第4話 昭和② スクラップみたいなオンボロ列車に乗って

 豊と父親たちを乗せた列車代行バスは、日置の駅前に到着。

 小さい木造の駅舎の改札口を抜けると、伊集院まで乗ってきたのとは異なる、前後が半円筒形をした流線形のディーゼルカーが待っていた。


 ホームに渡る踏切の上で、豊は足を止め、ディーゼルカーを正面からぽかんと眺めた。いや、本当に口も開けたままだったかもしれない。

 見るからに、昔の写真から抜け出してきたような、古典的な車両。前面の六枚窓のうち、運転席にあたる部分を除く五枚の窓は、全開。

 運転席の窓ガラスの反射の向こうから、かなりの年配の運転士が豊に笑いながら手を振るのと、父親が彼を促すように肩を叩いたのと、ほぼ同時だった。豊は慌てて父親の後を追う。


 低いホームから、ドアの下から出たステップを踏んで車内に入ると、伊集院まで乗ってきた車両よりは客室内が明るく感じられた。

 それは若干日が傾いてきたのと、客室の側面は小窓がびっしり並んでいて、外の光が入りやすくなっていたからかもしれない。

 年配の女性と相席ではあるが空いている席を見つけ、父親は窓側、豊は通路側に座る。座席が、伊集院まで乗ってきた車両よりもさらに窮屈だなと思っているうちに、ディーゼルカーは発車。


 たちまち車体は左右に激しく揺れだし、窓がガタガタと音をたてて、豊は「脱線?」と思わず身構えたが、父親も周りの乗客も、みんな当たり前のような顔をしていた。

 すぐにディーゼルカーは大きく身震いするような揺れとともにポイントを渡って駅の構内を出て、エンジンをいっぱいにふかしながらスピードを上げた。

 揺れは上下動も加わってさらに激しくなり、窓の下からはディーゼルエンジンのけたたましい音に混じり、車輪がレールを激しく叩くように刻む音が、ガシャン、ピシャン、ガシャン、ピシャンと途切れる事なく鼓膜を打ってきた。

 それに、しつこいくらい頻繁に鳴らされる警笛の音。こんなにうるさく賑やかな汽車があるのかと、豊は一種のショックを覚えた。

 緩い上りの坂道に差し掛かると若干スピードは落ちて少しは静かになったが、下りになると再びスピードを上げ、振動と騒音が戻ってきた。

 窓のガラスは割れそうなくらいに震え、このままでは本当に脱線するか車体が壊れるのではないかと思ううち、スピードを緩めて最初の駅に到着。


 今にも崩れそうな、廃屋のような木造駅舎の無人駅。ホームに立つ駅名標も、白ペンキはまばらに剥げ落ち、黒い毛筆体の文字がよく読めなかった。


「よ……よ……とし?」

「よ、し、と、し。吉利だ」


 読めないでいる豊に、父親は笑いながら言った。実際はそうではないはずだが、豊が初めて見る父親の笑顔のように思えた。

 車掌の手笛の音ともに、ディーゼルカーは発車。再びの激しい音と揺れとともに、林と田んぼが混在する中を走っていく。

 進行方向右側には吹上浜の松林が現れ、その向こうにほんの数瞬、東シナ海が現れた。


「海が見えたけど……見えなくなった」


 豊が言うと、父親が答えた。


「もうすぐ、もっと広い海が見えるぞ」


 言い終わるや、床の下から連続的な轟音。永吉川の鉄橋を渡るところだった。

 窓の向こうに、河口の砂丘と、そして青く広い東シナ海の広がりが見えた。父親は、どうだと言わんばかりに豊に笑いかける。


 それからも、父親は柔らかい表情で列車の揺れに身を任せていた。

 やがて列車は松林の中に入り、松特有の少し刺激のある匂いが客室の中を通り抜けていく。

 周りには松林の他に何もない薩摩湖の駅に着く頃、父親は言った。


「昔はな、ここには遊園地があって、父さんたちは子供の頃、じいちゃんやばあちゃんたちに連れられて、家族みんなで南薩線に乗って、よく遊びに来たもんだ。今はないけど、昔は湖を越えるロープウェイもあったりして……」


 父親にも子供時代があったというのが、あまりにも意外な過去のように豊が思っていると、それまで黙っていた向かいの席の女性が目を輝かせ、身を乗り出すように話しかけてきた。


「あれぇ、薩摩湖遊園地の事、懐かしかですねぇ」

「ええ、今はだいぶ小さくなってしまいましたが、あの頃は、かなり楽しい所でしたね。与次郎ヶ浜のジャングルパークも、まだまだない時代で」


 父親は笑いながら答える。

 女性は、さらに言葉を継いだ。


「あたいらも、子供達を連れて、花見やら何やらでよく来ましたが……ええ、本当に懐かしかですねぇ」

 一瞬とも思える沈黙の後、女性は言った。

「子供らも大きくなって都会に出てしまいましたし、もうあんな楽しい時代は帰ってきやせんのですかねぇ」


 父親と女性が昔話に花を咲かせているうちに、ディーゼルカーは甲高い音とともにレールを軋ませながら急カーブを下り、伊作の駅に到着。

 そこで向かいの女性が降りたので、豊は父親と向かい合うかたちで、窓側に座った。

 窓の向こうには、陽に当てられた白砂が眩しいホームがあり、その向こうには、伊集院行きの行き先札を表示した、上り列車が停車中。

 豊たちのちょうど反対側の向こうの窓に、彼らと同じような父子が向かい合って座っていた。

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