第2話 火をもって火を

 顕谷と道化師クラウンの二人は急いで山道を駆け降りている。


 顕谷あらため『無職』には聞きたいことが山ほどあった。


「なぁ、あんたさっきゲームの世界がどうの言ってたが、どういうことなんだ?」


「簡単にいうと、最後の一人になるまで殺し合うゲームをするために、僕らはこの島に集められたんだよ」


「なんだよそれ、聞いてない。犯罪だとかいうレベルじゃねえな」


「聞いてないはずはないんだけど……まあいいや。この島は君の知ってる島じゃない。それに主催者は神にも近い存在なんだ」


「お前頭がおかしいんだな」


「そうかもね! まあ今はわからなくても良いよ。とりあえず現状として知っていて欲しいことがある。

 この島には二つの派閥があるんだ。

 ゲームのルールに則って最後の一人まで殺し合うべきだという『ゼロサム』と、ルールを破り島から脱出しようという『アルカトラズ』さ。

 僕はその後者、アルカトラズに所属している」


「そういう団体に所属するっていうのは苦手なんだが……まあ殺し合いは良くないことだよな」


 無職は自分にずっとそう言い聞かせている。人殺しほど忌むべき行為は無い。


「その通り! そしてキミもその仲間入りだ」


「なんでそうなるんだよ。集団行動は嫌いだって言ったろ? 耳まで偽物なのか」


「でもここで何もわからないまま、じっとしてるより動いた方がマシでしょ? さっきの爆発がなんだったのか気にならない?」


「あぁオレもそれが気になって様子を見に行こうと思ってな」


「でしょでしょ! 今向かってるのはアルカトラズの拠点さ。北の集落をそのまま使ってた」


「それは違法占拠じゃねえのか? とんでもない犯罪者集団だな、お前らは」


「ここには住民はいないし、さっきも言ったけど、この島は君の知っている島じゃないんだ……まあいいや、とにかく仲間を助けにいこうよ!」


「まあ見殺しにするのは良くないよな。オレは見殺しを許さない人間だ」


 人殺しと同じぐらい、見殺しも許される行為では無いと無職は思い込んでいる。助けることができるのなら助けるべきだと、そう強く思い込んでいた。


「なら行こう! 着いてきて!」


 無職は道化師の後を追った。徐々に道が平坦になっていき、木々の隙間を通り抜ける光も増えてきた。長い山道を急いで降りてきたせいで無職は少し疲労が見えていた。道化師は相変わらず呑気そうに鼻歌を歌っている。


