第19話 三人の母

 すっかり高くなった日差しのもと、馬の脚がまばらなヒースを踏み分けていく。


 三人は、オーガに追い付かれないよう、馬を急がせていた。

 ブロワ、アラン、レルシアの順に一列。

 アランを真ん中に挟んでの配置は、もちろんアランを護衛するためだった。

 

 オーガに追われていることに気付けたのは、刺客の持っていた、魔法の針のおかげだった。


 夜が明け、明るくなってから魔法の針を観察したアランたちは、その先端に何やら糸のようなものがくくりつけられているのを見つけた。


 ブロワがそれを指で引っ張りながら言った。

「髪の毛のようです。おそらく、アラン様のものでしょうな」


「私の。……それで私の居場所を示す、ということか」


「おそらく」

 ブロワはそう言いながら、針の先からそれを取り除き、代わりに、抜き取った自分の髪の毛を結んだ。

「試してみましょう」

 果たして、針は今度はブロワを指し、彼を追うようになった。


 それなら、ということで、今度は針の先に、オーガの血を吸った布の切れ端を結びつけてみた。

 毛髪でなくとも、肉体に由来するものならいいのではないかと期待したのだ。

 三人は、少しでもオーガたちの動向を知りたかった。


 昨日、アランの剣の血を拭ったぼろ布があったので、それを小さく千切り、針の先に結ぶ。

 すると、針は彼らの後方の一方向を指したまま、動かなくなった。


「どうやら、うまく作動したようですな」

 ブロワがあごをなでながら言った。

「移動するあいだ、このままにしておきましょう。不意打ちを防げるかもしれません」


 その後、三人は街道を目指して移動を開始した。


 ブロワが首をかしげ、つぶやくように言ったのは、しばらく進んだ頃だった。

「この針、ずっと同じ方向を指してますな……」


 アランとレルシアは顔を見合わせる。


 やや間があって、レルシアが低い声で尋ねた。

「間違いありませんか?」


「ああ、間違いない」

 ブロワがそううなずくと、レルシアは真剣な表情で言った。


「私たちがまっすぐに進んでいて、針が後方を指したまま動かないとなれば、……可能性は二つではないでしょうか。ひとつは、オーガたちが動かず、その場にとどまっている。もうひとつは」


「……追いかけてきている、か」

 ブロワが言葉を引き取ると、レルシアは黙ってうなずいた。


「しかし、なぜ。それに、鼻の利かないオーガがどうやって」


 ブロワの疑問に、レルシアは首を振った。


「わかりません。いえ、その前にそもそも、その魔法の針が正しく作動しているのかどうかすらもわからないのですが。……しかし」


「ここは悪い方に、つまり、追われている、と考えるべきか」

「はい」


「そうだな」

 ブロワとアランは顔を見交わせてうなずいた。


 あとの話の流れは、後日セレオスとヤルナークが想像したとおりだった。


 オーガたちが後をつけて来ているのなら、街道には戻れない。このまま荒地を通り、ケルニまで行く。そして、そこで竜討伐のために集められた兵力で、オーガを討つ。


 そういうわけで今、アランたち三人は、街道のある南ではなく、西に向けて荒野を進んでいるのだった。


 追われているとはいえ、馬で移動している以上、よほどぐずぐずしないかぎり、オーガたちに追いつかれることはない。夜、休憩する余裕もあるはずだ。

 動向が分かったことで、ひとまず、オーガたちのことは喫緊きっきんの課題ではなくなった。


 そうなるとアランの頭は自然と、自分の命を狙い、そしてレルシアの命を奪おうとした刺客のことへと向かっていた。


 黙々と馬を進めながら、アランはひとり、思いを巡らせていた。



 アランの母、つまりこの国の王の最初の王妃は、アランを産んですぐに亡くなったそうだ。

 死因は産褥熱さんじょくねつ、ということになっている。


 残されたアランには、面倒を見るための乳母がつけられた。これがセレオスの母だった。だから、アランの記憶にかすかに残っている母の面影というのは、このセレオスの母のものなのだろう。

