第6話 憎悪培養者

 エレベーター内の死体が消滅したとき、丁度目的の最下層である12層に着いた。


老いたスリは開いた扉から飛び出した。誰もいないことを確認し、目的地に走り出す。扉から扉へ、部屋から部屋へ移る。心臓が脈打つ。


 頼む、生きていてくれ。


 長い廊下の先、目的の部屋の前には銃を持った護衛が二人いた。突然目の前に現れた老いたスリに二人とも反応が遅れた。


 老いたスリは手前の男の耳に金槌を叩きつける。攻撃は内耳にまで届き、男は平衡感覚を失い倒れた。老いたスリはもう一本持っている金槌を、トリガーを引こうとしている、もう一人の男の指に投げつけた。


 指はあらぬ方向に傾き、男は悶絶している。金槌で脳天を砕く。


 平衡感覚を破壊した男のとどめも刺しておく。ここまでは完璧だ。


 目的の部屋の前で立ち止まり呼吸を整える。

 

 おそらくこの中に若いのがいる。


 老いたスリは突入した。


 老いたスリにはが見えた。身体が震える。あらゆる激情がその身を支配する前に、あくまで冷静に話しかけた。


「なあ若いの。助けにきた。逃げよう」


「……? もしかしてじいちゃん?」


「あぁ、そうだ」老いたスリは駆け寄った。


 若いスリは鎖に吊るされていた。ただし四肢は切断され、それぞれの断面に鎖が繋げられている。まるで磔の様になっていた。両の眼は縫い合わされており、流れ出す血がまるで涙の様にみえた。


「今降ろしてやる。じっとしろよ」


 鎖が張り付けられている壁の金具を素早く金槌で破壊する。一点破壊するごとに鎖は緩み、若いスリの身体は地面に倒れた。


「なぁじいちゃん。さっき言ったのごめん。本心じゃないんだ、つい……」


「そんなの別に気にしてない。大丈夫だ。もう、大丈夫だ」


 涙が溢れてきた。老いたスリは自分の中の何かが崩壊していく感覚を覚えた。


「なあ若いの、帰ったらゆっくり話をしような。帰ろう」


 老いたスリは床に倒れた若いスリを抱きかかえようとした。しかし何か妙だ。若いスリが小刻みに震えている。


「大丈夫か!」


 若いスリは何かを喋ろうとしているが、震えが酷くて声が出ないようだ。その振動は徐々に加速していく。


 老いたスリは明らかな違和感に気付いた。それがただの震えではないことに。


 若いスリは爆発した。血肉が部屋中に、老いたスリの身体にかかる。


 老いたスリは暫くぼおっと突っ立っていた。やがて飛び散った血にも、肉片にもモヤがかかっていく。老いたスリはそれが涙で掠れて見えにくくなったからなのか、それとも全てが喪われてしまったのか、わからなかった。


 ただその部屋には老いたスリだけが残された。それだけだった。





 無職はさっぱり状況を理解していなかった。突然の襲撃の後、謎の光に包まれコロニーと呼ばれる場所に転送された。


 転送された部屋は無機質で生活感がなかった。ただ部屋の中央に『口』とよばれる突起があるだけだ。


 船長曰く、ここから出るにはそれに手をかざすだけで良いらしい。入るためには先ほどのように鍵を使わなければならない。鍵は使い切りなので、回数には限りがある。だからコロニーへは非常時のみ来る事になっているらしい。


 傭兵たちが鍵を持っていた場合も考慮し、すぐ部屋から移動を始めた。


 扉を潜り別の部屋へ移動する。部屋の広さはどこもほとんど均一で、どの部屋にも四つ扉があり、それがまた別の部屋へと繋がり、かと思えば長い廊下があったり、迷わずにまっすぐ進んでいることが信じられない。


