music box from your end
金 日輪 【こん にちわ】
蒼の後悔
今でもたまに夢に見る。
俺を一人で置いていった、大好きで大嫌いなあいつのことを。
また店で寝てしまった。時計は朝の9時を指している。
父から受け継いだこの店の雰囲気が好きで、ついついこのアンティークで夜を明かしてしまう。
父を看取ったあの日も、ここにある商品をずっと眺めてたなぁ。
この匂いも、俺の頭を撫でる父の手も、母の鼻歌も全部大切な思い出で、新鮮なままこの空間に色濃く残っている。
――そんなことを考えながらふと手元にあったオルゴールを鳴らすと、チッチッと大きな音が鳴りだす。
「こんな音が鳴るほど古くなってたっけ?」
と言うや否や、周囲が蒼く輝き出した。その色彩は、まるで深海のように神秘的であった。そして、その光は徐々に明滅を繰り返し、まるで何かが起ころうとしているかのような予感を醸し出していた。
……店を包み込んでいた光が消えると、、店の外が真っ暗になり、急に辺りが冷えた感じがした。1番驚いたのは
「これ…俺か?」
目の前のカウンターに横たわりぐっすり寝ている俺がいる。急に幽体離脱か?と思って古い壁掛け時計に目をやると、針は午前1時を指していた。信じられないけど、
――時間が戻った…?
こんなにも意味不明な事が起こっているのに、オルゴールの曲が鳴ってないことに気付く位は冷静になっていた。
「ここに寝てる俺がいるってことは、今の俺は幽霊ってことになってるのかな…?」
あれから色々試してみたけど、時間を戻した時の俺は幽霊になっていて周りからは見えないこと、それでも辺りの物は触ったら持ち上げたり出来るということ、オルゴールのネジを逆に回せば時間が元に戻るということなどが分かった。
これは俺が子供の頃父に貰ったもので、今では覚えていないが何かの曲が入っていた気がする。
それが何時からこんな仕組みを持つようになったかなど、気になることは沢山ある。
しかし俺が時を戻せるようになった時にやろうと思っていたことは1つ。
――1年前、通り魔に襲われて亡くなった俺の彼女を助けることだ。
あの日のことは二度と忘れることは無いだろう。
霊安室で眠ったように横になっている彼女を見て、
「あぁ、本当に死んだんだな」
という実感と、どうしようもない無力感が無限に押し寄せてきた。その日は付き合ってから3周年で、結婚記念日にする予定でもあった。
飯を食べても味がせず、もちろん店の営業もままならずに、僅かにあった客足も完全に途絶えてしまった。
もうここに残るのは俺と、物が入り乱れている無駄に広いこの伽藍だけだ。
俺は過去に戻り、彼女をもう一目見るためオルゴールのネジを回した。
1年前に戻るのには何回ネジを回さないといけないのだろう。
十回転ほどネジを回すと、これ以上先に進むのを拒否するかのようにネジが固くなってきた。
俺はそれに負けないよう、必死にネジを握った。
継続は力なり、と言う言葉がある。
俺はその言葉の通りかれこれ30分ほどオルゴールと格闘していた。
すると突然、不自然な機械音と共にネジがぽろっと足元に落ちてきた。
回しすぎて壊れたのだろう。
するとその拍子にまた周りが蒼に包まれ、時間の巻き戻しが始まった。
しかしさっきとは様子が違い、俺はこの空間にどうしようもない虚無感を覚えた。
もう、二度と元の時間に帰れないような気がした。
辺りの光がぽつぽつと消え始めたころ、昔のアンティーク屋に立っていることが分かった。成功だ。
時計を見ると彼女の命日、5月27日の夜7時を指していた。
俺があの時彼女の訃報を知らされた時が夜の9時くらいだから、時間が全くない。
周りを見渡すと、俺が古ぼけた大きいぬいぐるみ相手にプロボーズの練習をしているのが目に見えた。
彼女を助けるまでが俺のできる事だが、そこからはこいつの役目だ。
俺は心の中で応援しながら、外に飛び出した。
「とりあえずあいつの職場からここまでの道を辿ってみよう」
無いとは思いつつ、最悪の事を想定しながら道を走り抜ける。
すると道端のコンビニの窓で、雑誌を立ち読みしている彼女を見つけた。
「こんなとこで何してんだよ…!」
口ではそんな事を言いつつも、目からは涙が溢れる。
雑誌を見て微笑む姿と、あの日病院で見たあの姿を重ね合わせ、俺は再び彼女に会わせてくれた事を喜び、これからも一緒に過ごすことが出来る世界線を心から欲した。
すると、まだ雑誌を見ている最中だった彼女がこちらを見て手を振っている。
「もしかして俺が見えるのか…?」
もし今から話すことが出来ればどこから打ち明けよう。
いきなり自分が死ぬなんて話をされても困るから、最近の商売状況でも言おうかな。
――もしこの後、プロポーズされるよ、なんて言ったら彼女はどんな反応をするだろうか。
びっくりしてそれから…泣くのかな。
出来ればそれが嬉し涙だったら良いな。
コンビニから彼女が出て、こちらに向かって走ってくる。
彼女を待ち構えようと思い切り広げた両腕は
無惨にも彼女を捉えきれず、体をすり抜けた。
「あれ、確かここら辺に居た気がするんだけどな…?」
どうやらやっぱり俺のことは見えていないらしい。
……なんだよ!!