 面影といっても、映像としての記憶はなく、ただ柔らかく、大きく、温かかな存在としての記憶しかないのだが。


 セレオスの母は、王宮に住み込みで働く老夫婦の娘で、彼女自身も侍女として王妃に仕えていた。

 彼女は、たまたま王妃と同じ時期に子を身籠ったのだが、出産を迎える前に、夫を戦で失ってしまった。夫は騎士の従者だった。


 石造りの王妃の部屋。椅子に腰掛けた王妃の膝の上で、侍女は泣いた。

 そうして悲嘆にくれる彼女に、王妃はいたわりの言葉をかけ、なぐさめたそうだ。

 長いこと、彼女の黒い豊かな髪をなでながら、彼女の肩を抱いてやったそうだ。


 そのような王妃だったから、王妃が亡くなってしまった時、彼女は進んでアランの乳母を引き受けたという。


 しかし。

 その彼女自身も、それから三年を待たずして、流行り病で亡くなってしまった。


 以後、今に至るまで、アランとセレオスの二人の面倒は、彼女の老父母、つまりセレオスの祖父母が見ている。

 以上の話も、すべてその祖父母から聞いた話だ。


 セレオスの祖父母は、王城のほとりの空き地に小屋を持つことを許されていた。

 結婚を機に一度は出ていったセレオスの母も、夫を亡くして、またその小屋に戻ってきていた。

 それもあって、アランは幼い頃、ずっとその小屋で寝起きしていた。

 セレオスとともに。


 アラン自身、物心ついてからも、王城よりもその小屋の方を好んだ。石造りの武骨な王城は陰鬱いんうつで重苦しく、寒々しい。それに比べて、小屋は狭く雑然としていたが、温もりに満ちていた。


 ただ、セレオスの祖父母に言わせると、アランが小屋で寝起きするようになったのは新しい王妃のせいだということだった。

 王妃がアランをうとみ、遠ざけた、というのだ。


 アランは、前を行くブロワの後ろ姿をぼんやりと見ながら、祖父の言葉を思い出す。


 普段は無口で温厚なセレオスの祖父が、ことあるごとにアランとセレオスの二人に語って聞かせた言葉。それが今もまた、ありありとアランの耳によみがえる。


 狭い小屋の中、祖父は扉も窓も厳重に閉め、それでもなお辺りをうかがい、二人に向かって体をかがめ、声をひそめて囁くのだ。


「……用心なされませ、アラン様。あの毒蛇のような女は、お母上の存命中から王妃の座を狙っておったのです。王家に近づきたいリディア伯は、どんな手を使っても娘を王妃にしたかったのです。


