第9話 鉄槌が面を穿つ
地主は後悔していた。老いたスリがここまでする事を一切予見できなかったからだ。ただのしょぼくれた老いぼれだと侮っていた。
地主の部屋の中央には大きな椅子と机のみがある。そこで地主はふんぞりがえって考えていた。しかしただの老人にすぎないと。
こちらには傭兵から借りた武器がある。やつはただの金槌だ。負けるはずがない。それなのに全身から冷汗が止まらない。何か超自然的な感覚が自らに警告しているとでも言うのだろうか。
部屋のドアが開いた。
とうとう老いたスリが来たのだ。
「なあスリよ、ここらで手を打たないか? 俺もここにいる仲間を十人以上失った。お前も一人失った。まあそれだけじゃないか。もうこれで手を打とう。それに、復讐なんかしても虚しいだけだぞ……」
老いたスリは息を上げ、それを押し殺すように喋る。
「お前は許さん……これから殺してしまうのも惜しいほどだ」
「いやいや待ってくれ。なぁ、許してくれよぉ……お前そんなキャラじゃなかったろ? 今まで騙してたのか? 我関せずって感じで、孤高の平和主義者を気取ってたくせによ!」
「若さは可能性だった。若いのには未来かあったんだ。俺らみたいな年寄りと違ってな」
「お前だけだろう六十超えた年寄りは!! 俺はまだ四十五だぞ!! 俺だって可能性はあるだろ? それを摘むつもりか?」
老いたスリは少しずつ歩み寄った。
地主の身体が強張る。
「あんな殺し方をしやがって、お前は人間じゃねえ」
「そ、い、いや、あれは医者がやったんだ! 俺じゃない。俺はちょっと釘を刺してやっただけだ」
「なるほど医者か…… まあ、お前如きにあんなことはできないと思った」
「なんだと、この野郎! 馬鹿にしやがって」
「お前はただの寄生虫だ。お前は税務官に認められて組織に入ったとでも思っているだろうが、ただの捨て駒にすぎない。俺が引導を渡してやるよ」
「許さん!!」
地主は隠していた拳銃を机の裏から取って、老いたスリに向けた。
即、金槌がその手を打ち砕いた。
「うがぁぁぁぁぁ!」
「今からお前の四肢を全て破壊する。実行したのが医者だったとして、お前も同罪だ。苦しんで死んでもらう」
「う、う、うおおおおお」
地主は左手で何かを握っていた。
そしてそれを机の上で広げてみせた。
「し、しねよ!!」
それが手榴弾であることに気づいた。老いたスリは両の金槌を机の角に引っ掛けて、ひっくり返し地主側に押し付けた。
爆発は机ごと、老いたスリを部屋の外まで吹き飛ばした。
意識が朦朧とする。いくつもの木や金属の細かな破片が身体中に突き刺さっていることがなんとなくわかる。
立ち上がらなければ。
なんとしてでも医者を殺さねば。
ようやく立ち上がることができた。ふらふらして身体が思うように動かない。絶え間なく、果てのない痛みが全身を襲っているが、こんなもの若いのが受けた苦しみに比べれば、と思えば老いたスリは耐えることができた。
よろよろと壁にもたれながら移動しようとしたその時、突然訪れた紛れもない殺意。
老いたスリは廊下の向こうを見た。
そいつは警察官の制服を着ている。
「こんなところでポリ公が何の用だ?」
「うむ、悪質なスリがいると通報があってな。来てみればなんだ、ただのボロ切れみたいな老人じゃないか。一方的に虐めるのは大好きなんだ。屠ってみせよう」
ひとまず老いたスリは手元を確認した。一本の金槌は無事だったが、もう一本は柄しか残っていなかった。
老いたスリは自らを鼓舞するために叫んだ。ここで動かねば死しかない。
金槌の柄を警官に放り投げる。警官はそれをなんなくキャッチした。
そのまま床に放り投げて、老いたスリを挑発した。
まんまと乗った老いたスリは距離を詰めようとするが、足がもつれて転倒する。
「おいおい、じいちゃん? 大丈夫?」
警官はケタケタと笑っている。
老いたスリは心臓の様子がおかしいことにも気付いていた。
ここで終わりか……
