第2481話・花火を前に
Side:久遠一馬
夕暮れの頃、オレは津島近郊の川辺にいる。妻と子供たちと花火見物をするためだ。
勝幡城には招待客が大勢いるが、今回は席次を決めた全体での見物は行わない。久遠形式のようになっている席次を決めない宴とし、参席も途中退席も自由という形になっている。
オレ自身、年に一回は家族で花火を見たいし。家族を優先したいと話したらこういう形になった。実は資清さんに代理をお願いしていて根回しをしていたんだが、義統さんがオレだけじゃなくみんなが好きに見物出来るようにしたいと強く後押ししてくれた。
当然、義輝さんにまで公式の場でどういう形で花火見物をするかとお伺いを立てることになったが、義輝さんも熊野や本願寺と一緒の宴はあんまり好まないことから久遠流ということで決まった。
まあ、そもそも義輝さんが熊野と本願寺を良く見ていないこと、奉行衆とかみんな知っているからね。誰も反対する人がいなかった。
余談だが、ここ最近の本願寺の動き、奉行衆も警戒していてあまりいい印象を与えていない。どうもオレとの会談を求めたことに対して、あちこちで怒りを買っているらしい。
畿内と尾張の間を取り持って調整しているの奉行衆だしね。自分たちの頭越しになにか求めようとしたことが不快感を与えているみたいなんだ。
オレも形式や身分を超えて動くから、あまり人のこととやかく言えないんだけど。日頃の行いだろうか。目立つ本願寺なだけに、ちょっとでも形式と違う動きをすると周囲が神経質になっている。
そんなわけでオレは、学校と孤児院の子たちと合同で野営しながら花火見物をする席にいる。ちなみに同じ席には義信君と信長さんの一家もいる。
義輝さんと義統さんが好きに花火見物をしていいと決めたことで、義信君と信長さんもこちらで花火を見たいと来てくれたんだ。
「そろそろ暗いのですから、走っては駄目ですよ」
ちなみにウチの行事にほぼ皆勤賞のお市ちゃんは学校で学んでいるので、当然この場にいる。騒ぐ子供たちを注意したりして先生たちと子供たちを上手く繋いでいるようだ。
「やはり、こうして祭りを楽しむのはいいの」
「左様でございますな」
義信君と信長さんも楽しんでいるようだ。ふたりもここ数年、招待客との花火見物が当然となっていたからなぁ。オレと違い、ふたりはワガママを言えなかったんだろう。義統さんがふたりの気持ちを察していたらしい。
義輝さんはともかく、石山本願寺と熊野三山相手にはそこまで配慮しなくていいというのが尾張にはあるんだよね。寺社にはうんざりしているから。
いつまでも朝廷や寺社、畿内に振り回されたくない。そんな思いが尾張を中心に広まりつつある。
まあ、優先順位が変わったのだろう。領内や家中に対しては、みんな優しくなったし互いに思いやりを持てるようになっている。悪いことばかりじゃない。
「とのさま! みてみて~」
「おお、すごいな!」
オレはどっしりと構えているタイプじゃない。妻たちや子供たちに交じって夕食の支度を手伝っている。
子供たち、なんか上手くいったり珍しいものを見つけたりするとオレに報告に来てくれるんだ。ちょっと大げさに驚いたり喜んだりすると、みんな嬉しそうにしてくれる。
やはり、オレはこういう場にいるくらいが性に合っているんだなと実感するね。
Side:斯波義統
上様は上機嫌だ。いや、そう振る舞って見せておると言うべきか。
席次を決めておらぬとはいえ、一馬と倅らがおらぬことは分かる。そのことで誰かが騒ぐのを自ら阻止せんとお考えなのだろう。
「八郎、さっ、一献やろう」
「はっ、ありがたき幸せ」
一馬の名代としてこの場におる八郎にお声掛けをされ、盃を許しておられる。
熊野も石山も特に不満げな様子はない。一馬が高貴な者との宴にあまり出てこぬことはそれなりに知られておるからの。
上様ご臨席の場におらぬことに驚く者はおるが、上様が八郎の盃を許すと察したような顔をしておる。
まあ、そもそも上様は八郎を気に入っておられるからな。菊丸として尾張におる時には、八郎とよく将棋や碁を打っておる。知る者は多くないがの。
以前、上様から聞いたことだが、素性を知りつつ菊丸として扱う加減が絶妙なのだとか。同じように振る舞えるのは塚原殿を含めても多くはない。八郎本人は気付いておるまいが、あれもあやつの恐るべきところよ。
当人は誰でも出来ることをしておるだけというが、未だに八郎を超える者はおらぬ。
仮に今、わしと弾正と一馬が揃っておらぬようになっても、八郎ならば一馬の意志を継ぎ斯波と織田と久遠をまとめていけるであろう。言い換えると八郎にしか出来ぬのだがな。
「武衛、そちも一献いかがだ?」
「はっ、ありがたく頂戴致します」
上様は我らを守るため、そのためにこの場におられる。家中の皆も、改めてそれを理解したであろうな。
将軍として慣例以上に誰かを遇するのは危ういことであるが……。
されど、一馬がおる限り、それが当然と誰もが納得する。現に奉行衆も警護衆も誰も不満げではない。
神仏ですら信じられぬこの世で、人を信じさせるのは一馬しかおらぬからの。上様が一馬を守ろうとなさることを皆が当然と納得するのだ。
「皆でこうして花火を見られる。一馬に感謝せねばな」
何気ない一言で、察しが悪い者も理解し、察しがいい者はより深くその真意に気付く。花火をもたらして世に安寧を与えるのは誰なのか。
決して、神仏の名を騙る寺社ではないということに。
五山の僧と熊野の僧や神人は諦めや理解を示す顔をしておる。同じことかそれ以上のことをしろと言われとうないのであろう。
一馬自身、元来穏やかな男だからの。おかしなことをせぬ限り禁教にされることもなければ命を奪われることもない。甘さと言われることも時には利点となる。
されど、石山はまとまりに欠けるようじゃの。鎮永尼はなにか憂いがあるのを隠しておらぬし、他の者は良くも悪くも受け止めておる様子。
朝廷は一馬が突き放したことで近衛公らが自ら動き出した。果たして同じく突き放された石山は誰がいかに動くのであろうか?
まあ、動いても動かずとも、わしは構わぬがの。改めて知ると、日ノ本には寺社が多すぎる。本願寺が消えても誰も困るまい。
己の始末も出来ぬ他力本願な坊主など、わしはいらぬ。
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