竜殺しのアラン
ミナガワハルカ
第1話 踊る謀議
深紅の幕が
その最奥部には数段の
今、その玉座に深く尻を沈め、老王は投げやりにため息をついた。
「間違いではないのか」
「はい、残念ながら。……近隣の領主達からの急使が日々到着し、どれも
玉座の前に並ぶ
「使者どもは城内に留めおきましたが、交易のドワーフどもが噂を持ちこんだようです。いまや城下はその話でもちきりで、子供でさえ知らぬものはおらず、みな怪しみ恐れております。まったく、大変なことです。ようやく隣国との戦が終わったというのに……」
卿の話はまだまだ終わりそうになかったが、王は手を振って黙らせた。
玉座の前の階段の下、大扉まで真っすぐに敷かれた緋色の
「我が国に、我が治世に来なくともよいものをな」
すかさず、廷臣たちの列から「まったくでございますな」と追従する者があった。広間の暗がりに溶け込みそうな黒衣に身を包んだ老人は、ローグレック卿。
「このところ、立て続けの
しかし王は、卿の話を聞いているのかいないのか。
「どうすればよいか」
ローグレック卿は目を細める。
「は。恐れながら、誰かを討伐に向かわせねばなりますまい。すでに、ランス伯をはじめ、幾人かの諸侯たちから
その後を、ギルスタイン卿が引き取った。
「諸侯たちは皆、まだ戦の疲れを残しております。今は彼らの心が離れないよう
そして、卿のその言葉を皮切りに、他の廷臣たちも口を開き始めた。
「まったく、恩はすぐ忘れるくせに、何かにつけて要求ばかりしてくる者どもですからな」
「さよう。手に負えませんな」
「先の戦でも、我らがどれだけ助けてやったか」
「気安く救援などと。自分でどうにかできんのか」
「そもそも、ほんとうなら竜など、放っておけばよいのだ。災害のようなもので、我慢していればいつかいなくなる」
「確かに。いっそ、よその国に行って荒らしてくれれば、儲けものというものですしな」
「そうですな、そうなれば今度は、そこにつけこんで攻め込むということもできる」
「はは、さすが、抜け目がありませんな。噂では、先の戦ではずいぶんと懐を肥やされたとか」
「ははは、いやいや、貴公ほどではござらんよ」
「なんの、なんの」
廷臣たちの勝手な話を、王はしばらくのあいだ黙って聞いていた。
だが、やがて口を開き、「それで?」と問うた。
談笑していた廷臣たちが黙る。
王が重ねて問う。
「誰が行くのか?」
広間は静まり返った。
廷臣たちの間を鋭い視線が
王は少し待ち、再び尋ねた。
「誰が行くのか?」
ようやく、数人と
「大変難しい問題ではございますが。そう、バラン卿などはいかがでございましょう。武勇は諸国にあまねく
突然名前を出されたバラン卿は顔をしかめ、ギルスタイン卿を
「いや、お待ちください。私は先の戦で
しかしギルスタイン卿は、彼の声が聞こえなかったかのように前を向いて黙っている。そこへギルスタイン派の廷臣たちが、「なるほど」とか「それはいい」などと賛同の声を上げたため、バラン卿は
しかしそこへ、ローグレック卿が「いやいや」と声を上げた。
彼は白く豊かな口髭をつまみながら、
「それはお気の毒です。先の戦でのバラン卿のご活躍は皆が知るところ。その痛手の
とバラン卿を擁護し、最後に、
「私は、ドルシュ卿など適任ではないかと思うのですがな」
と付け加えた。
今度は、ギルスタイン卿の少し後ろに立つドルシュ卿の顔がこわばる番だった。
ギルスタインもローグレックも既に老境であるが、両者ともまだまだ眼光鋭く、周囲からは
ローグレック卿は笑いながら、追い打ちとばかりに、
「確かドルシュ卿は、先の戦であまりお手柄を立てる機会に恵まれなかったはず。痛手も少なかったと聞いておりますが」
と痛烈な言葉を投げかけると、今度は彼の派閥の廷臣たちが賛同する。
「おお、なるほど、それは良いですな」
「ドルシュ卿のお力をお示しになる、良い機会ですな」
しかし、その時だった。若々しく艶のある声で、「お待ちください」という者があった。皆が驚いてそちらを見る。
「誰だ?」
ギルスタイン卿は男から目を離さず、後ろのドルシュ卿に小声で尋ねた。その耳に口を寄せ、ドルシュ卿が
「サリンドル卿でございます。最近、老いた父に代わって後を継いだ」
「……ああ、サリンドル殿のご子息」
サリンドル卿は話を続ける。
「恐れながら、ドルシュ卿もバラン卿も、確かに先の戦で消耗しておられます。いえ、お二方だけではございません。ここにおられる皆様が、消耗しておられるはず」
彼は
「いかがでしょう、今回の竜の討伐、アラン王子にお願いをできないものでしょうか」
皆が驚き、各所で小声のざわめきが起こった。しかしサリンドル卿は構わず、演説を続ける。
「竜の討伐は大軍であれば成功するというものではないと聞きます。数ではなく、選りすぐった
サリンドル卿は言葉を切り、再び皆の顔を見回した。
得意げで、自信に満ちあふれた顔。
ギルスタイン卿は鋭い目つきでそれを眺めながら、誰にも聞こえぬつぶやきを漏らした。
「……よくも言えた」
確かに、王族が直々に
しかし。
要するに、貧乏くじなのだ、今回の討伐というのは。
王は、誰かを討伐に出しさえすれば諸侯に対して体面が保てる。そして、その結果がどうなるかなど知ったことではないのだ。誰かが口にした通り、竜はしばらくすればいなくなるのだから。だからこそ、ギルスタイン派とローグレック派で、相手の陣営の手ごろな一人を名指しで押し付けようとした。バランもドルシュも、それぞれの陣営の中で特に有力という存在ではない。どう転んでも、派閥同士の決定的な対立にまでは至らない。ここにいる誰もが承知のことであるはずだった。
それを、この新顔のサリンドル卿は、その貧乏くじを王子に引かせよと言っているのである。
それも、こともあろうに王の御前で。
とんだ面の皮の厚さだ。
いや、それだけではない。もしも本音でそう言っているのなら、とんでもない阿呆だ。
そもそも、そんな提案を王が承知するはずがないのだから。
普通なら、叱責され一蹴されるのは目に見えている。
だが。
ギルスタイン卿は目を細めてサリンドル卿を見た。
こいつ、どこまで知っている?