 地図があったとしても一人なら迷って餓死するに違いない。皆が黙々と足を進めるなか、無職はつぶやいた。


「なあ何もわからないんだが、これは現実なのか? こんなこと……ありえないだろ?」


「そうだね。現実ではないとも言える。だけど間違いなく一つだけ現実リアルがある。それは死だ。そして私たちの生」船長が言った。 


「は……? 難しい言い回しするなって。聞いてると頭が痛くなるからな。今にも割れそうだぞ……それに一つだけわかってることがある。オレは死なない」


 船長はなるべく呆れた顔をしないように努めた。物理はため息を吐き、道化師は笑っている。


 そしてエレベーターに乗って下っていく。とある部屋に着いた。そこには何やら複雑そうな機械がひしめきあっていた。まるで息をしているようだ。


 突然ランプが点灯した。船長が何やら複雑な機械についたパネルを操って答えた。


「こちら船長」


「船長? こちら老いたスリだ」


「老いたスリ、よくやった。潜入に成功したようだな」


「料理人が裏切った」


「そうか……。それで他の二人は?」


「探偵は負傷したため地上に置いてきた。若いスリは……」


 暫し沈黙。


「残念だよ。それで、18はいたか?」


「指定されたエリアに向かったが、いなかった」


「すぐ帰還してくれ、と言いたいところだが地上の臨時拠点はもう危ない。襲撃があったんだ。ポイント5は覚えているか?」


「なあ船長、若いのが死んだんだ」


「ああ、分かっている」


「俺は今までアイツに何もしてやれなかった。もらってばっかりだった。だからよ、このまま帰るなんて考えられねえ」


「老いたスリ、よく考えてくれ。今はこらえて、すぐにその場から逃げるんだ」


「すまねえな船長、迷惑をかけちまうことになるが、俺は降りさせてもらう。やらなきゃいけないことがあるんだ」


 ランプの光が消えた。通信が切断されたのだ。


「これは想定外だ」船長が呟いた。


「おい船長さんよ」無職は単純に疑問を投げかける。


「オレはさっきの老いたスリってやつを良く知らねえが、ひどく悲しんでいたな。なんで逃げないんだ? 裏切られたし、敵地にいるんだろ?」


「老いたスリは、きっと復讐を果たすつもりだろうな。敵地のど真ん中で」


「そりゃ見上げた奴だな。ちょっともらい泣きしそうだぜ……」


「馬鹿にしてんのか?」と物理が言ったのと同時に「助けに行っても良いかい?」と道化師が言った。


「それは厳しいな……もうこれ以上戦力を失うわけにはいかない」と船長が返す。


「じゃあオレも行く」と無職は言った。


 無職は老いたスリの言動に心から感動していた。だからこそ一目見たいし、力になりたいと思ったのだ。


 船長は考え込む。


「それは……案外悪くないかもな」


「え? 本気ですか?」物理は信じられないようだ。


「正直今のままじゃ手詰まりだ。二人には別の『口』から出て、第二、第三地区へ向かってもらおう」


「それは今老いたスリがいるところなのか?」無職が聞いた。


「後に向かうところだよ。挟み撃ちをする形になる」と船長が言いながら、素早く地図を書いて無職に手渡した。


「この島の地図だ。星をつけた場所に向かってほしい。それとこれを」


 船長が鍵を無職と道化師に二つずつ渡し「無駄使いするなよ」と念を押した。


「もちろん!」


「まかせとけ!」


 二人はコロニーの外へ向かっていった。





 詐欺師は焦っていた。傭兵の襲撃が失敗に終わり、税務官は明らかに気が立っている。


 その上、さきほど料理人の置いて行った小ぶりな包丁が消滅していることを確認した。つまり料理人は死んだということだ。


 その前に地主からはスリ二人を捕まえたと報告を受けている。つまり料理人は裏切りを果たしたのちに何者かに殺されたことがわかる。


 スパイを失ったのはかなりの痛手だろう。だがら詐欺師は、そのことを税務官に報告せざるをえなかった。


 税務官のいる部屋の前でしばらく立ち止まって考えていた詐欺師であったが、意を決してノックし、中に入る。


「失礼します。報告なのですが、第三地区担当の地主がスリ二人を捕まえたそうです。あと料理人ですが消滅を確認しました」


「料理人、やつも気の毒だな。着く側を間違えるとこういう事になる、なあ詐欺師よ」


「はい、おっしゃる通りにございます」


「予想外の出来事も幾つかあったが、概ね計画通りだ」


「それはそれは」


「もうすぐ18の起動鍵の摘出が終わる」


「なんと?! もうですか?」


「ミスすれば全員死ぬ。医者の腕と、科学者の作った装置に全てかかってるわけだ」


「つまりあとは船を奪うだけと?」


「そう、時に詐欺師よ。船の位置を割り出せと前から言っていたが、どうなっている?」


「は、はい……その、なにもまだ手がかりが得られておらず……」


 税務官が立ち上がり、詐欺師に歩み寄る。


「す、す、申し訳ございません。しかしですね、お言葉ですが、ひとつ聞かせてください……! それほどの巨大な船を収容する場所など本当にあるのでしょうか?」


 詐欺師のすぐ目の前に税務官が立っている。同じ顔、同じ背丈のはずだが、なぜこんなにも恐ろしいのだろうか。詐欺師は身体の震えが止まらなかった。


「まあ落ち着けよ、詐欺師。お前の探索能力は当てにしているんだ。誇りに思っても良い」


「は、はぁ……」


「つまりだ、お前に見つけることができなかった。それが答えということだ」


「……つまりどういう?」


「もうすぐこのゲームは終わる。詐欺師よ、お前は第三地区に向かい料理人を殺した奴を見つけるんだ」


「は、了解しました」


「それとお前、しょんべん臭いぞ。二度と漏らすな、良いな?」


「ひ、はい」今日もなんとか生き延びた詐欺師であった。

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