四月その2


 時刻はもう放課後。みんな新入生狩りに出払っていて人影もまばら。校舎内にはどこか寂しげな空気感が漂っている。

 泉子さんと私と真夜の三人は誰に見咎められることなく、さらに人気のない校舎西棟最深部へと歩いてきた。

 四月も半ばと言えど未だ日が傾くのは早く、西日が切れ込みを入れるように長い影を作っていた。廊下はすでに薄暗く、私たち三人の連なった影も夕暮れに溶け込みつつある。


「ここだ」


 泉子さんが一つの引き戸の前に立ち止まる。そこには『国語科資料準備室』ってプレートがかかっていた。資料準備室だなんて、一般生徒にとっては滅多に訪れたりしない部屋だ。

 ノックなしに扉を引き開け、泉子さんは遠慮のカケラも見せずにずかずかと中に入っていった。私と真夜はちょっと顔を見合わせて泉子さんの後を追う。準備室に勝手に入っていいものなのか。

 そもそも校舎西棟は各階とも特別教室がまとまっていて、新入生にとってはそれこそ未開の地だ。私も初めて足を踏み入れるエリア。


「適当に座り」


 中は無人。泉子さんが慣れた手付きで電気を点ける。大きな書架に囲まれた普通教室の半分くらいの小部屋だ。折り畳み長テーブルの島が二つあり、パイプ椅子がセットされてる。

 私と真夜は自然と泉子さんが選んだ席の向かい側に並んで座った。ちょうど窓を背負う形の席。差し込む西日が長テーブルに二人のシルエットを並べる。


「悪いな、こんな辺鄙な準備室まで」


「いえいえ。もう心折れて帰ろうかと思ってたとこでしたし」


 私がぶんぶんと手を振るって見せると、真夜は強気にも噛み付いてきた。


「メグル、あの程度で心折れてたか。あたしはまだまだやる気だったぞ」


 そりゃそうだろ。真夜の空気の読めなさは天下一品だ。


「だってもうみんな振り返りもしなかったし」


「ちょうどひとネタ終わったとこだ。お客さんも入れ替わるタイミングだったんだよ」


「私らのとこだけぽっかりエアポケット状態だよ。チタンのハートでも折れるって」


「チタンより強い心持て」


「カーボンナノチューブなら何とか」


「カーボンなの? それって硬いん?」


「どっちかと言うとしなやかに受け流すタイプ」


「お客さん受け流しちゃダメじゃん!」


「おーい、漫才始めるな。まだ私のターンだ」


 泉子さんはニヤニヤしながら私らを止めに入った。せっかくノッてきたとこなのに。


「ともかく、おまえらの怪談風漫才は着眼点はいいが笑いどころがわからなかった」


 いきなり痛いとこ突いてくる泉子さん。真夜でさえ脊椎反射的な反論も出来ず、私もぐっと黙り込むしかない。


「要は笑ったらいいのか、怖がった方がいいのか。どこでどうリアクションとったらいいのか、流れが掴めないんだ」


 私の隣で真夜が少しムッとしてる気配。この子はこういう批評を素直に受け入れられないタイプの子だし。私は私で反論の余地を探した。

 恐怖と笑い、いわば緊張と緩和がごちゃ混ぜになった私らの怪談漫才のどこに改善点があるのだろう、と。そう口を開こうとしたら、泉子さんのターンはまだ続いていたようで。


「それとな、さっきも言ったが場所が悪い。あの場所じゃあ誰がやってもダメ」


「場所? 正門広場は新入生狩りのメイン会場ですよ。あそこで漫才披露しないでどこでやるんですか?」


 真夜が突っかかる。泉子さんはそれを想定していたのか、さらっと身をかわすように答える。


「あの場所がダメって言ったんだ。おまえら新入生だろ? じゃあ何があったか知らなくて当然だ」


 押し黙る私と真夜とを交互に見つめて、泉子さんは声のトーンを低く落として語り始める。


「ちょうど半年くらい前かな。10月、文化祭の頃のお話──」




 これは二年生の、仮にS子さんってしとくね、S子さんから聞いた話。書道研究会が文化祭で展示する資料が必要だって、S子さん一人で取りに行ったの。ここ、国語科資料準備室にね。

 この部屋って人も少なくて薄暗い西棟にあって、民俗資料研究会ってとこの部室扱いになっていたけど、正直薄気味悪い小部屋じゃない?

 当時はそこの窓も書架で塞いじゃっててほんとに暗い部屋だったの。S子さんも気味悪がって、早く目的の資料を見つけて戻ろうとしたのよ。

 さあ、探せ。さっさと戻ろう。さあ、探せ。さっさと帰ろう。

 どの書架に眠ってるかわからない資料を探しているうち、S子さんはある音に気付く。

 シュウッ。

 何か布で壁を擦り付けるような音がしたの。

 S子はドキッとして耳を澄ます。当然誰もいない資料室だ。物音ひとつしない。S子さん自身の心臓の音がうるさいくらいに静かな部屋。

 気のせいかなって、資料探しに戻って、ようやく目的の資料本を見つけた時に、また音がする。

 シュウッ。

 S子さんは思わず一歩後ずさった。今の音、布が壁に擦れるような音。この書架の裏側からした。恐る恐る目的の資料本を手に取ると、その空いた隙間から窓が見える。資料用書架を置くために潰した窓だ。

 S子は何の気なしに本の隙間を覗き込んだ。すると、そこに、女子生徒の逆さまの顔が落ちていった。

 シュウッて彼女のスカートが壁と窓ガラスに擦れて音を立てて、真っ逆さまに落ちていく。何度も、何度も、逆さまの女子生徒と目を合わせてしまう。何度も落ちていく女子生徒。

 シュウッ、シュウッ。

 そこでS子さんは気を失ってしまったみたいなの。見回りに来た先生に保護されて、もうこの国語科資料準備室に近付くことすら出来なくなったらしいのよ。




「──で、調べてみると、十何年も前に屋上から飛び降りた生徒がいたみたいだってわかって。ちょうどその窓を制服が壁をかすりながら逆さまに落ちて」


 泉子さんは私と真夜の背後を指差して。


「おまえらが漫才披露していた植え込みのソテツの木に引っ掛かっていたらしい」


 そうだ。私らマヤメグルはちょうどソテツの木の植え込みが舞台に見えて、誰もいないからってあそこで漫才を始めたのだ。


「だから、あの場所は誰も寄せ付けない場所。あそこで漫才やっても、誰も笑えない場所」


 泉子さんの話が終わった。資料準備室はしんっと静まり返る。ふうと泉子さんが息を深く吐く音しか聞こえない。


「その窓の下、彼女が引っ掛かっていたと噂されるソテツが見える。でも窓のそばに立つなよ」


 シュッとスカートから衣擦れの音を立てて泉子さんが立ち上がった。私たちの背後、彼女が真っ逆さまに落ちていくのが見えるとされる窓際に立つ。

 私の背後に濃厚な人の気配。泉子さんのものか、落ちていく彼女のものか。


「逆さまの彼女に、持ってかれるぞ」


 泉子さんはゆっくり言い終えた。ぞくっと背筋が冷える。室温も下がったような気がする。でも、私は言わなければならない。

 泉子さん、お話はまだ終わっていませんよね。


「でもその話って」


 ここからは私のターンだ。


「フェイク。すなわち創作ですよね」

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