ただの阿呆か、それとも、とんでもない役者か。
いいだろう。ここはその芝居に乗ってやる。
今度は彼が、さらなる
ギルスタイン卿は大げさに頷きながら、「なるほど、それは道理」と腕を広げた。
すると、さすが。ローグレック卿も即座にこの反応に対応した。
「確かに、理に適っておりますな」
この二人が賛成したことで、ほかの廷臣たちも口々に賛同を始めた。
「それは
「良い人選だ」
「安心してお任せできるというもの」
ギルスタイン卿は人々のざわめきが落ち着くのを待ち、それから、おもむろに王の前に進み出てひざまずいた。
「陛下、恐れながら、皆が先の戦で
王はすぐには答えず、ギルスタイン卿の顔を眺めた。
ギルスタイン卿は神妙な顔つきのまま、その視線を平然と受け止めた。
やがて王は、ふん、と鼻で笑い、「良きに
王の前に居並ぶ廷臣たちは、みな一斉に足をまげてひざまずき、頭を下げた。
こうして竜は、第一王子のアランが討伐に赴くこととなった。
* * *
散会となった後、広間から続く石畳の廊下で、ギルスタイン卿はサリンドル卿を呼び止めた。彼は数人の取り巻きとともに歩み寄ると、
「いやあ、先ほどは助かりましたぞ。若いのに、御父上によく似て、聡明でいらっしゃる」
「恐れ多いこと。
サリンドル卿は
すると横から、さらに声がかかる。
「いやいや、本当に、貴君のおかげで、頭の痛い問題が片付きましたわ」
ローグレック卿である。彼もやはり数人の取り巻きを引き連れている。今度は彼に向かって頭を下げるサリンドル卿に、ギルスタイン卿は何気ないふうを装って、話を切り出した。
「ときに、サリンドル殿、先ほどのご提案ですがな。貴公は、陛下があれをご承知なさるかどうか、確信はおありでしたのかな。いや、なに。実は私は内心、陛下が却下されるのではないかと心配でしたのでな」
「ああ、そのことですか」
サリンドル卿は
「実は私は、成算がございました」
その回答に、ギルスタイン卿とローグレック卿の目が光る。
「ほう」
「さようで」
サリンドル卿は少し胸をそらし、もったいぶる。
「じつは、私は王室の
ギルスタイン卿は目を細め、ローグレック卿はうなずいて先をうながした。
「第一王子のアラン様はお世継ぎとして王の
サリンドル卿は声を落とした。
「それが最近、少々雲行きが怪しくなってきたのです。というのも、王妃様、……というのはつまり、もちろん今の王妃様です。その王妃様が、ご自分のお子を王位につけることを望んでおられるのです」
老人二人が一瞬、静かに視線を合せた。
サリンドル卿はさらに声を落とし、ほとんど
「今の王妃様には、言うまでもなく御父君のリディア伯という後ろ盾がありますが、アラン王子にはこれといった有力な後ろ盾のない状態。このままでは、王妃様の圧力に負けて
再び、老人二人が視線を合せる。
しかしサリンドル卿はそれに気づく様子もなく続ける。
「そこで、竜を倒した、……いえ、倒さずとも、追い払った。いや、立ち向かったというだけでも、王子の
「なるほど」
ローグレック卿は頬がゆるみそうになるのをこらえ、真面目な顔をつくろってうなずいた。
「アラン殿下のお立場を盤石なものにするため、殿下に功績を立てさせるために、陛下がご承知になると、そうお考えになったというわけですな」
「はい」
サリンドル卿は得意げに笑い、つられるようにして横で聞いていたギルスタイン卿も笑った。
「いやあ、お見事ですな」
ギルスタイン卿は大きな声でそう言いい、サリンドル卿の肩を叩いた。
「いやはや、お若いのに
「いえ、もったいないお言葉。恐縮です」
サリンドル卿は照れるようなそぶりを見せ、再び深く頭を下げた。
その様子を満足げに眺めながら、老人二人はゆっくりと歩き始めた。その後を、取り巻きたちがぞろぞろとついていく。
「これからも、よろしくお頼みしますぞ」
「ほほほ、期待しておりますからな」
頭を下げたままのサリンドル卿に、二人が声を掛ける。
「は、ありがとうございます」
サリンドル卿は頭を下げたまま答えた。
連れだって歩きながら、ギルシュタインはローグレックに顔を寄せ、ささやいた。
「……やはり、取り越し苦労でしたな」
「ああ、あれは道化だ。何も知らんくせに、自分を賢いと思っている」
ローグレックは笑った。
「そのうち、自分の浅知恵で身を滅ぼすわ」
二人は肩を並べて、通路の闇へと消えていく。
サリンドルは、まだ顔を上げない。
しかし。
それは決して、二人に対する敬意がさせているものでなかった。そのことは、彼のゆがんだ口元がはっきりと示している。
やがて彼は、わずかに鼻で笑った。
しかし、すぐに顔を上げる。
その顔はもう、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます