は心から感心した。


 やがて六人が横並びになり、船長と向き合った。 


「海同士、手加減はしねぇぜ」


「六対一を臨むとは、余程の自信と伺える」


「!!!」


「ショーペンハウアー曰く『運命がカードを混ぜ、われわれが勝負する』!!」


「ニクゥゥゥゥウ!!」


「や、や、やってやる!!」



 まず動いたのは精肉だった。肉切り包丁を船長に投げつける。船長はそれをキャッチし、「借りるぞ」と言って投げ返した。目にも止まらぬ速さでそれは不動産の首元へ飛んでいった。「ひぃ」と漏らすが、寸前でそれを強盗がキャッチする。


「危うし」


 10メートルほどあったはずの距離を、船長は一瞬で詰めて肘打ちを強盗に喰らわせる。強盗はあまりの痛みとショックで気絶した。


 船長はそのまま、強盗の手にあった肉切り包丁を奪って不動産の首に刺し込んだ。


 血があたりに散布された。「ごぽぽぽ」と不動産は自分の血に溺れそうになっている。


 そんな中、倫理が青龍刀を振りかぶって向かってくるが、船長は不動産の身体を盾にして受け止める。


 不動産の身体から倫理は青龍刀を抜こうとするも、思うように抜けずもたついている。


 素早く船長は不動産の身体を後ろ向きに倒した。青龍刀を握り込んでいる不動産もそれにつられて体制を崩し、そこに船長は拳を叩き込んだ。倫理の顔面がゴム人形のように凹んだ。


