第4話 死が這ってやって来る

 ここ数日ずっと野宿が続いていた。疲労困憊の四人は山道を歩いている。


「もう無理、限界だ。足が言うことを聞かない」若いスリが弱音を吐く。


「若いの、弱音を吐くんじゃねえ。もう少しだ」老いたスリが、いつものように励ました。


「じいちゃんもキツそうじゃないか、そろそろ休もう……」


 若いスリにとっては周りで人が死にまくり、自らもそれに脅かされている日々よりも、足が痛む今の方が何よりの問題だった。


「ここまで長かったが、もうすぐで着く。なぁ探偵」老いたスリは探偵の方を見て言った。


「ああもうすぐだ、スリたちよ。これで張り込みや偵察、薄汚い野宿の日々にピリオドを打てる。ほら見えてきた」と探偵は余裕ぶって言う。


 先頭の料理人が立ち止まって残る三人を見ている。口に人差し指を付けて、静かにしろと訴えかけた。


 料理人は草木をかき分けて先へ進む。そこには廃墟になって久しい木造の巨大な建物。旧公民館があった。


 事前偵察の成果で、そこに『口』があるのは間違いなかった。警備は四階建ての各階ごとに一人ずつ、もし真面目に命令を守っているとしたら巡回しているはずだ。


 料理人は後ろを向いて三人に手短に指示を出した。


「事前の計画通り、一階正面入口の階段から各々が指定の階へ移動、警備がいたら対処する。全てを無力化してから『口』を掘り出す」


「了解」と三人が答える。


 全員が堂々と正面入口から中に入る。鍵もかかっておらず、人の気配はしない。


 他の三人が階段で上に移動するのを見送って、若いスリは一階を探り始める。部屋は一階につき六部屋、中央の階段から両端に向けて長い廊下があり、左右それぞれに三部屋ずつ並んでいる。


 若いスリはゆっくり深呼吸して落ち着こうとした。よく考えたら足が痛いなどと気にしている場合ではない。もしかしたらここで死ぬかもしれないからだ。


 そして息を殺し、誰にも気付かれない様に行動しなければならない。それは本来、若いスリの得意とするところだった。


 一部屋目ずつ慎重に見て回る。


 しかし誰もいない。そもそも部屋に物自体ほとんど置かれておらず閑散としていた。


 結局、一階には誰もいなかった。


 そのはずだったが、丁度若いスリが中央の階段から二階へ向かおうとした時、入口から男が中に入ってきた。


 しまった……マズい。鉢合わせてしまった。


 コイツが何か喋る前に無力化しなければならない。


 しかし、彼はただのスリだった。普通に戦っても勝ち目はない。


「よう休憩か? 急にボスから増援の要請があってさぁ。大変だったよ」若いスリは一か八かで普通に話しかけるしか無かった。


「あ? お前見ない顔だな?」


 そいつは手に持った拳銃をこっちに向ける。


「おい、手を挙げな。何者だ?」


「おいおいおい! 物騒だな。聞いてないか? ボスからの要請があったんだって。ここに敵が来る可能性があるらしいんで、呼ばれたのによお、そりゃないぜぇ」できる限り若いスリはおどけて見せた。


「いいや、お前の顔は見たことねえ!」男がさらに近寄り、拳銃を若いスリに向けた。


「いや俺ら同じ顔じゃねえか! はるばる北の港からここまで走ってきたんだよ。休ませてくれ。こっちはクタクタだ、勘弁してくれ」


「北の港だぁ……? 騙そうったってそうはいかねぇ! さっきからごちゃごちゃ喋りやがって!」


 男がまさに引き金を引こうとした瞬間。若いスリはすでに動いていた。距離は十分引きつけていたので何も問題はなかった。


「おいお前妙な動きはするなよ! ん……? あれ?」


 男の手にあるはずの銃がなかった。


 そしてそれを握っているのは若いスリだ。


「スリに獲物をもって近寄りすぎるなんて、サメの泳ぐ海に血まみれの足を突っ込むぐらい危険なもんだぜ……どう? 決まってる?」

 



 二階に到着した料理人は腰に刺している包丁を抜いた。


 彼の『土産』は調理道具だった。その中で唯一手元に残っているのは、一振りの包丁『椎霧つちきり』のみだ。


 彼にとっては大切な調理道具だった包丁も、ここに来てからは身を守る武器になった。


 彼は無駄な命は奪わない。食べることができないものは殺さないと決めているからだ。


 そう、だから彼はそこにいた男の手足の腱を的確に削ぎ落とした。一滴の血も出なかった。料理人は何よりも肉の扱いを心得ていたのだ。




 三階を担当したのは老いたスリだ。彼はまったく争いなどしたくはなかった。人を殺すなんてもってのほかだが、いざとなればという覚悟はできていた。


 良くしてもらった船長には恩義を返したい。そしてなにより若いスリには無事にこのゲームから脱出してほしい。


 それが彼の動力源だった。


 彼にはいくつかの技能があった。そのうちの一つに、誰にも気付かれないよう気配を消すことが挙げられる。まるで透明人間のように……


 それはかつてスリに役立ったが、今はそうではない。


 二つ目に入った部屋には見張りの男がいた。男は扉が空いたことに気づき「誰かいるのか……?」と不安げに呟いた。


 老いたスリはじっとして動かない。


 男は扉が開かれたことには気付いたが、部屋の中に老いたスリが入ったことにはまったく気付かなかった。


 男は外を覗き見て、おかしいなという顔をして扉を閉めた。


 そして扉を閉めた瞬間に男は意識を失った。老いたスリの金槌は確実に男の頭にヒットした。


「命までは奪わねえ……安心しな」

 



