第2480話・それぞれの思い
Side:石山本願寺の高僧
外から聞こえる賑わいに耳を傾ける。城などにおらずとも町に出て皆と祭りを楽しめばよいと思うのだがな。
「熊野は町に出ておるというのに、我らは駄目なのか?」
「鎮永尼様がな……」
また鎮永尼様か。あのお方はなにを考えておられるのだ? 越中勝興寺の始末を織田にやらせようとしたこともそうだ。唐突に内匠頭殿に会わせろなどと騒いだこともある。このうえ、祭り見物にきて見るなというのか?
気でも触れたか? 織田も理解出来ず苦しんでおろう。
「ここで大人しゅうしておれば織田が喜ぶとでも思うておるのか?」
「知らぬ。されど、門跡を得たばかりだ。あまり騒ぎになるようなことはさせたくないのであろう」
門跡はよい。法華衆など堕落した畿内の寺社に今まで散々やられたのだ。その備えとなるはず。されど、織田に門跡は関わりあるまい。まさか門跡を理由に織田に譲歩しろと迫っておるのではあるまいな?
「織田の機嫌を取りたいならば、愚かな一揆を起こした勝興寺に罰を与えればよかろう。他になにがある」
「そうは言うが……」
罪人に罰を与える。当然のことであろう? 血縁を理由にすべて許せというのか? それでは世を乱す叡山などと同じではないか。我らの寺を焼いた者共も誰一人裁かれておらぬ。左様なことが世を乱しておると何故、理解せぬ。
そもそも上は加賀と越中をいかにする気だ? まさか、未だに一向宗の国を広げる気ではあるまいな?
加賀は富樫と喧嘩両成敗としてしまえばいいではないか。加賀と越中の奴らのために、なにかあるたびに我らは国を奪い乗っ取るのだと疑われる。迷惑でしかないわ。
そもそも、我らは信仰と御寺を守るべきではないのか? それとも門主様の一族一門の面目のために道理を曲げろというのか?
「尾張では神仏と寺社と坊主は別だと言われる。もっともなことだと思わぬか?」
聖人様の教えは信仰するが、わしはろくな修行もしておらぬ小僧を門主様と崇め盲目して従う気などないぞ。
門跡となったことで、一揆やら乱暴なことは控えて変わっていくのではないのか? 今後も叡山や畿内の武士らと同じように権威と武威にて所領を奪い銭儲けを企み、一向宗の国でもつくるというならば、わしは本願寺を捨て願証寺に行くぞ。
この国こそ民が安寧を得られる国ぞ。本来、一向宗は尾張に従い尾張を助けるべきではないのか?
「滅多なことを言うな。誰ぞの耳に入るとなにをされるか……」
何故、力を求め争う。争わずともよい道を尾張が示しておるではないか。門主一族が真に一向宗を思うならば、自ら頭を垂れて教えを請うてもよいはず。
いつのまに信仰や御寺より門主一族が上になったのだ?
突き詰めると、畿内の穢れた公家や武家と同じ。己が力を示して世を動かしたいだけではないのか?
異を唱える者の口すら封じるというならば、わしはもう本願寺を出るぞ。尾張と願証寺を守らねばならぬからな。
もう恨みと憎しみばかりの世ではないのだ。左様なことをしておるのは穢れた畿内の者らと西国の者らばかり。尾張を中心に東国は変わりつつあるというのに。
ようやく芽生えた太平の世の始まりを上は潰す気か?
本願寺には十年近くも織田と誼を通じたことで、争わぬ寺、戦わずともよい寺になると望んで待っておる者が少なくないというのに。何故、皆の意見を聞かぬ。
Side:足利そね
僅かな供の者と勝幡城を出ると、すでに周囲は人で溢れておりました。
尾張に生まれた私には決して珍しいものではありません。ただ、またこうして己が目で見られるとは思わなかった。
「では、参るとしようかの。尼僧殿」
「はい。よしなにお願い致します。若武衛殿」
尼僧に
「まさかかような形で町に出ることになるとは……」
事の始まりは上様のお言葉でございました。せっかく来たのだから、少し町を見物して来いと送り出されました。尾張には私の顔を知る者も多い故、遠慮したのですが……。
「あまり考え過ぎずともよいと思いまする。ここだけの話、尾張ではそれなりのお方が同じように町に出ることがございます故。尾張の民は慣れておりまする」
「左様でございますな。おっと、尼僧殿ならば、ここからは言葉に気を付けましょう」
若武衛殿と慶次郎殿は、何故、手慣れた様子なのでしょうか?
「そうじゃの。まずは津島神社へと行ってみるか」
思わず笑い出してしまいそうになりました。露見してもいい。上様もそう言うておられました。誰も素性を問いただすことなど致さぬと。
確かにその通りなのでしょうね。
私は、こうして津島のお祭りを歩けるだけで楽しゅうございます。
「若武衛様!」
歩いていると若武衛殿と慶次郎殿にはあちこちから声が掛かります。尾張においては身分に合わせた役目を担うのが当然です。誰かを遠ざけたり爪弾きにしたりすることなどない。
皆、同じ国を生きる者。
「おお、久しいの。学校以来じゃの。息災であったか?」
「はい、津島で警備兵としてお役目を頂き、励んでおります!」
「そうか、そうか。それは頼もしき限りじゃ」
この者は確か……数年前に学校にて学んでいた者。幾度か顔を見たことがあります。あまり身分の高くないものの才ある男だったはず。
「……あれ?」
若武衛殿に続き、私の顔を見て少し考え込みましたが、すぐに私の素性に気付いたのでしょう。驚きへと変わりましたが、再度、若武衛殿と慶次郎殿を見て納得したようです。
「尼僧様も津島を楽しんでくださりませ」
「ありがとう」
共に学んだ者が、こうして己の道を歩んでいる。安堵しつつも少しだけ羨ましくなります。
私は……高貴な身分に嫁ぐなど決して望んだことはありませんから。尾張で生まれ尾張で育ったこの身故、畿内など興味すらありません。
無論、上様や猶父に不満があるわけではございません。
致し方ないことなのでしょう。石橋の家に生まれた者の定め。尾張を守るため。そう思うております。
共に生き、共に暮らした皆を少しでも守れるのならば……。
この命、天に捧げましょう。
ただし、私の心はいつも尾張にあります。今までも、これからも。
決して口には出せませんが、それだけは私の人としての意地として貫くつもりでございます。
上様は、恐らく察しておられるのでしょう。
だからこそ……。
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