第2488話・変わる乱世

Side:久遠一馬


 屋敷で仕事をしていると、清洲城から呼び出しがあった。


 越後からの密使が来たらしい。


 義統さん、信秀さん、信長さん、義信君しかいないところにオレとエルが席に着いた。当然ながら、このメンバーだけで話ということはそれだけ重要な案件ということだ。


「エル、そなたの見立て通り。関東が動くぞ」


 信秀さんから渡された密書をオレとエルで見てみる。


「和睦か」


 景虎さん、上杉と北条の和睦をすることで上杉家を説得したらしい。無論、条件はこれからというか、まだ北条に打診すらしていないが。義統さんに仲介をお願いしたいというものだ。


「関東静謐せいひつのためですか。なるほど、それならば上杉家の者たちも折れることが出来ると」


 エルが笑みを浮かべている。これは面白いと感じている笑みだろう。オレたちはシルバーンからの報告で和睦については知っているが、書状として見ると印象が違うものがある。


 益氏さんからの報告通り、関東の騒乱を終わらせるために和睦をしたいと書かれている。


 義輝さんの治世が安定し始めているし、尾張の所領が揺れることはないと確信したのだろう。


 書状には書かれていないが、奥羽情勢も耳に入っているはずだ。伊達は今も頑張っているが、伊達が敗れてから動くのだけは避けたいのだろう。


 上杉の面目を守るには、追い詰められる前に和睦をしないと駄目だというのも事実だ。関東が織田領に挟まれてから北条に妥協したのでは上杉の面目が保てなくなる。


 上杉からの条件で譲れないのは上野国の返還だ。懸案のひとつである古河公方に関しては、上杉と長尾は現古河公方である足利義氏さんを古河公方と認めていないが、古河公方として認めるらしい。


 所領に関しては応相談というように書かれているが、北条を関東の武家として認めることは書かれてある。


「揉めそうなのは所領か?」


「そこは話してみないとなんとも……。ただ、北条はもう関東を平定することを諦めていますから、交渉次第というところでしょう」


 伊豆、相模、上総あたりは寄越せとは言わないだろう。北条領として安定している。去年と今年の飢饉ではっきりしたが、関東情勢が史実とだいぶ変わったものの北条の影響力はそこまで落ちていない。


 そもそも北条家、数年前に久遠諸島に招待した時に臣従も覚悟していたんだよね。あの時すぐというわけではなかっただろうが、臣従を求められる話をすることを覚悟していた。


 上杉に近い者たちや、史実で北条と上杉の間で寝返りを繰り返していた地域なら放棄することも承諾すると思う。


 織田家中だと、元国人の家臣を減らしているのを北条家も知っているし。


「お受けするべきです。いずれにしても一度は古河公方家と関東管領家の和睦を為さねばなりません。上様の治世として、そこを見捨てることは出来ませんので。ただ、先に前古河公方様のお耳に入れておくべきでしょう」


 エルの言う通りだ。北条と上杉の和睦も大切だが、史実と違い、足利家の権威が高まっていることがある。良くも悪くも関東を治めていた古河公方と上杉は和睦させないといけない。


 前古河公方、足利晴氏さんは病院に入院中だしなぁ。反対はしないと思う。問題は長子である藤氏だ。上杉と長尾は彼が正統な古河公方となるべきだと主張していたはずだ。なにか立場を与えないと駄目か。理想は関東から離すことなんだよなぁ。


 まあ、晴氏さんと相談かな。


 義統さんも信秀さんも異論はないらしい。まずは晴氏さんに話してみよう。関東の話をあの人が決断する前にオレたちで決めるわけにいかない。




Side:足利晴氏


 心地よい風が吹き抜ける。


 病院か。いかになるのかと少し案じるところもあったが、むしろ、わずらわしい俗世から乖離した極楽のようなところだ。


 今にして思うのだが殺伐とした世におることで、人は悪鬼羅刹の如く争いを繰り返すのではあるまいか?