復讐すらままならなかった。この人生は俺にとって扱い切れるものではなかったのだ。
鼓動は速くなったと思えば急に遅くなり、老いたスリは生きることを諦め始めていた。
「うむ、あっけなくて残念だが、仕方ない。トドメはこの金槌で刺してみましょう」
警官は老いたスリの手から金槌を奪った。
「公務執行妨害で処刑!!」
まさに金槌が振り下ろされようとした瞬間、警官の顔面には衝撃が走り、吹き飛ばされた。
警官は自分に何が起こったのかさっぱり理解できなかった。自分の顔面に叩きつけられたのは、見間違いでなければ人の拳だったからだ。
「やあ老いたスリ! 元気そうで何よりだ」
道化師は老いたスリの元へ寄って「生き返れ!」と指先から出た注射針を、壊れかけの心臓に突き刺した。
老いたスリは「ぷはぁ!」と言いながら起き上がる。
「なんてこった道化師。助かったよ」
「こんなところで死んでる場合じゃないもんね! さあ早く逃げよう」
「おいおいおい!! 貴様ら許さん!!」
警官はよろよろと立ち上がり、二人の方に銃を向ける。
「公務執行妨害×2だ!! 許されない!! 貴様らは惨殺処刑だ!!」
道化師は真っ赤な付け鼻を警官に向けて投げた。その丸い付け鼻はすごい速度で巨大な風船のように膨らみ、廊下を塞いだ。
「今のうちだ、逃げるよ」
道化師が先導して、老いたスリが後を追う。二人はエレベーターのある部屋に向かっている。
「なあ道化師、なんでだろうか、今までで一番体調が良いよ。若返ったみたいだ」
「それはアドレナリンとか、色々と入れたからだと思う!! 効果は持って一時間だね」
「そうか、ありがとう」
到着した部屋から、エレベーターに乗り込む。しかし扉が閉まる直前、追いついてきた警官が無理矢理扉を開いた。
「本官を巻けるとでも思ったか!! 不可能だ!! 絶対逮捕!! 絶対処刑!!」
警官は拳銃を二発撃った。その二発は二人の頭に向かってまっすぐ飛んでいったが、道化師の機械仕掛けの左腕が伸びて、それらを弾いた。
「なんだ貴様!! 化け物め!!」
警官はエレベーターの中にそのまま入り込んだ。扉が閉まり、上層へと向かい始める。
老いたスリは警官の頭に金槌を叩き込もうとしたが、あっけなく警棒で止められる。道化師も右肘の断面より飛び出した仕込み刀で、警官を刺そうとするも、見事に避けられた。
狭いエレベータの中で、二人は絶え間なく警官に攻撃を浴びせたものの、全てかわされる。まるで風に揺られる洗濯物と戦っているようだ。
エレベーターが目的の階に着いてドアが開いた。
「ゴミども、到着だ」
警官が軽やかな足取りで外に出る。老いたスリと道化師には少し疲れが見えていたが後を追った。
道化師が警官に向けて全力で仕込み刀を振り下ろす。警官は警棒でガードした。
「老いたスリ! 先に『口』へ向かってくれ!」
老いたスリは一瞬残って戦おうか考えたが、復讐が全てに優先すべきだと考え直した。
制限時間は一時間しかないのだ。
「ありがとう」
老いたスリは先に向かった。
道化師はまずスプリング状の足で跳躍し、警官の背後に周り、殴りかかった。
警官は何事もなく避けたうえに道化師の顔面に拳を叩き込んだ。道化師にとって久々の痛みだった。警官は追い打ちをかけるように警棒で道化師を叩きつける。
道化師は警官の顔面に向けて左手に仕込んだガスを噴射する。警官が仰け反った瞬間、体勢を整えて、右手の仕込み刀で切り付ける。やはり警棒でガードされる。
その瞬間、道化師の仕込み刀が天井に向けて発射された。そしてそれは天井で跳ね返り、警官の頭にぶっ刺さった。
警官は「おや、おやおや」と呟きながら、ふらふらし始める。しかし何事もなかったように、気をつけして敬礼した。
「化け物の分際で人間様には向かうな! もはや人間の法では裁かない! 俺の法律で貴様を処刑する!」
「化け物はお前だろ!」
道化師はバネ足で跳躍する。狭い部屋の中で跳躍し続ける。どんどん速度が上がっていく。
