第2476話・苦しみの中の観光
Side:久遠一馬
本願寺と同様に招待した熊野三山だが、こちらは特に揉めるほど突っ込んだ話をしておらず空いた時間には尾張観光を楽しんでいる。
熊野には寺社領を治めている熊野七人上綱といわれる家があるが、彼らも大人しいからな。今川家家臣の鵜殿家の本家もそのひとつだが、すでに意地を張って対抗しようとして諦めたあとなんだよね。
史実で熊野といえば堀内の名が知られているが、現状では熊野有馬家に養子を送り込んでいるだけだ。鵜殿家を筆頭に熊野七人上綱など周囲の者たちは、総論として織田と共存する道を選びこちらとの縁で生き残りを図っている。
小競り合いくらいはあるようだが、堀内が史実同様にあの地域をまとめることはほぼあり得ない。今の堀内にそんな力はないし、こちらに従う姿勢を見せている者たちを相手に下剋上のように従えていくのは無理だろう。
熊野三山と熊野地域に関しては、京の都にいる熊野三山検校という役職が史実以上に力を持っている。近衛稙家さんの弟さんが務めていて足利政権や清洲と調整をしているからだ。
はっきりいうと現地の小競り合いとかあんまり関係ないんだよね。中央政権がそれなりに落ち着くと、政権と話せる人が力を持つ。
先日、近衛さんと話をしたが、自分と弟さんが健在なうちに熊野が織田家に従うようにしたいそうだ。
「殿、本願寺も町に出たようでございます」
オレはこの日も清洲城で仕事をしているが、若い家臣が本願寺の様子を教えてくれた。鎮永尼さんを突き放したことでどうするのか、やはり気になって様子を教えてくれるように頼んだんだよね。
当然というか、警護名目で彼らの周囲には織田家家臣がいて会話などは聞いている。そのため何気ない会話の報告なんかもある。
「そのまま出て行ったの? 身分を偽らずに?」
「はっ、案内役を付けてそのまま町見物に行ったとのこと」
町に出るなら多少でも身分を隠して行けば領民の本当の姿が見られたのに。本願寺ほどの集団だと領民は恐れて近寄らないだろう。
まあ、熊野も基本隠していないしね。自分たちだけ身分を偽って外出するのは無理か。門跡を得たばかりで権威を絶賛売り出し中の本願寺とすると。
正直、末端の領民を知らないような偉い人たちなんだし、こういう時くらいは形だけでも身分を隠して外出すると世の中の様子が見られるんだけどね。
若い家臣の話では、本願寺の求めに応じて移動中の領民の規制や訪問先での受け入れ準備など、いろいろと求められて応じたとのこと。
「殿下や山科卿が力を貸していないと、こんなものなんだろうね」
これが熊野と違う。実は熊野側は少人数のグループを作って別々に行動をすることで、移動中の規制などは求めていない。清洲とか那古野は町が賑わっているからね。大人数に護衛なんて付けると動きにくいだけなんだ。
いちいち周囲から人を遠ざけなくてもいいからと割と自由に観光をしている。この辺りは近衛さんが助言をしたみたいだ。
立場が違うんだなと改めて教えられる。熊野は騒がずともその権威は揺るがず、むしろあまりに大きすぎる権威を見せると織田家が嫌がると察している。ところが本願寺は門跡を得たばかりなため、あまり門跡の権威を低く見せるような動きが出来ない。
まあ、観光だしね。どういう形でも個人的には構わないが。今まで上手く行き過ぎていた分、ここ最近の本願寺はやることが裏目に出ているなと思う。
Side:織田信秀
「あやつら、己らがいかに見られるか分かっておらぬのか?」
守護様の問いかけにしばし思案する。
「分かっておっても気にせぬだけかと」
領内と付き合いのあるところは概ね落ち着いておるが、東国の多くでは飢饉に苦しんでおる。にもかかわらず、宴だ、花火見物だ、町見物だと贅を尽くす日々を送る坊主らに、家中や清洲では坊主を信じても無駄だろうと噂されておる。
高徳な坊主は名もなき民のために真摯に祈ることはない。数年前から尾張ではそんな見方をする者が民に増えておるからな。
「皮肉なことよの。世が落ち着けば落ち着くほど、坊主どもの悪行が世に知れ渡る」
守護様は今も、熊野も石山も歓迎しておらぬからな。従う意思のある熊野は渋々受け入れるくらいのお心はあるようだが。本願寺に対しては明らかに不快に思うことが増えたようだ。されど……。
「これでよいのでございます。乱世を鎮めるのも世を正すのも寺社ではなく人。我らはそれを世に示し続けることで、ここまで国を落ち着かせております故に」
守護様は御不快なようだが、これでいい。東国が飢饉で苦しんだ時に石山も熊野も花火見物をして助けなかったと世に示すことこそ、わしの望むこと。
「そなたは寛容なれど恐ろしき男じゃの。坊主どもから神仏を取り上げようとは」
坊主が俗人と変わらぬと示すことは誰かがやらねばならぬ。元は一馬らがやっておったのだがな、あやつは相も変わらず甘い。
「願証寺然り、無量寿院然り。寺社も正せば世のためになりまする。残すならば変わるように追い詰めねば、寺社は某や一馬が死ぬのを待つだけになります故に」
もとは朝廷が日ノ本を治めるために増やしたのであろう。神仏の名を騙るほうが民は御しやすいからな。それがいつしか、愚か者どもが姥捨て山の如く貴人を放り込むせいで、堕落し腐敗した。
悪いとは言わぬ。今より遥か古き頃に、苦心して世を治めようとしただけなのであろう。
されど、そろそろ変えねばならぬ頃だ。
「潰してしもうたほうがいい気もするがな」
「潰すのはいつでも出来まする」
一馬らは残すべきだと言うがな。世を乱すだけならば潰さねばならぬ。とはいえ、潰す前にやれることが多いのだ。
「一馬があまりに名が知られたことで、いささかそなたの恐ろしさが伝わっておらぬな。されど、これでよいのかもしれぬ」
「はっ、某も左様に思いまする。皆で足りぬところを助け合えばよいだけ」
熊野はもう争うだけの力はない。ただ、石山はいかになるか分からぬ相手。鎮永尼は多少なりとも察しておるようだが……。
その手に武器を持ち、力で他者を虐げたのだ。熊野も本願寺も、その責を負わせねばならぬ。
後の世で己らが正しかったなどと言い出さぬようにしてやるわ。
過ち、穢れた寺社であるという事実を隠すことはわしが許さん。
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