第20話 父

 三人で手ごろな岩に腰掛け、固いパンと干し肉の食事をとる。


 食事の間、ブロワはとりとめのない話をして、アランとレルシアは適当にあいづちをうっていたのだが、不意にブロワが「ちょっと失礼」と言って立ち上がり、繫みに消えていった。

 用を足しに行ったのだろう。


 アランとレルシアの二人になった。


 それまで喋っていたブロワがいなくなったことで急に沈黙が訪れ、アランは何となく気まずさを感じながら、横に座るレルシアをちらと見た。


 彼女は特に気にする様子もなく、ぼんやりと前を見ながら、黙々とパンを食べている。

 アランはひとりでなぜかそわそわとしてしまい、話題を探した。


 少し逡巡しゅんじゅんしたあげく、

「……飛竜の隻腕は、なぜ、そういう名前なんだ?」

 思わず、そのような質問が口をついて出ていた。


 レルシアがこちらを見る。

 アランは我ながら唐突だったと思い、あわてて補足する。


「あ、いや、自分たちで名乗っているわけではないというのは、昨日聞いた。ただ、なぜそんな名前なのかと思って。飛竜は、そもそも手がないのに、その隻腕(片腕)とは、どういう意味なのかと思ったんだ」


 無理に考えた話題ではあったが、実際に気になっていたことでもあった。


 アランの言う通り、飛竜ワイバーンは、ドラゴンと違って二本の脚と一対の翼しか持たない。つまり、腕(前脚)がないのである。

 その、あるはずのない「飛竜の腕」とはどういう意味か。


「ああ、それは。昔話ですよ」

 レルシアはそう言いながら、唇の端を指先で少しこすった。


「昔話?」


「そうです。近衛剣士団のあまりの強さに、あれは飛竜の腕が姿を変えたんだろうって。だから飛竜から腕がなくなったんだろうって、そういう話です。……ほら、あったでしょう、そういう話。昔話に」


 なるほど、そう言われば、あった気がする。

 たしか、小人が「猫の足音」や「女の髭」を使って魔法の道具を作るという話だった。そのとき使ってしまったので、猫の足音や女の髭はこの世からなくなってしまった、という内容だ。

 それと同じということか。


 ついでに、アランはもうひとつ、気になっていたことを尋ねてみた。

「近衛剣士団の団員は、みんなレルシアと同じくらい強いのか?」


 レルシアが、とんでもない、というように首を振った。

「私など、弱い方です」

 そう口にする表情は本気そのもので、まったくの謙遜けんそんというわけではなさそうだった。


「そんなに強いのか。それが本当なら、すごいな。やはり、各地からの選り抜きが集められているからか?」


 レルシアは少し考えながら答える。

「それもありますが……。入った後の訓練もあると思います」


「訓練?」


「はい。近衛剣士団には、戦うすべを教える指導者がいます。団員たちはその指導のもと、毎日学び、己を鍛えるのです」


「戦うすべを学ぶ。そんなことが可能なのか」

 アランが驚いた。


「それが私たちの務めですから」


 二人のこの会話は、現代の言葉を使った方が解説しやすいだろう。


 レルシアの言っていることは現代では当たり前のことである。だが、この時代においては、極めて異例のことであった。革新的な考え方、と言ってもいい。


 この時代、この地域には、衛兵などの一部例外を除いて常設軍じょうせつぐんというものが存在しない。

 戦が始まるとなってはじめて、大小の貴族たちが自分の騎士とその従者を連れて寄り集まり、軍となるのだ。そのため、その戦い方はというと、貴族や騎士たちがめいめい勝手に自分の武勇を誇り、勇猛果敢に突っ込んでいくようなものでしかない。

 組織的で複雑な用兵など、指揮できる者もいなければ、命令を聞くものもいないのである。


 個人の戦闘技術についても同様だ。

 体系的で継続性のある技術継承というものはなされない。武芸は人に教えてもらえるようなものではなく、強い者は生まれながらに強い、という考え方が支配的なのである。せいぜい、「見て盗め」といったところだ。