よいですか、アラン様。あなたの母君は、殺されたのですよ。あの蛇女に毒を呑まされたのです。


お母上のお亡くなりになられた後、あの女は待ち構えていたかのように陛下に取り入り、すんなりと王妃の座におさまりました。

そして、アラン様をお城から遠ざけるよう、陛下をそそのかしたのです。

陛下の寵愛を、自分の子どもに向けるために。


……もっとも、遠ざけられ、ここにいることは、アラン様にとっては良いことです。

お城にいては、あなたの身が危うい。


いいですか、アラン様。くれぐれも用心なさいませ。

ことがあの女の狙い通り動いているうちは、あの女も手を出さないかもしれません。

しかし、何か不都合があれば、いつ命を狙われるかも知れぬのです。


そして残念ながら、その時は、陛下もあてにはできない。


何しろあなたは、唯ひとり、先王の血を引くお方……」


 祖父は話し終えると、きまってアランとセレオスの頭をなでた。愛おしげに、何度も何度も。

 そのごつごつとして節くれだった手は荒れていて、子供の柔らかい耳や頬に触れると、まるで樹皮のように感じられたものだった。


 今、馬上のアランには、記憶と共にその感覚も蘇っていた。

 成長し、頭をなでられなくなったのはいつぐらいからだっただろうか。

 アランはまだ、それを懐かしむような年ではない。


 子供のころからその話を聞かされて育ったため、セレオスはいまだに、アランの母は毒殺されたと信じて疑っていない。


 ただ、アランはというと、城に出入りする機会が増えていくにつれて、それに疑問を持たぬでもないようになってきていた。


 理由はいたって単純だ。

 実際に接してみて、アランには義母が、そこまで悪い人物には見えないからである。


 彼女はもう三十代も半ばを過ぎているはずだが、いまだに美しく、とても子供を二人も産んだようには見えない。

 

 背丈は女性にしては高い方なのだが、触れれば折れてしまうのではないかというほど華奢な体つきで、いつも、花のような、果実のような、甘い香りを漂わせている。


 白い肌。青い瞳。

 淡い色の金髪。

 透き通るような印象の彼女の中で、しかし、やや厚めの唇は赤く妖艶だった。


 彼女はアランと話をするとき、常に敬意をもって接してくれる。

 少なくともアランはそう感じていた。


「アラン様」

 彼女はアランのことをそう呼んだ。母なのだから呼び捨てでよいと言っても、彼女は改めない。


「わたくしたちの仲を邪推じゃすいし、なにか言う者がいるようです」


 これは、何の時の記憶だったか。

 旅の吟遊詩人の歌を皆で聞こうという時だったか、あるいは馬上槍試合を観覧している時だったか。

 アランの隣で、彼女はアランを見上げながら言った。


「ですが、私は長子であるアラン様が王位を継がれるのが当然と思っております。聡明なアラン様なら、必ずやこの国を盛り立てていかれるものと信じております。そして、きっとその時には、あなたの義弟おとうとたちもお力になれるはず。二人とも、将来はアラン様のために身を捧げるよう、わたくし常々話して聞かせておりますの。ですからアラン様。王になられた後も、義弟おとうとたちのこと、よろしくお願いしますね」


 もちろんアランとて、彼女のこの言葉を、額面通りすべて信じたわけではない。

 そのくらいには、世間を知っているつもりだ。

 彼女だって本音では、自分の子を王位につけたいのだろうと思う。

 そして実際、裏でそのための工作をしているのだろうとも思っている。


 だからこそ、アランは自分の王位継承が安泰だとも思っておらず、竜退治の命が下った時、自分にとっては好機だと思ったのだ。


 だが、それは政治的な権力闘争であって、悪事ではない。暗殺とは違う。

 彼女は暗殺に手を染めるほどの悪人ではないのではないか、というのがアランの印象なのだ。


 セレオスにこの話をしたら、色香に惑わされるなとたしなめられ、彼女についての世間の評判をあれこれと教えてくれた。

 金づかいが荒いとか、目下めしたの者に尊大に振る舞うとか、誰それの夫人をいじめているとかいった、悪評だ。

 確かにそれらは、アランの耳にも入ってきていた。


 だが、そういったいわば素行の悪さにしても、暗殺という大罪の根拠とするにはいささかへだたりがある。


 彼女が母を毒殺したという根拠は、セレオスの祖父母による人物評のみ。

 であるならば、自分による人物評だって、その反駁はんばくたりうるのではないだろうか。

 

 刺客についてセレオスと温度差があったのもそのせいだ。

 アランは、義母がそのような人物でないことを願っていたともいえる。


 だが、来た。

 それも、リディア伯の秘蔵する魔法の針という、確たる証拠を持って。


 もはや、アランの義母が、少なくとも彼女の家が暗殺に関与していることは疑いようがない。


 あの時、セレオスには甘いと言われた。

 自分の見る目が足りなかったということか。


 アランはため息をついた。


「ちょっと休憩にしましょうか」

 ブロワが振り返って言った。

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