第2485話・包囲網
Side:久遠一馬
花火も終わり、石山と熊野の皆さんは帰路に着いた。
余裕があれば、今年も久遠諸島に帰省したいし、この辺で一段落といきたいところなんだけど。困っていることもある。昨年に続き米の収穫が不作になりそうなことが明らかになっているんだ。
領内に対しては今からでも栽培が間に合う蕎麦を増やすように農務総奉行から急遽命令を出してもらっていて、甲斐、信濃なんかは特に代官指揮のもとで賦役を一部停止してまで蕎麦の栽培をしている。
また、北条に対しても同様の指南をしていて、ちょっとした空き地、田んぼの近くにある島畑という田んぼを掘り下げる際に出た土を盛った場所などで少しでも蕎麦を栽培するようにと割と具体的なお願いをしてある。
ただ、対策出来るのは領内と味方陣営だけだ。それがまた厄介なことになる原因なんだけど……。
「越中もなぁ」
益氏さんから定期的に届く報告に頭を悩ませる。織田領、長尾領、神保領はギリギリで食いつないでいるが、一向衆の領域だとすでに飢えている。
石山本願寺は勝興寺と越中一向衆を食わせる気はまったくない。もともと持て余していた地方の過激な奴らという程度の認識であり、自分でなんとかしろというのが基本スタンスだ。
一方の勝興寺だが、すでに越中においては一向衆領以外は織田の支援が入っていることもあり、本願寺に同じような支援を今も求めている。織田と同じように面倒を見ろ。このままでは一揆を起こすしかなくなるぞと、半ば本願寺を脅迫するような危うい態度のままだ。
勝興寺を取り巻く状況は決して安泰ではない。越中織田領内の一向宗の寺はすでに勝興寺から離反しているし、長尾領にある末寺も神保と共に敗れた勝興寺に懐疑的だ。勝興寺は理由を付けて末寺に食糧などを送れと命じているようだが、長尾領の一向宗の寺にそんな余裕はない。
末寺の中には、織田領の一向宗の寺と連絡を取って勝興寺からの離反を考えているところも少なくない。このあたりは願証寺がおかしなことにならないようにと密かに動いている。
さらに勝興寺の本領となる寺領の一向衆を中心に再度一揆をという声もあるが、一方で今まで勝興寺が強いから従っていただけの惣村や土豪は勝興寺の一揆では勝てないと察し始めている。村でも末端の食えない人から夜な夜な逃げ出して織田領を目指しているからね。
勝興寺の動き次第では仮に院家になったとしても、名前だけで地域への影響力は大きく落ちてしまうだろう。
「神保は助けないと駄目ね。儀太夫殿は当面動かせないわ」
そんな状況に追い打ちを掛ける報告に、メルティはため息を漏らした。
もうひとつ勝興寺が強気に出ている相手は神保だった。食い物を寄越せ。寄進しろ。恫喝まがいの態度で神保に迫っている。神保からこちらに困っていると助けを求める知らせが届いている。
加賀では一向宗が守護相当の役割を勝手にして地域の調整をしている。勝興寺も勢力圏の武士は自分たちに従えという本音が透けて見えるんだよね。
畠山と長尾とは、一向衆にこれ以上勝手をさせないことで話が付いている。畠山は例によって兵を出して助けに行くことは難しいが、能登畠山が代わりに神保を助ける形になっているのでこちらも支援しないといけない。
能登畠山と血縁がある六角義賢さんとも緊密に連絡を取って、勝興寺に対してこれ以上神保に手を出すなら畠山の名で動くぞという強気な態度で交渉中だ。当然、織田が畠山を支援することを匂わせてだ。
メルティも言っているが、長尾景虎さんが越後に戻っているので益氏さんを越中から動かせなくなっている。
なぜか景虎さんが益氏さんを信頼しているらしく、もし彼の留守中に勝興寺が動いたとしても、長尾方は益氏さんなら従うのではないかという報告が上がっている。
ほんと個人の力量で戦況が左右されるなんて、戦国時代なんだなと改めて実感させられる地域だ。
ちなみに石山本願寺は一揆など許さないと明確に示し、おかしなことはしないで寺領内でなんとかしろと命じている。
はっきりいうと外交力もすでにこちらが上だ。足利政権としても動いてもらっているし、京の都の二条さんにも協力を要請して動いてもらっている。
顕如さんが猶子となっている九条家はあまり縁がないが、奥さんの実家である三条家は、大内義隆さんが謀叛で討たれる前に当主である公頼さんを周防から救出した一件以降、こちらの味方だ。
悲願の門跡を得たことで本願寺は当分、朝廷には頭が上がらないだろうし。
まあ、本願寺にも立場はあるので追い詰め過ぎる気はないが、勝興寺が暴発した際に一揆を認めて支援することだけは阻止するつもりだ。
本願寺ははっきり言って加賀や越中をもてあましているが、それでも得てしまった勢力を手放すべきではないという意見もそれなりに内部にはあるからね。
「京極殿と無人斎殿に足向けて寝られないね」
「うふふ、そうね」
妻たちと顔を見合わせて笑ってしまった。
ナザニンが裏方で済んでいるのは、このふたりのおかげとしかいいようがない。血筋や権威がものを言うこの時代の外交でナザニンが表に出るのは危険すぎる。
ちなみに信虎さん、役職としての俸禄やボーナスとしての褒美が多くて一気に立身出世したひとりになる。もともと有能だったんだが、どうしても領国から追放されたという立場から今川家にいても客将くらいの扱いでほとんど働いていなかったんだけどね。
武田家のためにと最初動いたことで認められて、そのまま織田家の外交を担う人材になっている。
オレの考え方やウチの方針もいつの間にか理解して、ギリギリの交渉をするらしく、ナザニン好みの人らしい。
今回信虎さんが関わった、本願寺側の交渉担当者も驚いていたという話がこちらまで伝わっている。言い方が悪いが東国一の卑怯者として有名な甲斐武田の先代当主ということで、本願寺内でも軽んじる声があったらしいね。
オレと鎮永尼さんを会わせるように求めたことで、信虎さんの面目を傷付けることになったこともあって、帰る頃には立場が逆転して終始低姿勢で関係改善に腐心していたなんて笑い話が外務方から聞かれるくらいだ。
「あとは……関東か」
景虎さんの動き。まだ、公式には清洲に届いていない。ただ、オレたちは一足先にシルバーンから報告を受けている。
景虎さん自身、もう戦で世が動く時代ではないと理解していることも明らかとなった。
無論、オレたちとは価値観が違うのは今更だが、やはり彼は軍神なのだなと思い知らされた。その片鱗が今越後を中心に根回しが進んでいる動きからも分かる。
こちらに知らせが届くのはいつ頃になるんだろうね。楽しみだ。
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