 アランも当然のごとくそう考えていた。


 教えられることなく自然じねんに習得した技術を他人に教えるためには、自分の行動を客観的に評価できる論理的思考力と、教える相手の立場に寄り添う共感力が必要だが、この時代のこの地域の一般的な文化レベルはその水準に至っていない。


 一方で例外的に、近衛剣士団は王の私財で運用される常設軍で、その団員は職業軍人である。そのため、給料を与えて毎日訓練をさせるということが可能になる。

 その中で、戦闘技術は継承され、進化し、やがて体系的に組み上げられていく。

 教育のノウハウも蓄積され、フィードバックされ、方法が確立していく。

 こうして、唯一無二の戦闘技術者集団となるにいたったのが、近衛剣士団「飛竜の隻腕」なのである。


「近衛剣士団はそもそも、それを目的として作られたのだと聞いています。作ったのはもちろん、陛下。つまりアラン様のお父上様です」


 レルシアの口調が、父のことになったとたん、急にどことなく熱を帯びた気がして、アランは気になった。

 近衛剣士団は王直属の部隊。

 ゆえに団員は、王を信奉しているのか。


「……父上」


「今から三十年以上前のことと聞いております。慧眼けいがんの陛下は、精鋭軍の必要を見通しておられたのです」

 そう語るレルシアの目は、輝いていた。


 アランも聞いたことがあった。近衛剣士団は若かりし頃の父の提言によって設立されたのだと。


 ――父。


 アランは父に対して、複雑な感情を抱いていた。


 父は若いころ、様々な改革を行い、国を強くしたと聞いている。


 先代の王の治世から、すでにこの国は経済、文化が発展し、国力が増強しつつあった。

 そしてその頃から、つまり王位に就く前から、父は近衛剣士団の創設だけでなく様々な献策をなし、成果を上げたそうだ。


 先代の王は三人子供をつくったが、身罷みまかったとき、二人はすでに病死してこの世におらず、一人残された末娘はまだ幼児であった。

 そのため、先代の王からは甥にあたる父が王位を継承した。


 王位についてから父は、王権と廷臣の力を高め、相対的に地方領主の力を弱めることに腐心した。結果的に国内は安定し、国力が増した。周辺諸国を武力で制圧し、国内には平和が訪れ、人々は繁栄を謳歌した。

 しかし、それは同時に、後に様々な禍根を残すことともなった。


 強くなった王権と廷臣は腐敗の温床となり、武力による周辺諸国制圧は憎しみと反感を生んだ。武力で抑えた周辺諸国は、武力をゆるめればたちまち牙をむく。繰り返される戦は国庫を圧迫し、運悪く連続して発生した災害がそれに拍車をかけた。