 この国に居を移せば、愚か者とて戦をすることが出来ぬようになるのではあるまいか?


 正直、いかにすれば、かような国をつくることが出来るのか分からぬが、わしのような愚か者には分からぬ政をしておるのであろう。


「申し上げます。内匠頭殿が参っております」


「通せ」


 忙しかろうに。所用がなくても機嫌伺いと称して顔を出す。わしのことなど捨て置けばいいものを。


「いかがでございますか?」


 相も変わらず、穏やかな顔をするわ。顔を見ただけで病が軽うなる気がするのはこの者だけよ。


「悪うない。花火もよかったからの」


「それはようございました。実はひとつ御披見して頂きたい書状がございまして……」


 ほう、珍しいの。病院におる間は政を忘れろと言われるというのに。


 内匠頭殿から直に手渡された書状は……越後の長尾からだと? 


 これは……。


 読み進めると、余りの内容に手が震えてしまう。これは紛れもない、関東の行く末を左右する書状ではないか。


「武衛殿と弾正殿はなんと?」


「まだ、なにも申しておりません。さきの古河様のお考えを伺ってからと思いまして」


 わしに決めろというのか? いや、関東が変わることを真っ先に知らせてくれたということじゃな。わしひとりがいかに言おうとも世の流れには逆らえぬ。


「そなたは家臣に忠義は生きて尽くせと教えておると聞いたがまことか?」


 ふと、病院の者らの噂話を思い出した。


「ええ、そう教えております。一度失うと同じ人は二度と手に入りません。私にとって大切なのは人です」


 関東を捨てるつもりで近江に出仕した。北条も上杉もまとめて地獄に落ちてしまえと思うたことすらある。


 されど、近江での日々と尾張での日々を過ごすことで、わしの心の憎しみもまた消えつつある。この御仁のおかげだな。関わる者の憎しみや穢れを取り払ってくれる。


 まことに神仏の使い。いや、神仏の化身なのかもしれぬ。


「誰ぞ、紙と墨を持て」


 内匠頭殿と大智殿が見ておる前で、わしは書状をしたためる。尾張に来てだいぶ楽になったが、齢が齢だ。いつ死ぬか分からぬ身。


 最後の役目を果たさねばならぬ。


「そなたに会えてよかった。わしはこの時のために生まれてきたのだ。己が天命を見誤ることなく全うすることが出来る」


 書き終えた書状を読み直すと花押を書く。


さきの古河様……」


 書状を手渡すと内匠頭は目を通して驚いた。


「以後、すべてをそなたに任せる。そなたの言葉はわしの言葉。それで構わぬ。疑う者はその書状を見せよ。すまぬが関東を頼む」


 長き世を生きた。時には共に戦い、時には争い。今こそ、古河公方家と関東管領家は乱世の責を負わねばならぬ。


「畏まりましてございます。前古河様のお心、僅かながら受け継がせていただきます」


 これでよい。これでな。


 まことに晴れやかな気分だ。


 関東にも神仏の慈悲が届く。




◆◆

 永禄六年、六月。


 第四代古河公方である足利晴氏が書いた書状が、久遠家に残っている。


 現代では『関東譲り状』などと言われる書状である。


 関東について久遠一馬にすべて任せるという内容であり、一馬の言葉は晴氏の言葉とすると確と書かれている。


 『織田統一記』によると、同日、越後の長尾景虎からの密使が清洲城に到着しており、関東管領上杉家と古河公方家、北条家との和睦の仲介を斯波武衛家に頼む書状を持参したとある。


 斯波義統と織田信秀と久遠一馬は、ひとまず晴氏に知らせてそれから長尾の要請を受けるか決めるつもりだったとあり、奇しくも晴氏は関東を左右する決断を迫られた。


 その際に晴氏は密書を持参した一馬と大智の方こと久遠エルを見て、関東の行く末を一馬に委ねようと決断したとある。


 晴氏の決断により、長きに渡り戦乱が続いた関東が変わっていくことになった。





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