 出遅れた漁師は「うおおおお!」と叫び、銛を持って襲いかかる。一気に事が進み呆気に取られていた精肉も、反対側に回り込んで二刀の肉切り包丁で船長に切り掛かる。


 船長は前後からの同時攻撃を、上体を反らしながら少し浮きあがって躱し、二人の足を払った。二人は勢いよく転倒する。


 タイミングを計っていた透明人間は、船長の死角から全力の上段蹴りを放つ。しかし船長はその足を掴んだ。


「体温はあるんだね」


「?!」


 透明人間は船長に投げつけられ、部屋の壁に衝突して意識を失った。


 船長は倒れている精肉に歩み寄り、彼の背中に全体重をかけて飛び乗った。


 鈍い音が響き、精肉の背骨が砕け散る。


 銛を支えに立ちあがろうとする漁師だったが、いつの間にか近づいていた船長がその銛を奪い取り、背後に向かって全力で投げた。


 目を覚ました強盗は、まさに立ち上がっているところだったが、飛んできた銛は彼の体を貫いて壁に突き刺さった。強盗の、まだ脈打っている心臓が銛の先端についている。


「よくも仲間を……! この化け物め……」倒れたままの漁師が呟く。


「正直傷つくよ……」船長は漁師の顔面を踏み抜いた。


 あたりでは死んだ人間の消滅が始まっていた。


 「透明のやつは死んでるか分かり辛いね」


 船長は透明人間を放り投げた方へ向かう。壁は凹み、血まみれになっている。


 血が消えていないと言うことは、まだ生きていると言うことだ。


「逃げられたか……。終わったよ。物理」


 別室から眺めていた物理がのそのそと出てきた。


「久しぶりに戦ってるところを見た……」


「まあ奴らは先遣隊みたいなものさ。もうすぐ本丸が来る。物理頼めるか?」


「船長にそう言われちゃ断れねえよ。任せてくれ」


 全身に銃火器を装備し、屈強で迷彩服を着た男が部屋に入ってくる。


「ずいぶんと部下を殺してくれたな」


「何を言ってる。そこでずっと見てたくせに。おや……? 税務官は来てないのか?」


「お前らなど、俺一人で十分だ」


「なるほどね、ここはこの物理に任せるよ」


「じゃあ」と言って船長は退出した。


「おいおい、お前じゃ無理だ。お前みたいな、ただの教師とじゃあ勝負にならん。もやしっ子め、本当に勝てると思っているのか?」


「確かに俺はただの物理教師だ。だがな」


 物理は拳を握りしめて言い放つ。


「物理的に弱い奴に、物理教師は務まらねえ」


 傭兵がニヤッと笑い巨大な銃を構えてから、物理は気づいた。


 ここに一切の遮蔽物が無いことに。


 相手は銃火器を持っていて、こちらは素手。


 どう考えてもなす術もなく死ぬ未来しかない……


 しかし物理は相対している敵が、自分自身でもあることを知っていた。


「なぁ、あんた。俺を撃ち殺してくれても構わねえ。ただ聞いてくれよ。素手の俺を武器を使って殺してお前のプライドはどうなんだ?」


「プライドだと? 俺はただ仕事を全うするだけだ」


「いやな、お前は大量の銃を使って俺たちの拠点を襲撃しただろ? でも失敗したよな」


「あぁ逃した事は認めよう。だがミスは取り返す。ここでお前を殺し、そして逃げ出したお前のボスも殺す」


「いや残念だなぁ。お前は闘士ファイターとしてのプライドがあると思ってたんだが。なに、同一人物といえど、違う暮らしを送ってきたわけだしな。仕方ない事だよ」


 傭兵の顔が引きつり声を荒げだした。


「言わせておけばなんだ。闘士としてのプライドだと? そのヒョロい身体でよく言えたものだ。お前がどんな暮らしを送ってきたか、俺にはわかる。怠け惚けてクソを垂れ流し続ける生活だろうが。俺は違う。戦いに勝ち続けてきた。ここに来てからもそうだ」


「確かにお前に比べたら痩せて見えるだろうよ。その贅肉だらけの身体に意味があるとは思えないがね。最も効率的に力を発揮できるのが俺の今の体型なんだ。その無駄につけた筋肉はなんだよ? 見せびらかして気持ちよくなってるだけなんじゃない?」


「ごたごたとやかましい野郎だ! わかった。そこまで言うなら仕方ない。5秒で肉塊にしてやるよ。さあやろうじゃないか」


 傭兵は身体につけた装備を全て外して地面に投げ捨てた。律儀に着ていた防弾チョッキとシャツも脱ぎ、上半身裸になった。


「どれだけ見せたいんだよ」


 物理はただ単純なジャブを傭兵の腹に叩き込む。


「はぁぁぁ、その程度か」


 傭兵が物理の腹にパンチを放った。物理は部屋の壁まで吹き飛ばされる。


 物理がよろよろと立ちあがる。


 傭兵は追い打ちをかける事なく、律儀にそれを待っていた。


 さらに傭兵は二本指を立て、物理に向けてクイクイと挑発する。


 物理はあえてそれに乗り、傭兵のボディに一発入れた。ものともせず傭兵が一撃殴り返す。しかし今度は、物理が吹き飛ぶ事はなかった。


「もうそれはわかった。対応した」


 物理が先ほどと同じように傭兵の腹を殴る。傭兵が再び殴り返そうとした時、身体に違和感があることに気づいた。喉の奥から何かが込み上げてくる。


 ゴホッと液体を吐き出した。それは血だった。


「何をした……?」


「俺は頭が良いんだ。多分どの並行世界の自分よりも圧倒的に頭が良い。気にしなくて良い。お前が馬鹿だって言ってるんじゃない。ただ普通なだけだからな」


「だから何だ? 武器を使ったのか? 何をした!!」


「武器というならこの脳みそかな。全てのものは物理法則に則って動いている。それはどの並行世界でも変わらない。そしてこの世界でもな。法則は普通目に見えないが、俺には見える。そしてそれを使える。