「そろそろいい時間だし、あの店に帰るかぁ~!」
彼女は伸びをしながら、誰かに語りかけるように、そう呟いた。
俺と彼女は同棲はしていない。しかしあの広い店で1人で暮らしている俺に気を使ってか単に居心地がいいからなのかは分からないが一人暮らしはつまらないから、と事ある事に家に立ち寄っている。
もっとも、この日は俺のプロボーズがあるから彼女を呼んだのだが。
とその時、近くの茂みが急に音を立て、中から猫が飛び出してきた。
彼女はイヤホンをしていて気づかなかったが、俺はその時自分の使命を思い出した。
ここに来たのは思い出に浸るためではなく、その先を通り魔から護りに来たのだ。
俺は彼女の数歩先を歩き、目の前と彼女の後ろを警戒し続けた。
しかし通り魔どころか人1人すれ違わない。
俺が過去に戻ったことで何かが変わったのだろうか。
アンティークが目と鼻の先まで迫っていた時、俺は油断していた。
店の前に佇む、黒いフードのいかにも怪しそうな男に気づかない程に。
ちょうどその時店から出てきた男と、彼女の肩がぶつかった。
俺はその時何も起こらないとタカを括っていたので、後ろの方に気を配ることもしていなかったのだ。
俺が異変に気づいたのは彼女の
「く…っ…!!」
という声にもならない唸り声を聞いた時だった。
俺は最低だ。
完全に油断しきっていた俺もそうだし、店の目の前で彼女が倒れているのに呑気に店番をしている当時の俺にも腹が立った。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」
俺がどれだけ悲鳴をあげても、この世界には俺に気づいてくれる存在はいない。
どうにか今からでも助けられる方法はないのか?
そう思いながら辺りを見渡していると、うずくまったままだった彼女が、突然来た道を戻りだした。
「何してんだよ!」
そう叫ぶ俺の声も、彼女の耳には届かない。
彼女はさっき居たコンビニまで戻ると、入口に手が届くか届かないかの所で倒れてしまった。
既に、息は無かった。
コンビニのレジには誰もいない。
俺は、また同じ過ちを繰り返してしまった。
時を戻すなんて能力を手に入れても、俺なんかに運命を帰る力なんて無かったんだ。
俺はその場に倒れ込み、泣きじゃくった。
彼女の死から立ち直れそうになっていたこの時に、神はなぜまたあの日のリプレイを俺に見せるような真似をしたんだろう。
きっと神は意地悪だから、助けられなかった俺が悪いとでも言うのだろう。
彼女の頬に手を添える。こんな時でも俺の手は彼女の体をすり抜けて行く。
このブロンドの髪も、ぱっちりとした目も、俺がプレゼントした腕時計も全て消えてしまう。
こんな悲しい事があるだろうか。
俺はこれからどのようにして生きていけばいいのだろう。
ふと、彼女のスマホが鳴った。鞄からスマホを取り出して画面を見ると、俺からの不在着信が入っていた。
そう、彼女の帰りが遅かったので、俺はこの時電話をしたのだ。
まさか、もう既に死んでいるとは思いもせずに。
彼女の鞄から、一通の手紙?が滑り落ちてきた。
見ると、俺の名前が書かれてあった。
何を書いていたのだろう。
普段直接言えない様なことを手紙に
俺にとっては、そんなのはもうどうでもよかった。
もう俺はあの声を聴くことが出来ないのだから。
涙で霞む視界で、彼女の手紙の封を開けようとする。するとその時、暗かった空が当然割れ始め、その外側に真っ青な空間が現れた。
――綺麗だ。
そんな事を思っている暇もなく地震が起き、徐々に周りの地面が崩れ落ちて無限の蒼に吸い込まれる。
あそこに落ちればきっと生き地獄だ。
おれはなぜかそう思った。
俺は咄嗟にあのオルゴールを取り出し、崩れ落ちる地面と共に下の方に放り投げた。彼女の体が落ちていくのを最後に、俺は気を失ってしまった。
起きると、俺は病院のベッドの上にいた。
医者の話によると、俺が時間を巻き戻したあの日、店の中で気を失っている俺を見て誰かが119番通報をしてくれたらしい。
「でも、君があの日に失神していた原因が未だに分かっていないんだよ。」
当たり前だ。過去に戻っていたなんて医者に言えば新しい病院を紹介されるに決まっている。
しかし驚いたな。
まさか戻って来るのが「あの日」じゃなくてその1年後の彼女の命日だったとは。
やはりあの時オルゴールを壊したのが響いたのか。
周りを確認していると、あの手紙が棚に置いてあるのを見つけた。
取り出してみると、俺の名前が書かれている部分になぜかシミが出来ていた。誰かが読んで涙でも落としたのか。
俺はその手紙を読まずに、くしゃくしゃにしてゴミ箱に投げ入れた。
照れ隠しなのか、何となく彼女が俺にそうさせた様な気がした。
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