 やがて生い茂っていた木々もまばらになり、とうとう山を下り終えた無職は息をついた。


 道の先で道化師は待っていた。


「やっと追いついたぜ……お前の体力おかしいだろ」とぼやきながら無職は道化師に近づいた。


 その時に無職は気づいた。おそらく自分と同じ景色をみているであろう道化師は自分を待っていたのではなく、茫然と立ち尽くしていたのだ。


 集落には黒い煙が上り、あたりは眩い、神秘的にも思えるほどの真っ白な火に包まれていた。それなりに距離があるはずなのに、熱さがじわじわと伝わってくる。


「地獄だ……」と道化師がぽつりと言った。おそらく生存者を探すだとか、ましてや助けるだとかできるわけもない状況だ。


「道化師、ここは逃げた方が良い。こんなんじゃ誰も生きられない」と無職は提案した。


 道化師はしばらくじっと俯いていたが、そのとき何かが聞こえた。


 誰かの悲鳴だ。


「行かなきゃ」道化師は真っ直ぐに悲鳴の方向へ走り出した。無職は「くそっ」とぼやきながら後を追う。


 そこには周囲の家から少しだけ離れており、まだ火の手がまわってきていない木造のボロい一軒家があった。


「きっとここだ。入るよ」道化師がドアノブに手をかける。


 玄関に鍵はかかっておらず、容易く中に入ることができた。二人は潜んでいるかもしれない敵に備えつつ、慎重に探索を始めた。


 無職は何かの存在を感じ取っていた。   


 何かがいる。何か、生き物が。


 廊下を抜けてリビングに向かう。


 何もいない。


 その時、ガタッという音が上から聞こえた。


 二人は視線を交わし、階段から二階へ上がる。


 狭い廊下の両側に二つずつ扉が並んでいる。二人は二手に分かれて手前から一つずつ中を確認することにした。


 無職が入った部屋は和室だった。想像以上に広く、奥の方まで広がっている。

 慎重に一歩一歩進む。


 部屋の奥には何かがいた。それの足元には血が溢れており、誰かが横たわっている。「た、たすけ」と言ってその誰かは息絶えた。


「うそだろ……」


 それは虎だった。


 虎は明らかに敵意を持って無職を睨みつけている。歯を剥き出しにして唸っている。


 先に動いた方が負ける……


 そもそも野生動物相手に素手で勝てるのだろうか……そんな経験はない。


 体長は3mぐらいか? 体重は200、いや300kg以上はありそうだ。


 明らかに不利、もし全力で逃げたとしても相手は虎だ。すぐに追いつかれる。


 道化師に助けを求めようにも声を上げることさえ危険になりかねない。


 どうすれば良い……どうすれば?


 いや、一つだけある。可能性が。


 無職は勢いよく虎のいる方向に向かって走り出した。


 虎は意表をつかれたようで、一瞬初動に迷いが生じた。


 無職はその部屋の窓を突き破り外に出た。ガラスが少し腕に刺さっていたが、虎に噛まれるよりはマシに違いなかった。


「虎がいるぞ! 気をつけろ!」


 着地してすぐに無職は警告した。他の誰か、敵がいるならば、そいつに聞かれる可能性はあったが、背に腹はかえられず、道化師に早急に伝える必要があった。


 するとなんと虎も窓から無職の方向に向かって飛びおりてきた。


 ぶつかる寸前で転がり避ける。


 これはかなりまずい状況だ。次の一手は何かないのか……!


 虎がこちらに襲いかかろうとした瞬間。


「待て」と何者かの声。


 虎の動きが急に動きが止まった。


 向こう側から何者かが歩いてくる。不潔な髭面のそいつは肌に直で毛皮のノースリーブジャケットを着ている。右手には鞭が握られていた。丁度、無職はその男と虎に挟まれる形になった。


 男は髭をぽりぽり掻きながら言う。「お前誰だよ?」


「お前こそ誰だよ。オレは顕谷だ。なんだお前間抜けな格好しやがって。仮装大会でもやってんのかよ?」


 窓から綺麗なバク転をして道化師が目の前に着地する。不潔な眼前の男を見てニヤニヤしだした。


「やぁ! 『猛獣使いテイマー』じゃないか!」


「久しぶりだな、道化師。そいつは新人か? このタイミングで仲間を増やすなんて余程焦っておられるらしい、ブリキの船長さんは」猛獣使いが悪意を込めて言った。虎もグルルと唸っている。


「いやぁほんと久しぶりだね! ハグしていいかい?? そういえばハグは嫌いだったんだっけ?!」


「じゃあ、握手といこうか」


 道化師の右手はまるでロケットのように、凄まじい勢いで猛獣使いに発射された。


 猛獣使いは寸前で仰け反って、その噴射された右手を回避した。少し猛獣使いの体勢が崩れる。


 それを無職は見逃さなかった。先手を道化師が取った時点で、ここからどう動くかに勝敗が掛かっていると理解していた。


「虎は僕に任せてくれ、君は猛獣使いを頼む」道化師がボソッと呟く。


「はぁ了解」と無職、渋々の了承。


 二人はそれぞれの標的へ距離を詰める。


 無職が猛獣使いの目前まで辿り着いた時、猛獣使いはほとんど体勢を戻しつつあった。そこで無職は、猛獣使いの少しまだ傾いている側に左フックを差し込もうとする。


 咄嗟に猛獣使いはフックをブロックするが、そこを見越していた無職は右膝で鳩尾を狙う。

 見事命中した。ガードが崩れたところに追い打ちをかけるべく顔面を肘で突く。


 顔面が凹み鼻が破壊される。溢れ出す血を無職は感じ取った。


 猛獣使いはうずくまり、嗚咽を堪えている。


 あまりにも早い決着だった。無職は当然殺すこともできたが、しなかった。


 無職はそのまま猛獣使いを組み伏せた。猛獣使いはダウンする。


 道化師の方を見ると、彼の姿が見えない。


 まずい殺られたか…?