 しかし、一度増やした支出をもう一度減らすのは、簡単なことではない。それは個人も国家でも同じことである。

 そればかりか、腐敗した廷臣たちは気づかぬうちに血税を吸って肥え太り、引き換えに国家はやせ細っていった。

 ツケはすべて、増税となって民に回された。

 いつしか庶民の暮らしは徐々に苦しさを増し、気が付けばこの国は、いつのまにか負の連鎖の中にあることが明らかであった。


 父を稀代の名君と讃える者は数多くいる。

 アランも、父の前半の偉業には素直に尊敬の念を抱く。自分の目指すべき王としての姿を投影もする。自分に父ほどの力があるかどうかをかえりみて、自信を喪失しさえもする。


 しかし一方で、裏では後半の父を指して国政にんだと非難する者が多い。

 今の王妃をめとってから、朝は政務をらなくなったという陰口も聞いたことがある。

 実際、アランから見ても今の王は、かたむきつつある国に対して、何もできていないようにしか見えない。


 かように、王としての父の評価は、前半の治世を重視するか、ほころびの生じた後半を重視するかで変わるのである。


 ただ、アランは、人間としての父に対しては、少なくとも愛情を抱いてはいなかった。

 なぜなら、アランには、父に愛された記憶がないからであった。

 記憶の中の父はいつも玉座にあり、そこから声をかけるだけだった。


 母が没してすぐに新たな妃を入れたというのも、子からすれば嫌悪をすら感じる。朝起きてこないということの意味が分かるようにもなればなおさらだ。

 父は母を愛していなかったのか。ひとたびそれについて考え始めると、最終的には、理不尽とはわかっていながらも、父は母を死から救えなかったのかというところまで至ってしまう。


 このように、アランにとって父とは、尊敬すべき賢王としての父、批判すべき愚王としての父、そして肉親として愛することのできぬ父としての父、この三つの側面をもつ存在なのである。


 そして今、その父のことを、まるで尊敬するかのような様子でレルシアが語るのを見て、アランの中で、急速に対抗心が首をもたげていた。


「それは、その技術は、私も教えてもらうことはできるのか」

 アランが勢い込んで尋ねた。


「アラン様がですか」

 レルシアが驚いたようにアランを見た。その顔は困惑しているように見える。


「そうだ、ぜひ教えてくれないか」


 父への対抗心もある。

 だが、同時にアランは今、本当に切実に力を欲してもいた。

 自分が無力だと、痛切に感じるのだ。

 その無力感は、旅立ってからのものだけではない。それ以前から彼を締め付けていたものだった。


 父と違い、彼は王子という立場で二十歳を迎えようとしながら、いまだに子ども扱いされ、国のためにまだ何の働きもできていない。

 そればかりか、義母との微妙な関係に翻弄されるばかりの日々に、彼はうんざりしていた。


 国は凋落ちょうらくの途上にあることは明らかだというのに、宮廷の老人たちはせんのない陰謀に明け暮れるばかりで何もしようとしない。まるで、自分の世代が逃げ切れればそれで良いかのようだ。


 民は暮らしにきゅうし、一部の特権階級がそれを搾取さくしゅし優雅な生活を送っている。


 しかし一番許せないのは、自分自身がその特権階級に属し、無為むいに恩恵を享受きょうじゅしていることだ。


 そういったやるかたない憤懣ふんまんと、旅に出てからの苦難と失敗、つまり、ヒドラやオーガに苦戦し、大切な仲間を傷付けられ、離れ離れになってしまったこと。

 身の危険をかえりみず助けを求めてきた門番と約束したにもかかわらず、何もできなかったこと。

 迫る刺客にまったく気づかず、レルシアを危険にさらしたこと。


 そういった様々な失敗が、彼を真綿のように縛り続けているのだ。


 強くなれば、そんなふがいない自分が、何か変わるかもしれない。

 その真綿を断ち切れるかもしれない。

 確証はないながらも、アランには、そのように思えたのである。


「……しかし」

 顔を曇らせ、逡巡しゅんじゅんするレルシア。


 そこへ、いつの間にか戻ってきたブロワが口をはさんだ。

「それは良いことですな。将来の王には、ある程度の武勇も必要です。ぜひ、やるべきです」


 しかしレルシアは、まだためらい、言い訳気味に答える。

「私は、教えるのは上手くありませんし……」


「それでもいい、教えてくれ、この通りだ」

 ついにアランは、レルシアに頭を下げた。


 王族に頭を下げられては、さすがにもう断れない。

 レルシアは覚悟を決め、首を縦に振った。

「わかりました。その代わり、やるからには遠慮はしませんが、よろしいですか」


「もちろんだ、遠慮なくやってくれ」

 アランが答える。


「わかりました。その言葉、お忘れなきよう……」

 そう言って、レルシアが一瞬笑ったように見えたのは、気のせいだっただろうか。

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