竜殺しのアラン

ミナガワハルカ

第1話 踊る謀議

 深紅の幕が幾重いくえにもめぐらされた豪壮な大広間。

 その最奥部には数段のきざはししつらえられ、その壇上には黄金と宝石で飾り立てられた巨大な玉座がえられている。

 今、その玉座に深く尻を沈め、老王は投げやりにため息をついた。

「間違いではないのか」

「はい、残念ながら。……近隣の領主達からの急使が日々到着し、どれも一様いちように同じことを申しております。おそらく、事実かと」

 玉座の前に並ぶ廷臣ていしんたちの列から、赤いマントに身を包んだ長身の老人が答え、浅く頭を下げた。老人の頭で、赤い帽子に縫い付けられた金の房が揺れた。老人の名はギルスタイン卿。卿は年に似合わぬ朗々とした声で、なおも続ける。

「使者どもは城内に留めおきましたが、交易のドワーフどもが噂を持ちこんだようです。いまや城下はその話でもちきりで、子供でさえ知らぬものはおらず、みな怪しみ恐れております。まったく、大変なことです。ようやく隣国との戦が終わったというのに……」

 卿の話はまだまだ終わりそうになかったが、王は手を振って黙らせた。


 香油こうゆの香りがきつく立ち込める大広間。篝火かがりびの揺らめきにつれて人々の影が揺れる。石壁に掛けられたタペストリーも、王の顔に刻まれた深いしわも、炎にあわせて陰影が不規則に変化する。

 玉座の前の階段の下、大扉まで真っすぐに敷かれた緋色の絨毯じゅうたんの両脇に並ぶ廷臣たちを見下ろしながら、王は苦々にがにがしげに嘆いた。

「我が国に、我が治世に来なくともよいものをな」


 すかさず、廷臣たちの列から「まったくでございますな」と追従する者があった。広間の暗がりに溶け込みそうな黒衣に身を包んだ老人は、ローグレック卿。

「このところ、立て続けの飢饉ききん疫病えきびょう。それに加えて竜まで現れるとは、忌々しい限りでございます……」


 しかし王は、卿の話を聞いているのかいないのか。物憂ものうげに問うた。

「どうすればよいか」

 ローグレック卿は目を細める。

「は。恐れながら、誰かを討伐に向かわせねばなりますまい。すでに、ランス伯をはじめ、幾人かの諸侯たちからたすけの求めが入っております。まずは、我等が動かねばならぬでしょう」

 その後を、ギルスタイン卿が引き取った。

「諸侯たちは皆、まだ戦の疲れを残しております。今は彼らの心が離れないよう腐心ふしんする必要がございます」

 そして、卿のその言葉を皮切りに、他の廷臣たちも口を開き始めた。

「まったく、恩はすぐ忘れるくせに、何かにつけて要求ばかりしてくる者どもですからな」

「さよう。手に負えませんな」

「先の戦でも、我らがどれだけ助けてやったか」

「気安く救援などと。自分でどうにかできんのか」

「そもそも、ほんとうなら竜など、放っておけばよいのだ。災害のようなもので、我慢していればいつかいなくなる」

「確かに。いっそ、よその国に行って荒らしてくれれば、儲けものというものですしな」

「そうですな、そうなれば今度は、そこにつけこんで攻め込むということもできる」

「はは、さすが、抜け目がありませんな。噂では、先の戦ではずいぶんと懐を肥やされたとか」

「ははは、いやいや、貴公ほどではござらんよ」

「なんの、なんの」


 廷臣たちの勝手な話を、王はしばらくのあいだ黙って聞いていた。

 だが、やがて口を開き、「それで?」と問うた。

 談笑していた廷臣たちが黙る。

 王が重ねて問う。

「誰が行くのか?」

 広間は静まり返った。

 廷臣たちの間を鋭い視線が交錯こうさくするが、誰も口を開かない。

 王は少し待ち、再び尋ねた。

「誰が行くのか?」


 ようやく、数人と目配めくばせを交わしたギルスタイン卿が咳払せきばらいをして、口を開いた。

「大変難しい問題ではございますが。そう、バラン卿などはいかがでございましょう。武勇は諸国にあまねくとどろき、まさしく誰もが認める勇者であらせられます」

 突然名前を出されたバラン卿は顔をしかめ、ギルスタイン卿をにらみつける。そして、その体躯たいくにふさわしい大きな声を上げた。

「いや、お待ちください。私は先の戦で粉骨砕身ふんこつさいしんはたらきました。そのため、受けた損耗そんもうも大きく、回復には時間が必要です」

 しかしギルスタイン卿は、彼の声が聞こえなかったかのように前を向いて黙っている。そこへギルスタイン派の廷臣たちが、「なるほど」とか「それはいい」などと賛同の声を上げたため、バラン卿はにがり切って、聞こえよがしに舌打ちをした。