 途端、上空から道化師が降ってきた。


 両足がスプリング状になっており、着地した途端また飛び上がる。


 虎は攻めようにも攻められない状況だからか、それとも見た事ない挙動の生物を目の当たりにして理解が追いつかないのか、威嚇しつつもその場に固まっている。


 どれほどの高さまで飛んでいるのか、道化師はなかなか降りてこない。


 頭上を見上げると少しずつシルエットがこちらに近づいてくるのがわかる。


 道化師が凄まじいスピードで落下してきたように見えたが、それはスプリングがついた足のみだった。


 本体は?


 虎の背中に、両足と右手のない道化師が乗っていた。虎自身も、降ってきたスプリングの足に気を取られて、上に乗られていることに気づいていないようだ。


 道化師の左腕が機械仕掛けのように伸びていく。そしてそのまま虎の首に腕を回した。


 それはあまりにも芸術的なチョークスリーパーだった。


 虎のド太い首を道化師の機械仕掛けの左腕が締め上げる。頸動脈が圧迫されていることにさえ、虎は気づいていないようだ。


 虎はそのままグッタリと倒れ込んでいった。


 無職は唖然としてその一連の流れを見ていた。道化師はニコッと笑い無職を見て言った。


「楽しんでくれたかい?」


 


「なんでオレがこんなことを……。一人じゃ何もできないのかよ」


 無職は道化師の身体から外れたパーツを回収して装着を手伝った。


「いいや、今回は君を信用してのことさ! それにこれだけやらないと殺されていた」


「そりゃあ、そうだろうがよ……」


「よし! 完璧! じゃあそろそろ臨時の拠点に向かおうか」


 道化師が立ち上がった時、「ぐ……」と言いながら猛獣使いが起き上がろうとしていた。


「おい……。こいつらはどうする? この集落にいた奴らを殺したんだろ? 報いを受けさせなくて良いのか?」


 無職は何となく聞いた。もちろん前提として殺すべきではないが、場合による。この集落を燃やし、大勢の人を殺したであろう猛獣使いは、死に値するのではないかと自然に考えていた。


「うーん。法律と刑務所がこの世界にあれば、そうだったかもね。でもそんなものは無い。このまま放っておこう」


 無職は考える。本当にそれで良いのか? こんな奴を置いて行ったら、また同じ事をしでかすかもしれない。ここで息の根を止めておくべきではないか。


 いやそんな事をしちゃダメだ。オレは不殺を誓ったんだ。あの日以来……


 あの日っていつ? いつそんなことを誓った? オレは教師じゃなかったっけ? そもそもなんでこんなに自然に身体が動くんだ? 


 ……そういえば、さっきすでに一人殺してしまったじゃないか。いや、あれは正当防衛で救いようがなかった。仕方なかった。仕方のないことだった。


 何なんだ? 自分がわからない。パニックになってきた。落ち着きたい。コーヒーを飲みたい。ぐるぐると頭の中が回転するような気分になる。


 しかし無職は電源を落としたこのように、急に落ち着いた。


 冷静に考えよう。


 殺すと不快になる。単純な事実じゃないか。何を悩むことがあるんだ。


「たのむ……コイツだけでも逃してやってくれ」


 獣使いが虎に駆け寄って、頭を下げた。


「好きにしなよ! 僕らはもう行くからさ、ね? 無職?」


 道化師はニパッと笑った。


「……わかったよ。放っておこう」


 無職は結論を出した。逃すことにしたのだ。


 ただ気分が悪くなると思ったから。殺すよりも、殺さないほうが良いに違いないから。


「行くよ!」


 道化師が鼻歌を歌いながらその場を去っていく。無職は後を追った。


 猛獣使いは虎を抱きしめながら泣いていた。それがいったい何を意味するのか、無職には、わからなかった。

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