第33話 清楚は十秒ともたない

「どうしたの、聖くん? こんなところに呼び出して」

「あ、ああ……ちょっとな」


 麻栗にメールを打ってから、約三十分後。


 俺はある決心を胸に秘め、麻栗を放課後の校舎裏へと呼び出していた。


 ここで彼女に告白したのは、一ヶ月ぐらい前のこと。

 その時と似たようなやり取りを交わして、俺と麻栗は互いに正面から向かい合った。


「今日は帰るって言ってたのに、いきなり連絡来るからびっくりしちゃった」


 そう言って、ちょっと嬉しそうに麻栗が微笑む。

 まるでその瞬間を狙ったかのように、吹き付けてきた柔らかな風が彼女の髪を緩く巻き上げた。


「……」


 その、ハッとするような美しさに、思わず俺は息を飲む。

 やはり麻栗は美しい。ある時を境に、元から内に秘めていた清冽な美しさが弾けるように花開いた。そんな、どこか奥ゆかしく清らかな美しさが彼女にはあった。


「聖くん?」


 思わず胸を打たれ、言葉を失う俺を訝しく思ったのか、二歩、三歩とこちらへ近づいてきた彼女が顔を覗き込んで名前を呼んでくる。

 名前を呼ばれたことで、俺はハッと我に返った。


「す、すまん。なんかちょっと……見惚れてた」

「……? 変な聖くん」


 と、麻栗はくすくすと笑み零す。

 そんな彼女に、俺は勇気を振り絞って言葉を続けた。


「麻栗――お前に、大事な話があるんだ!」

「大事な、話?」


 俺の言葉に麻栗が首を傾げる。


「随分、急だね?」

「ああ。……本当は明日になったら話そうって思ってたことなんだけどよ。でも、明日になったらビビってまた話せなくなりそうだから、勢いに任せて今日話す! ……聞いて、くれるか?」

「うん、聞かせて」


 突然の話であるにも関わらず、麻栗はそう言ってにっこり微笑んだ。

 そんな彼女の反応に、逆に俺の方がちょっと負い目を感じてしまう。


「……え、本当にいいのか? 自分で言うのもなんだけど、いきなりこんなこと言われたら普通はもっと警戒するとか困惑するとかあると思うんだが……」


 なんて、自分からついつい口にしてしまうぐらいには。

 だが、麻栗は「ううん」と朗らかな表情で首を振ったかと思うと、


「大事な話って、つまりあれでしょ? 入籍はいつにするのかとか、結納はどんな風にするのかとか、あとは子どもは何人で名前はどうやって決めるかっていう相談っていうことだよね? あ、わたし子どもは最低でも三人は欲しいな!」


 なんて言葉を返してきた。


「……んん!?」

「……あれ、聖くんは子どもが三人は嫌? でもでも、すぐに子どもが欲しいってわけじゃなくてね、あと十年ぐらいは二人きりの時間を堪能したいなーって気持ちもあって、でも聖くんとなら賑やかで楽しい家庭も築けそうだしとっても悩ましいところで……ん? あれ、聖くん変な顔してどうしたの?」

「……いや、どうしてもこうしたも」


 どうやら、『大事な話』という言葉に対して、俺と麻栗との間で巨大すぎる解釈のすれ違いが発生しているらしかった。


「……あ、あのな麻栗。今回はそういう話じゃなくて……こう、もっと超個人的な、もっと言えばわがままで身勝手な、俺の話ということになるんだが……」

「聖くんの、個人的で、わがままで、身勝手な……性癖!?」

「ちげぇよ」


 さては貴様、脳みそドピンクだな?


「でも聖くんに、身勝手な感じで乱暴にされるのもそれはそれでそそるものがあるかと!」

「だから違うって」


 あと個人的な性癖をサラッと暴露するのもやめてほしい。


「囚われたわたし。いやらしい笑みを浮かべる聖くん。薬で身動きを封じられ、抵抗できないわたしは哀れにも聖くんの手で嬲られて……あ、わたし拘束具よりも薬派です! 感度三千倍ならなおよし!」