 四階には探偵が向かった。彼自身、昔格闘技を少し齧っていた程度で、向こうが武装していたら逃げようかな、などと思っていた。


 しかし、ばったり廊下を見回っている巨漢と鉢合わせてしまう。


 顔を迎え合わせた二人。一瞬の静寂。


 先に動いたのは探偵だった。右手のジャブが相手の顔面に命中する。


「ふっ……先手必勝さ」


 決まったな、と探偵は思った。


 しかし相手は倒れるどころかびくともしなかった。


 巨漢はニヤリと笑って、探偵にお返しをお見舞いした。


 探偵は遠くまで吹き飛ばされた。まるで小さな自動車が顔面と衝突事故を起こしたようなものだった。


 彼は痛みよりも、自分の顔面がどこかに行ってしまったのではないか不安で仕方なかった。触れて確かめると、どうやら問題なく本来の場所に顔面がついているようで安堵する。


 探偵がゆっくり起きあがろうとすると、巨漢の鋭い蹴りが腹に炸裂した。内臓が二、三個破れた様な気がしたが、これもきっと気のせいなんだろうと探偵は思った。


 止まない猛攻に、探偵は蹲って耐えるしかなかった。


 早くきてくれ誰か!!


 まず最初に動いたのは料理人だった。巨漢の心臓に狙いを定め、包丁を突く。それは巨漢の逞しい右腕によって拒まれた。刺さった包丁が右腕から抜けず、料理人はまずいと感じた。


 しかし既に遅く、料理人は巨漢の蹴りにぶっ飛ばされた。これもまた遠くまで飛んでいった。


 次に仕掛けたのは老いたスリだった。彼は一番最初に四階に到達していたが、しばらく気配を消して様子をうかがっていた。


 そしてまさに今、巨漢の背後を取り、金槌を頭に向けて振り下ろしたはずだった。しかし男はそれを容易く止めた。


「なに……」


 巨漢は金槌を振り払い、背後にいる老いたスリの腹に肘を打ち込む。老いたスリは一瞬呼吸できなくなった。うずくまったまま苦しむだけで反撃などできない。その間にゆっくりと巨漢は転がった金槌を拾い上げて、老いたスリに向け振り下ろそうとした。


 パン、と破裂音が鳴り響く。


 何かに気づいて巨漢は振り向く。


 再びパン、パン、パンと音が鳴り、巨漢は胸に手を当てた。ぬるぬるとした血が溢れ出ていた。


「ヴァァァァ!!」と雄叫びをあげて巨漢は明後日の方向に走り出した。


 そこには窓があり、巨漢はガラスを突き破り下に落ちて絶命した。


「あっぶね~」若いスリは余裕に振舞っていたが、ずっと震えた手で銃を握ったままだった。




「たぶんあいつは『用心棒』だろうな。とんだ化物もいたもんだ……自分自身だとは信じられないね」探偵は落ち着き払ったふりをして言った。


 どうやら肋が二、三本折れていて、鼻も変な方向に曲がっている。サングラスも粉々になっていたが、彼はあくまで冷静に振る舞った。


「おい、若いの。大丈夫か?」老いたスリは、若いスリが銃を使ってしまったことを心配していた。


 若いスリの右手にはまだ銃を撃った感覚が残っており震えていた。


 人を撃ち殺したという事実が右手に重くのしかかっている。


「大丈夫なわけないだろ! あんたとは違うんだ!」思わず若いスリは吐き出してしまい、少し後悔した。


 老いたスリには返す言葉も無く、しばし沈黙が続いた。


 料理人が立ち上がって言う。


「無事ここは無力化できた。脱出への一歩だ。さあ『口』を掘り返しに行こう」


「俺は後で行くよ。しばらく動けそうにもない」と壁にもたれかかった探偵が言った。


「気をつけろよ」と老いたスリが言い残し、三人は目的の場所に向かった。




 一階の右から二番目の部屋に入る。床板は簡単に外すことができた。床下には既に穴が掘られており簡易的な梯子がかかっている。


 まず最初に料理人が降りる。次いで若いスリ、老いたスリも降りた。穴の中はそれなりに広く作られており余裕がるつくりだ。そこには薄ぼんやりと紫色の光が広がっていた。


 その光源には金属の突起物があり、その先端に料理人は鍵を刺した。

 光に包まれて転送が始まる。


「罠の可能性もある。全員警戒しておいたほうが良い」と料理人が注意した。


 スリ達も身構える。


 


