第2486話・静かに馴染む者たち
Side:慶寿院鎮永尼
清洲を出立して願証寺に立ち寄りました。聞いていた通り、輪中というあまり恵まれていない場所にあります。
かつて父が創建した寺。ただ、父は願証寺にあまり重きを置いておらず、自らこの地に来ることはあまりなかった。
娘の私が言うのもおかしなことかもしれませんが、祖父と共に今ある懸案の多くに関わっていたのが父となります。そんな祖父や父が重きをおかなかった願証寺が本願寺とは別の道を歩み出している。
これもまた世の習いなのでしょうか。
「よき、寺ですね」
本願寺など畿内の寺院とは明らかに違う。寺院は僧兵と織田の兵により守られ、いずこからか楽しげな子の声が聞こえる。
神仏の名を用いて、人が頭を下げることを当然とする私たちとはまるで違う。僧侶は謙虚を美徳とし、他者に頭を下げさせるような振る舞いはあまりしていない様子。
すでに寺領の多くも手放し、僧兵もわずかしかいない。寺院内の体制もまた違う。血筋と血縁で固める本願寺とは違い、僧侶による合議制を用いている。
力なき寺院は無力だと、ただ力を求めた祖父や父とまるで違う道を歩んでいる。
これならば、争いのない国で生き残れるわけですね。
本願寺内には願証寺の振る舞いに不満もまた多い。民を扇動し、武器を持ち争うことで力を得ていた頃が忘れられない者が少なくないのです。
致し方ないとはいえ、本願寺は血と因縁で穢れてしまっていることを私たちは気付かなかった。いえ、今も多くの者は気付いていない。
武衛殿や弾正殿が本願寺を信じることはないでしょう。内匠頭殿に至っては寺社そのものを信じていないのかもしれない。
……代々の者たちは間違っていた。少なくとも今はそう思います。
武士もまた争いを望んでいたわけではない。むしろ、一向宗が……。
この世は穢れきっている。
もし仮に仏の道を守り正そうと思うならば、敵は尾張ではない。叡山を筆頭に古き寺社であり朝廷になる。
ただ、それは出来ることではない。
尾張は久遠という者たちを得て、そんな穢れた世と決別し抜け出している。
私たちは、いずれ覚悟と決断を迫られるでしょう。国や世が正しき道に進もうとするとき、穢れた寺社はいかにするべきか。
いっそ、叡山も本願寺もすべて滅んだほうが世のためかもしれない。日ノ本を乱してまで残すべきなのでしょうか?
私には……、分かりません。
穢れきったこの世から穢れを清める者が寺社ではないのです。ならば……、もう寺社の役割はないのではないでしょうか?
まことの神仏の使者かもしれぬ御仁に私は見捨てられた。私たちには手を差し伸べてくれない。
これも致し方ないことなのでしょう。
内匠頭殿が守ろうとしている民を、私たちは殺め過ぎたのですから。
Side:久遠一馬
冷夏の今年だが、それでもそれなりに暑い日はある。今日は恒例となった海水浴に来ている。実の子と家臣の子、孤児院の子、学校の子たちを連れての海水浴だ。
もう海水浴は珍しいものではない。織田家中の皆さんも楽しむ余暇になっているし、領民だって村や家族で海水浴に行くことがある。
今は、みんなで準備運動をしている。こういうのをちゃんとみんなでやれるようになったのは、大人も子供たちも団体行動に慣れたからだ。
「沖に行ったら駄目だよ。あと小さい子のことはみんなで気にかけてあげるように」
「はい!」
アーシャから子供たちに言葉を掛けてと言われたので、一言だけ注意をしておいた。みんなちゃんと返事してくれていい子だなぁ。
自由時間となると、子供たちは海に駆けて行ったり、砂浜で貝を探したりと楽しみ始める。大人となり親となったことで、自分が子供だった頃とは見る視点や感じることも変わる。
みんなが楽しめるように気を配りつつ、周囲にいる警備兵や雷鳥隊のみんなも無理をしたりしないようにと見るようになった。
「とのさま! かいあったよ!!」
例によってオレのところに生きた貝や貝殻が集まる。小さい子には、オレが貝好きなおじさんだと思われていないか心配なレベルだ。
「すごいな~。よく見つけたね」
褒めてほしそうに期待する顔をするから、当然、褒めてあげるんだけど。エルたちからは褒めるから余計にみんな貝を集めるんだと言われる。なかなか、難しい問題だ。
「一馬殿、私たちも貝がこんなに!」
ああ、お市ちゃんまで学校に通う女の子たちと一緒に貝を集めていたらしい。でも、お市ちゃんはもう知っているはずだよね? 別にオレが貝好きなわけじゃないって。
「姫様もみんなもありがとうございます」
ちゃんと褒めてあげるとお市ちゃんと女の子たちも喜んでくれた。貝を集めて褒められる。なんというか、オレと子供たちのコミュニケーションのひとつになってしまった。
子供たちが集めてくれた貝は生きた貝と貝殻にわけて、貝はあとで美味しく頂いて、貝殻はチョークの材料になる。
チョークの需要も結構多いんだよね。
那古野の学校で導入したのものが、今では領内各地の城や寺社でも使われている。末端の寺子屋は当然として、ちょっとしたメモをしたりするのにも便利だし、寺社において修行を積む際には学問も学ぶからね。その現場でも役立っているそうだ。
一方、今日はお客さんもいる。
「これが噂の久遠の夏の過ごし方でございますか」
日本芸術界にその名を轟かす狩野派御一行が同行している。石山や熊野が目立つ中、特に問題を起こすことなく花火と尾張見物を楽しんでいる人たちだ。
雪村さんのおかげで手間もかからないが、津島の花火が終わった後からは孤児院に滞在している。
雪村さんと留吉君が今も牧場の孤児院で暮らしているからなぁ。弟子のおみねちゃんは通いだが。
絵師の間では雪村さんを頼って尾張に行くとウチの孤児院に泊まるというのが普通に知られているらしく、孤児院に滞在したいと要望があったんだ。
ちなみに狩野派の皆さん、おみねちゃんの絵に驚いていたらしい。留吉君のことはすでに知られていたので驚くというよりは絵を見て納得したと聞いている。ただ、おみねちゃんはまだ無名だからなぁ。
今日の海水浴も子供たちから話を聞いて、良ければ同行したいと頼まれた。
「ええ、あまり雅なものではありませんが」
オレたち、特になにもしていないんだけど。絵師の交流は上手くいっているんだよなぁ。主に雪村さんと留吉君のおかげで。
まあ、ゆっくり楽しんでほしい。ここだと細かいこと気にする人いないし。
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