「だからさぁ……」


 スイッチ入るとほんとに人の話聞かねえなこの淫獣ケモノ


「とりあえず、あー……うん、話戻すと。麻栗には、俺の個人的な話を聞いてほしいんだよ。期待していたような話じゃなかったみたいで悪いけどよ」

「……」

「聞いて、くれるか?」

「……うーん、分かった。とりあえず、聞くね?」


 俺の言葉に、ようやく麻栗が話を聞く態勢を整えてくれる。


「じゃあちょっと座るか」

「うん」


 そんな彼女を促して、俺は校舎裏で、ちょっと段差になっているコンクリートのところへと二人で並んで腰を下ろした。

 ……よし。ようやく、話を切り出せる雰囲気が整ったな。


「……あのさ。俺の話ってのは、その……これについてのことなんだ」


 俺は持ってきた紙袋を麻栗の前へと突き出しながら、そんな風に切り出した。

 紙袋はずっしりとそこそこ重い。それを受け取った麻栗は、中を覗き込みながら「なにこれ」という表情になる。


 そんな彼女に向かって、俺はさらに言葉を続けた。


「あのさ。……それ、全部俺が昔描いた漫画なんだよ。麻栗の真似して……ごめん嘘。麻栗に、『俺にもできるんだぞ』ってカッコつけたくて、でも全然下手くそで、カッコつかなくて、麻栗には絶対見せられないって思って今日まで封印してたやつ。あの頃は麻栗のことをライバルかなんかみたいに思い込んでたんだけど……でもほんとはさ、好きな女にカッコつけたくて、麻栗にカッコつけるために漫画描いてた。……ぶっちゃけ嫉妬もあったと思う。麻栗が初めて描いてきた漫画読んだ時に、凄いって思う一方で、羨ましいって思ってた。俺と違って才能あって、凄いことができるなんてズルいって思ってた」


 ……なんか話がごちゃついてる気がしてきた。


「なんだろ、とにかくさ。麻栗って凄いやつなんだよ。そのことに初めて気づかされた時、麻栗がこのままだと遠くに行っちまうって思ってさ。慌てて俺も追い付かなきゃって、焦って漫画描いてみて、でもダメで、だけど頑張ってみたけどダメでしたとかダサいだろ。……それで忘れたフリしてて、それも全然カッコよくなくて……とにかく、なんか、うん。実はそんな感じだったんだよ。前に俺のこと『綺麗』って言ってくれたことあったと思うんだけど、まるでそんなことないんだよな。だからうーん、その……」


 言いたいことがどうにも上手くまとまらない。

 だけどその言葉だけは、なぜだかするっと口から出てきた。


「……こういうダサいところ、今までずっと隠しててごめん」


 麻栗に向かって頭を下げる。

 どんな反応が返ってくるのか分からなくて、頭を上げるのが怖い。


 それにまだ、言いたいことを全部言ったわけじゃない。

 今麻栗に語ったことを踏まえた上で、彼女にはしなければならない話が――。


「あ、ごめん聖くん。知ってた」

「……ほぇ? え、知ってた?」

「うん。漫画描いてるの実は知ってたよ? 監視カメラで――あっ」

「監視カメラ!?」


 麻栗が、「やべっ」って感じで口元を抑える。

 しかし彼女の口から飛び出してきた聞き捨てならない言葉に、俺の中のシリアスさんが一瞬で場外ノックアウトを食らっていた。


「ま、待って!? 待って待って待って!? ……え、監視カメラって、あの監視カメラ?」

「あ、はい、聖くんが想像している通りの監視カメラかと……」

「……俺の私生活を監視する的なカメラ?」

「あ、はい、ご想像の通りで……」

「……え、ええー……」

「実は聖くんの盗撮が趣味でして……」


 道理で身に覚えのない俺の写真を麻栗が大量に所持していると思ったよ!


「あ、あ! でも流出とかはしてないよ!? 大丈夫! ちゃんと私的なことにしか使ってないから!」

「私的なことってなに!?」

「それはもちろん、オナ――」

「いやごめん、やっぱいい! 言わないで! 怖い!」


 っていうか全部知っていた人間に今の今まで俺は打ち明け話をしていたってこと!?

 待ってそれ、恥ずかしさのあまり凄い死にたいんだが……?


 思わず顔を両手で覆って、膝の間にそのまま頭を突っ込んだ。

 隣で麻栗があわあわと困っている気配を感じたが、それどころではない。本当にもう、顔から火が噴き出そうなぐらいに恥ずかしくてたまらないのだ。


「……つまりは、麻栗はすべてご存じだったと? 俺のあんなところやこんなところっていうやつを」

「う、うん。えへへ、聖くんの私生活、無限に見れちゃうなって思いながら見てました」

「……俺は死んだ」


 高校生にもなってニチアサドラマのカッコいいシーンをこっそり部屋で再現してたりとか。

 家族がいない隙を狙って、ティッシュで身の回りを固めて自分の限界を試すための自慰マラソンを開催していたりだとか。

 麻栗へ告白するか否かを思い悩んでいる時に、麻栗への愛のポエムを綴ってはそれを音読していた姿も。


「全部全部、見られていたと」

「聖くん大好きーって思いながら見てました」

「誰か、誰か俺を殺してくれえええええ!!」


 痛恨の悲鳴が……校舎裏に轟いた。

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