そして目で追い切れないほどの速度になった道化師は警官に向けて突っ込んだ。
警官は「ぐぇ」と言って倒れた。
一方、老いたスリは怪しげな男に道を阻まれていた。
誰がみても怪しげな装いだ。白装束で長い髪、妙な仮面を被っていて、何やら首元に大量のネックレスをつけている。
「我が名は
「なんでこんなヤツばっかりなんだ」
老いたスリは祈祷師の脳天に向けて金槌を叩きつける。間違いなく命中したはずだったが、外れた。
いや、当たったはずだ。
なんと老いたスリには祈祷師が二人いるように見えていた。二人は重なったり離れたりを繰り返している。
「わが術にはまったな、ふふふ、貴様の目に映るすべてが幻だ!! なぶり殺してくれよう」
確かに目に映るものは異常な景色だった。祈祷師は膨らんで分裂したり、極彩色に点滅しながら回転している。
ならば見なければ良い。
「ほらほら! 死ねェェえ!」
祈祷師が白装束の裾から小刀を取り出して老いたスリに切りかかった。
しかし金槌が祈祷師の頬を叩きつけ「ごべっ」と言い這いつくばった。
「なんで、当たるんだよぉぉ?」
「しゃべりすぎだ」
トドメを刺して死体が消滅すると、視界の異常も消えた。おそらく祈祷師はこの部屋に幻覚作用のあるガスをばら撒いていたのだろう。そして奴は顔につけたマスクでそれから逃れていた。まあ、もう済んだことだが。
老いたスリは急いで『口』に向かった。
♦
詐欺師はもう、逃げるか逃げないのかをひたすらに考えていた。今更アルカトラズに寝返ったとして、快く受け入れてもらえるわけがない。
それにあの船長とかいうふざけた奴が税務官に勝てるわけがない。税務官には歯向かわない方が良いと分かっているのにもかかわらず、身体は逃げ出そうとしている。
ここの保管庫には、さまざまな『土産』が預けられている。それはあまりにも大きすぎるものや、余ったものを預けておくためだけの場所ではない。
それはゼロサムの人員の生死を判断するための材料となっている。本人が死ねば、元の世界から持ってきた『土産』も消滅するから一目瞭然だ。
それを管理するのは、詐欺師の仕事の一つだった。
だがいつの間にか、大量の『土産』が消滅していた。
それは全員、第三地区で暮らしていた奴らのものだ。
税務官にそれを報告するときのことを考えると、詐欺師の胃は張り裂けそうなほど痛くなる。
きっと第三地区はもうダメだろう。本来、税務官の命令で第三地区に向かうのは自分のはずだったが、嫌な予感がしたため、警官と祈祷師を騙して向かわせた。
先ほど祈祷師の預けていた白装束の欠片が消滅した。
終わりか……
詐欺師はとある場所に向かっていた。
もうこれしかない。到着したのは中央制御室だ。
「庭師、ボスからの命令だ。第三地区をパージしてくれ」詐欺師が平静を装って言った。
「は? 今パージって言いましたか?」庭師は困惑する。
「その通り、これはボスからの命令だ。早急にパージしろ」詐欺師は渾身の演技をした。
詐欺師には、もうこれしかないという筋書きがあった。
狂気に落ちた庭師が第三地区をパージしようとする。それに気づき、急いで止めに行った詐欺師。しかし惜しくも間に合わず第三地区は完全に消滅してしまう。詐欺師は庭師を殺して税務官に報告する。
与えられる赦し。助かる命。
これしかない……
「そうですか……へいへい。お待ちを……」庭師は慣れた手つきで制御パネルを操る。
巨大な画面には『第三地区を
庭師は『YES』を選択する。
「本当に良かったんですか……?」
「問題ない」
問題ないわけ無かった。
さあ、庭師を殺そうかと彼の身体をじっと見る。
引き締まった筋肉質な体型、太く鍛え抜かれた腕が目に入る。
よし。決めた。
「ご苦労」と詐欺師は言って中央制御室を後にした。
その足取りで走って逃げ出した。
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