第30話 貫井聖夢のイタい過去3 ~あるいは、イキりオタクが恋に落ちるまで~

「へぇ……麻栗が漫画を?」


 意外に思って問い返す。


 普段、麻栗が図書室でよく読んでいるのは小説の類である。一方で、普段から漫画を読んでいるのはどちらかというと俺の方だ。


 たまに俺の家に麻栗が遊びに来た時にお勧めの漫画を読ませたりはしているものの、あまり彼女が好んで漫画を読んでいるというイメージはなかったし、日頃から絵を描いている姿を見たこともあまりない。


 驚く俺の前で、ノートを差し出した格好のまま、麻栗ははにかみ笑いを浮かべた。


「うん。聖くん、よく漫画楽しそうに読んでるから……好きなのかなって思って」

「そりゃまあ好きだけど……」

「そ、そうだよねっ! あの、じゃあ……読んでくれたら、嬉しいな……♡」

「……? うん、いいけど……」


 ラブレターを渡すわけでもないというのに、恥じらう様子で頬を上気させる麻栗の様子に首を傾げつつも、俺は彼女からノートを受け取る。


「……っ」


 それから、ノートを開いたところで……俺の中で衝撃が奔った。


 漫画を描いてきた、という彼女の言葉を、正直言って俺はどこか甘く見ていたんだと思う。麻栗は素人だし、きっと絵が上手いわけでもないだろうし、漫画とは名ばかりの落書きみたいなもんなんだろうな~、なんて感じで侮っていた。


 だが、そんなものはページを開いた瞬間に吹き飛んだ。


 鉛筆で描かれただけのモノクロのイラスト。だけど丁寧に引かれた線は俺にはとても輝いて見え、キャラクターの魅力を十二分に引き出しているように感じられた。

 コマ割りも、特別なことをしているわけでもないというのに、すらすらと読み進めることができてしまう。左右のページや見開きを使った演出もしっかりしていて、まるで本物・・の漫画みたいだと思った。


 そして肝心のストーリーはというと、主人公の女の子の一人称視点で進む、瑞々しい恋の物語だった。

 独りぼっちだった彼女が、ある日ヒーローと出会って、恋に落ちるまでの物語。――その足跡を一つ一つ丁寧に、美しい描写で描かれている。


 大きなドラマがあるわけでもない。だけど等身大で、だからこそ心が惹きつけられて……目が離せない、そんな物語。


 息をするのも忘れて、俺はノートの……いや、漫画・・のページを捲った。都合四十ページと少しのその漫画は、ヒーローへの想いを募らせたヒロインが、想いをしたためたラブレターをヒーローへと渡し、告白の返事を受け取る直前で締め括られていた。


 そこまで読んで、それからまた一番初めへと戻って、読み直して、最後まで読んで……そんなことを何度も繰り返した末に、俺はようやくノートを閉じる。無意識に、「ほぉ……」と口からは吐息が漏れていた。


 時計を見れば、三十分以上が経っていた。ほとんど時間の感覚も忘れて、どうやら読みふけってしまっていたらしい。それくらい、彼女の描いてきた漫画が良かったのだ。


「あ、あ、あのっ、聖くんっ」


 ノートを閉じたところで、今にも沸騰しそうな顔で、麻栗が話しかけてきた。


「あの、それで……返事は――」

「――すごい」


 そんな、顔を真っ赤にして感想を待つ麻栗の言葉を遮って、俺はぽつりと言葉を発する。


「……へ?」

「すごい、すごいよ麻栗! これマジで面白れぇ! 俺、恋愛モノとか全然読んだことなかったけど、これが凄いのはめっちゃ分かる!」

「……はへ? 恋愛モノ? ……あれ?」

「なあこれ出版社に応募すんのか? タイトルとかってもう決まってる? ……いやほんと、お前めちゃくちゃ才能あるよ! かっけぇ!」


 口を開けば絶賛の言葉しか出てこなかった。それくらい感動していたし、興奮するあまり心臓がドキドキ高鳴っていた。


 すごい、すごい、すごい――そんな感情が肚の底から迸る。

 こんなすごいヤツの友達であることに、喜びすらこみ上げてくる。


「まさかお前がこんな才能隠し持っていたなんてなぁ! すげぇな……ほんと、すげぇよ。麻栗」

「……うん? あ、うん。それで返事は……」

「さっそくどこにこの原稿持ち込むか考えようぜ! これなら絶対どっか通るはずだしな!」


 この時の俺は、はしゃいで騒いで絶賛するのに必死で、何にも気づいていなかったんだ。


 麻栗がなにか物言いたげな表情をしていることにも。

 ……自分が本当は何を、どう思っているのかってことも。


 ガキの幼さで、イタい感情に蓋をしていた。

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