 俺はお前のパンチを最も効率的に受ける方法と、お前に最も効率的にパンチ当てる方法を見つけたんだ。さあ殴り返してみろよ! いくら殴っても効かないぜ?」


 傭兵は物理の顔面を殴りつけた。確かにヒットしたはずなのにあまり手応えは無く、物理は平然としている。


「こっちの番だな」


 物理が傭兵の腹を殴りつけた。先ほどよりも大きな衝撃が傭兵の全身に伝わる。さらに多くの血が口から噴き出た。


「いくら分厚い鎧を着ていても、内臓への衝撃は守りきれない。どうだ? それでもまだ続けるか?」


「上等だ」


 傭兵はよろつきながらも、決して床に膝をつけることは無かった。


「やってやるよ」


 二人はひたすらに拳を打ち合った。


 ダメージを軽減しているはずの物理だったが、少しずつ蓄積してもいた。


「おい、これ以上やったら死んじまうぞ? 良いのかよ?」


 物理はなるべく殺したくなかった。だから手を止めた。


 傭兵は途切れかけた意識をなんとか取り戻して、言い返す。


「……やろうぜ。それに、何かがわかった。今までになかった感覚だ」


 傭兵の相変わらずの一撃だと物理は油断していた。しかしそれを受けた後、物理は何らかの違和感に襲われる。何かが身体の中から込み上げてくる。


 ゴハッと物理は吐血した。


「嘘だろ……?」


「俺も対応した。お前も俺も同じ人間なんだ。やって出来ないはずがないだろう?」


 瞬間、どこかで爆発が起こった。


 続けてそこら中からとても大きな振動と音が断続的に鳴り続けた。


 一瞬動きを止めた二人だったが、それでもまた殴り合いを始めた。


 互いに時間という感覚も無くなるほど、二人が混ざり合い一つの塊になるほどに、ひたすらに殴り合った。


 今度は凄まじいほどの赤い光が部屋を貫通していったが、それでも二人は辞めなかった。


 誰かがそれを止めるまでは。

 




 無職は猛獣使いと虎と共に、ひたすらに山を登っていた。猛獣使いは島の地理に詳しく、船長に貰った地図を見せると話は早かった。


 先ほどから地震が多く、二人の安否が心配な無職だったが、死んでいった探偵と洞窟でした会話をずっと反芻していた。



 クレイドルを待ち受けるべく、準備していた時のこと。


「なあ無職、お前は船長を信じるか?」


 探偵が急に言い出した。


「100パーセント信じてはいないが、別にそんなに怪しむ理由もないよな」と無職は答えた。


「正直こんな時に言うのもなんだが、俺は少し疑い始めている」


「なんだよ急に」


 探偵は料理人から聞き出した情報を、かいつまんで無職に話した。無職は頭を悩ませながらも、探偵のフォローでなんとか内容を理解することができた。


「それで、これがこの世界に来てからずっと書いている手帳だ」


 探偵の手帳を、これもまた無職はうなされながら読んだ。わからない部分は探偵に聞いた。


「どう思った?」探偵が尋ねる。


「どうもくそも難しい話だ……。船長を怪しむ気持ちもわかるが、本人に聞けばよいんじゃないか?」


「そうだな。帰ることができたら聞こうと思っている」


 続けて探偵はこうも言った。


「俺に何かあったら、探偵役を引き継いでほしい。お前にはそれができるはずだ。見込みあるよ」 

 

 本当にが起こってしまったわけだが、無職はなぜこんなにも探偵から信頼を得てしまったのかが、不思議だった。


 そして死ぬ間際の探偵から受け取った言葉もある。オレは身の振り方を考えなくちゃならなくなったわけだ。



「考えることが多すぎるぜ」


 無職はぼやいた。そしてなんとなく気が向いたので猛獣使いに質問してみようと思った。 


「家に帰れたら何したいとかあるのか?」


 猛獣使いは憮然と答える。


「白と一緒に入れたらそれで良い」


「へぇ〜。付き合いは長いのか?」


「十歳の時からだから、もう二十年近いな」


「長生き過ぎねえか? 寿命もっと短いだろ」


「この本のおかげかもしれない……」


 猛獣使いは真っ黒な本を指して言った。 


「それだ……。それは一体なんなんだよ」


「ただの知識でもあるし、一つの神でもある」


「ひゃ~意味わかんねえ。お前は猛獣使いというよりマジシャンだな」


「そんなことを言うならお前は無職じゃなくて殺し屋か?」


 再び沈黙が流れた。無職はやはり自分の過去と向き合わなければならないと思っていた。しかし過去を思い出すと、どうしても頭に霧がかかったような感覚に陥る。


 確かに自然に人を殺せるし、罪悪感はほとんど無く、ただぼんやりとそれを抱くことを義務としているだけのような気もする。


 やはり殺し屋だったのだろうか……?


 いやそれか傭兵?


 変態殺人鬼だけは勘弁だ。


「それがわからないんだ……あまり思い出せなくて」


「まあ良い。そんなに思いつめるなよ……お、着いたぞ」


 そこには木造の小屋があった。無職が以前住んでいたロッジよりも格段に小さくて安っぽい。 


「ありがとう。これでスリを助けに行ける。あと道化師も」


 無職は礼を言って別れようとしたが、猛獣使いが声を上げた。


「ここに道化師がいるのか?」


「ああ、ここじゃなくて。地図にあった廃墟の『口』へ、スリを助けに行った」


「なるほどな……」


「気になるのか?」


 猛獣使いは少し思いつめた表情で「ああ」とだけ言って、その場から去った。


 無職には何が何だか分からなかった。

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