 しかしそこへ、ローグレック卿が「いやいや」と声を上げた。

 彼は白く豊かな口髭をつまみながら、

「それはお気の毒です。先の戦でのバラン卿のご活躍は皆が知るところ。その痛手のえぬうちから、かような任務をお頼みするのは、いささかこくでございましょうな」

 とバラン卿を擁護し、最後に、

「私は、ドルシュ卿など適任ではないかと思うのですがな」

 と付け加えた。

 今度は、ギルスタイン卿の少し後ろに立つドルシュ卿の顔がこわばる番だった。


 ギルスタインもローグレックも既に老境であるが、両者ともまだまだ眼光鋭く、周囲からはむし老獪ろうかいさは増すばかりと陰口を叩かれている。

 ローグレック卿は笑いながら、追い打ちとばかりに、

「確かドルシュ卿は、先の戦であまりお手柄を立てる機会に恵まれなかったはず。痛手も少なかったと聞いておりますが」

 と痛烈な言葉を投げかけると、今度は彼の派閥の廷臣たちが賛同する。

「おお、なるほど、それは良いですな」

「ドルシュ卿のお力をお示しになる、良い機会ですな」

 揶揄やゆともとれる発言に、ドルシュ卿の顔に赤味が差した。


 しかし、その時だった。若々しく艶のある声で、「お待ちください」という者があった。皆が驚いてそちらを見る。


「誰だ?」

 ギルスタイン卿は男から目を離さず、後ろのドルシュ卿に小声で尋ねた。その耳に口を寄せ、ドルシュ卿がささやく。

「サリンドル卿でございます。最近、老いた父に代わって後を継いだ」

「……ああ、サリンドル殿のご子息」

 サリンドル卿は話を続ける。

「恐れながら、ドルシュ卿もバラン卿も、確かに先の戦で消耗しておられます。いえ、お二方だけではございません。ここにおられる皆様が、消耗しておられるはず」

 彼は屈託くったくない口ぶりで言い、手を大きく広げ、皆の顔を見回した。

「いかがでしょう、今回の竜の討伐、アラン王子にお願いをできないものでしょうか」

 皆が驚き、各所で小声のざわめきが起こった。しかしサリンドル卿は構わず、演説を続ける。

「竜の討伐は大軍であれば成功するというものではないと聞きます。数ではなく、選りすぐった精鋭せいえいこそが必要と。ならば、戦の傷が癒えぬ今、援軍は手練てだれに絞るべきです。精鋭のみを送るのであれば、負担は最小限に抑えられましょうからな。……しかし一方で、兵の数が少なければ、諸侯たちは陛下が兵を出し惜しんだと疑う恐れがあります。……そこで、アラン王子です」

 サリンドル卿は言葉を切り、再び皆の顔を見回した。

 得意げで、自信に満ちあふれた顔。

 ギルスタイン卿は鋭い目つきでそれを眺めながら、誰にも聞こえぬつぶやきを漏らした。

「……よくも言えた」

 確かに、王族が直々に討伐とうばつおもむいたとなれば、兵を出し惜しんだという疑いはかけられまい。理屈としては正しい。

 しかし。

 要するに、貧乏くじなのだ、今回の討伐というのは。

 王は、誰かを討伐に出しさえすれば諸侯に対して体面が保てる。そして、その結果がどうなるかなど知ったことではないのだ。誰かが口にした通り、竜はしばらくすればいなくなるのだから。だからこそ、ギルスタイン派とローグレック派で、相手の陣営の手ごろな一人を名指しで押し付けようとした。バランもドルシュも、それぞれの陣営の中で特に有力という存在ではない。どう転んでも、派閥同士の決定的な対立にまでは至らない。ここにいる誰もが承知のことであるはずだった。

 それを、この新顔のサリンドル卿は、その貧乏くじを王子に引かせよと言っているのである。

 それも、こともあろうに王の御前で。

 とんだ面の皮の厚さだ。

 いや、それだけではない。もしも本音でそう言っているのなら、とんでもない阿呆だ。

 そもそも、そんな提案を王が承知するはずがないのだから。

 普通なら、叱責され一蹴されるのは目に見えている。


 だが。

 ギルスタイン卿は目を細めてサリンドル卿を見た。

 こいつ、どこまで知っている?

 ただの阿呆か、それとも、とんでもない役者か。

 いいだろう。ここはその芝居に乗ってやる。


 今度は彼が、さらなるつらの皮の厚さを披露する番だった。

 ギルスタイン卿は大げさに頷きながら、「なるほど、それは道理」と腕を広げた。

 すると、さすが。ローグレック卿も即座にこの反応に対応した。

「確かに、理に適っておりますな」


 この二人が賛成したことで、ほかの廷臣たちも口々に賛同を始めた。

「それは妙案みょうあん

「良い人選だ」

「安心してお任せできるというもの」


 ギルスタイン卿は人々のざわめきが落ち着くのを待ち、それから、おもむろに王の前に進み出てひざまずいた。

「陛下、恐れながら、皆が先の戦で疲弊ひへいしきっております。そこに今、竜の討伐に兵を動かすとなれば、非常に大きな負担となります。大変恐れおおいことではございますが、アラン王子にお願いができれば、討手の数は最小限で済むと考えられます。今回の討伐、アラン王子にお願いできませぬでしょうか」