 転送先は第三地区の1B-21だと老いたスリは記憶していた。


 その部屋はかなり広い無機質な立方体で、中央に刺さる突起の周りに三人はいた。 


 罠どころか人の気配さえなかった。部屋の材質はすべてくすんだ鉄か鉛のような金属で、四方にドアがある。


 若いスリは窓のない部屋を、どうも息苦しく感じていた。


「誰もいないな……」老いたスリは呟いた。


「あぁ、船長の目論見通りというわけだ。向かう先は9層だ。またしばらくの移動になる」と料理人が言う。


「はぁ、また移動か……」と若いスリがぼやいた。


 料理人の後を追い、ドアを抜けて部屋から部屋へ移動を続ける。


 どこもまったく同じ部屋に見える。


「なんか気味が悪いぜ、ここ」と若いスリがこぼした。


「何人もここで死んでるんだから当たり前だ」と料理人が返した。


「……何があったんだよ?」若いスリはおそるおそる聞いた。


「まあ大きな暴動みたいなものがあったんだ……」料理人は何か虚しそうな表情をした。


「そんな話聞いたこと無いな、いつあったんだよそれ?」何にも気づかず若いスリが続けて聞いた。


「ずいぶん昔のことだよ。まあ気にするな。死んだら跡形も無く消えちまうのに、何かが残っているのか、それを感じ取っちまうんだから不思議なもんだよな」料理人はやはり何か意味深な表情で言った。


 やがて少し今まで通ってきたものとは少し違う扉が一つある部屋にたどり着いた。

 厳重そうなその扉は右側にパネルがついている。


「ここからエレベーターに乗り目的の階層まで向かう」パネルを操作しながら料理人が言った。


「こんな目立った移動しても良いのか? さすがにバレねえ?」若いスリが聞いた。


「問題ない。ここに入れた時点で勝ちは近い。逃走経路もバッチリだ」


「てか何で電気通ってるだ? 自家発電?」


「俺に言われても知らん」


 扉が閉まり、料理人がエレベーター内のパネルを操作する。問題なく作動して三人は下に降りていく。


「さっきの話だけど、何でそんなにここの事情に詳しいんだ? まるで見てきたみたいに」


 若いスリが尋ねた瞬間、扉が開く、目的地についた様だ。


 複数の男達が銃口をこちらに向けていた。


「しまった! 罠だ」


 老いたスリはエレベーターのパネルを押すが一切反応しない。


「ご苦労」銃を抱えた男たちの中央にいる、脂ぎった中年男が言う。


「てめぇ地主の野郎……!!」若いスリが激昂した。


「こんなところに一体何の用かね? まったくお前の間抜けヅラを見れて嬉しいよ。再会を祝おうじゃないか」地主はニチャニチャと脂ぎった笑みを振りまいている。


「なんでだ……作戦は上手くいってたはずなのに」若いスリは愕然とした。


「お前ら揃いも揃って間抜けなダボだなぁ。な? 料理人」地主は料理人の目を見て言った。


「料理人……?」


 若いスリは、もしかしてと思い始めた。なんてことだ……


「すまない。目的のためだ」料理人は地主の方へ向かった。


「テメェ裏切りやがったな! クソ!」


 若いスリは奪ってきた銃を取り出そうとしたが、周囲にいた男達に頭を殴られて気を失った。


 老いたスリも金槌を取り出そうとしたが間に合わず、頭を叩きつけられて気絶した。


「老いぼれは上に運べ。若いやつは尋問部屋に」


 地主は笑った。


 


「何でこんな目に遭ってるのか理解しているか?」


 地主は若いスリを鎖で縛り、足の爪の間に釘を押し込みながら喋る。


「お前のせいで俺はアルカトラズを出ざるを得なかった。お前の偽善のせいでな! ここは良いぞ。あの船長もいねえしな!」


 若いスリは痛みに耐えて言い返す。


「カスがよく喋るな……俺のせいにしてんじゃねえ、盗人がよ!」


「盗人はお前だろうが!! スリのくせしやがって!! オレはドデカい土地を持ってたんだ!! お前ら全員楽して生きてきやがってよ!! そのくせ俺を見下しやがって!!」


 激昂した地主は若いスリの腹を何度も蹴る。


「俺はお前らより必要カロリーが多いんだよ!! だからお前らより飯を食った!! 何が悪い!! それに俺の世界から持ってきた車も壊しやがった!! 代価を払うんだ。 苦しめ!! オラッ!!」


 その時、若いスリは気絶した。息を切らした地主が、何者かに呼び出されて部屋を出た。


 若いスリは安定しない意識の中で考えていた。


 この世界からの脱出したら何をしようか?


 もうスリからは足を洗って、弟に謝りに行こう。両親はもう帰ってこないけど。


 ああ、家族を大切にすれば良かったな。


 そういえば老いたスリは何故か、俺ににすごい親身になってくれたよな。


 この世界に来て何も知らなかった俺に、生き方を教えてくれた。


 何か暖かい光の様なものを彼からは感じたんだ。


 最後に俺は言ってはいけないことを言ってしまった。もう一度謝るチャンスは来るだろうか……


 何者かが部屋のドアを開ける。


 若いスリは目を覚ます。


「診療の時間ですぅ……」


 白衣を着た医者がそこには立っていた。

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