 王はすぐには答えず、ギルスタイン卿の顔を眺めた。

 ギルスタイン卿は神妙な顔つきのまま、その視線を平然と受け止めた。


 やがて王は、ふん、と鼻で笑い、「良きにはからえ」と言い渡した。


 王の前に居並ぶ廷臣たちは、みな一斉に足をまげてひざまずき、頭を下げた。

 こうして竜は、第一王子のアランが討伐に赴くこととなった。


 * * *


 散会となった後、広間から続く石畳の廊下で、ギルスタイン卿はサリンドル卿を呼び止めた。彼は数人の取り巻きとともに歩み寄ると、鷹揚おうように笑った。

「いやあ、先ほどは助かりましたぞ。若いのに、御父上によく似て、聡明でいらっしゃる」

「恐れ多いこと。若輩者じゃくはいものです」

 サリンドル卿は慇懃いんぎんに頭を下げた。 

 すると横から、さらに声がかかる。

「いやいや、本当に、貴君のおかげで、頭の痛い問題が片付きましたわ」

 ローグレック卿である。彼もやはり数人の取り巻きを引き連れている。今度は彼に向かって頭を下げるサリンドル卿に、ギルスタイン卿は何気ないふうを装って、話を切り出した。

「ときに、サリンドル殿、先ほどのご提案ですがな。貴公は、陛下があれをご承知なさるかどうか、確信はおありでしたのかな。いや、なに。実は私は内心、陛下が却下されるのではないかと心配でしたのでな」

「ああ、そのことですか」

 サリンドル卿は屈託くったくなく笑うと、得意げに言った。

「実は私は、成算がございました」

 その回答に、ギルスタイン卿とローグレック卿の目が光る。

「ほう」

「さようで」

 サリンドル卿は少し胸をそらし、もったいぶる。

「じつは、私は王室の機微きびには少々通じておりまして……」

 ギルスタイン卿は目を細め、ローグレック卿はうなずいて先をうながした。

「第一王子のアラン様はお世継ぎとして王の寵愛ちょうあいめでたく、次期国王としての期待を一身に受けておられます。しかし」

 サリンドル卿は声を落とした。

「それが最近、少々雲行きが怪しくなってきたのです。というのも、王妃様、……というのはつまり、もちろん今の王妃様です。その王妃様が、ご自分のお子を王位につけることを望んでおられるのです」

 老人二人が一瞬、静かに視線を合せた。

 サリンドル卿はさらに声を落とし、ほとんどささやくような声になった。

「今の王妃様には、言うまでもなく御父君のリディア伯という後ろ盾がありますが、アラン王子にはこれといった有力な後ろ盾のない状態。このままでは、王妃様の圧力に負けて廃嫡はいちゃく、という事態にもなりかねません。しかし、王位継承の順を乱すことは、王家の混乱の元。古来、そのような例は枚挙に暇がありません。陛下も決して、そんなことは望んでおられないはずです」

 再び、老人二人が視線を合せる。

 しかしサリンドル卿はそれに気づく様子もなく続ける。

「そこで、竜を倒した、……いえ、倒さずとも、追い払った。いや、立ち向かったというだけでも、王子のいさおしは立ちましょう。そうなれば、アラン王子の王位継承に口を挟む者もいなくなるはず」

「なるほど」

 ローグレック卿は頬がゆるみそうになるのをこらえ、真面目な顔をつくろってうなずいた。

「アラン殿下のお立場を盤石なものにするため、殿下に功績を立てさせるために、陛下がご承知になると、そうお考えになったというわけですな」

「はい」

 サリンドル卿は得意げに笑い、つられるようにして横で聞いていたギルスタイン卿も笑った。

「いやあ、お見事ですな」

 ギルスタイン卿は大きな声でそう言いい、サリンドル卿の肩を叩いた。

「いやはや、お若いのに慧眼けいがんでいらっしゃる。御父上もたいそう鼻が高いことでしょうな」

「いえ、もったいないお言葉。恐縮です」

 サリンドル卿は照れるようなそぶりを見せ、再び深く頭を下げた。

 その様子を満足げに眺めながら、老人二人はゆっくりと歩き始めた。その後を、取り巻きたちがぞろぞろとついていく。

「これからも、よろしくお頼みしますぞ」

「ほほほ、期待しておりますからな」

 頭を下げたままのサリンドル卿に、二人が声を掛ける。

「は、ありがとうございます」

 サリンドル卿は頭を下げたまま答えた。


 連れだって歩きながら、ギルシュタインはローグレックに顔を寄せ、ささやいた。

「……やはり、取り越し苦労でしたな」

「ああ、あれは道化だ。何も知らんくせに、自分を賢いと思っている」

 ローグレックは笑った。

「そのうち、自分の浅知恵で身を滅ぼすわ」

 二人は肩を並べて、通路の闇へと消えていく。


 サリンドルは、まだ顔を上げない。

 しかし。

 それは決して、二人に対する敬意がさせているものでなかった。そのことは、彼のゆがんだ口元がはっきりと示している。

 やがて彼は、わずかに鼻で笑った。

 しかし、すぐに顔を上げる。

 その顔はもう、屈託くったくのない微笑に戻っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る