第2475話・支える者たち
Side:足利義輝
今日は近衛殿下と紅茶を共にしておる。さしたる話があったわけではないが、殿下は折を見て誘ってくれるのだ。
「本願寺も尾張には勝てぬと折れたようじゃの」
殿下の興味は本願寺にありか。織田とは互いの領分に踏み込まぬことで上手くいっておるが、世の流れが変わりつつあるのを察しておる本願寺一門がいかにするのか。
殿下ならずとも諸勢力が気にすることか。
「殿下と一馬の友誼を見誤りましたな。一馬は殿下が近衛家の前当主であり太閤でなくとも変わらぬはず。朝廷相手に引かぬ一馬が、本願寺にこれ以上の甘えを許すはずがないというのに」
常ならば権威や血筋で付き合う者を選ぶが、一馬は違う。むしろ権威や血筋があると関わりを避けたがる。そんな一馬が殿下を信じておるのは殿下のお人柄としか言いようがない。
「致し方あるまい。鎮永尼も寺の奥から出たことなどないはずじゃ。恐らく鎮永尼は寺社の外を知らぬのであろう。話が通じるはずもない」
本願寺の多くの者からすると乱世が続いたほうが都合はいいのかもしれぬな。戯言で民を騙し己が力と出来る故に。
「殿下、何故、本願寺を門跡などにしたのでございますか? 朝廷にとって明らかに悪手でございます」
以前から問いたかったオレの問いかけに、殿下は苦い顔をした。
余人がおらぬ場ならば問うても構うまい。本願寺などいかようでもいいが、朝廷にとっては明らかな悪手だ。寺社と共に新しき世を潰さんとする気か? それとも……。
一馬がかつて求めたという自ら変わってほしいという言葉の逆に進んでおるわ。
「二十年以上も求めておったのだ。向こうが取り下げぬ限り止められなんだ。そもそも本願寺を御せる者などおらぬ。形だけでも繋いでおかねば、それこそ加賀のように己が国を増やすぞ」
「それは理解致しまするが……。このままでは朝廷は寺社と共に古き世に沈んでしまいまするぞ」
「大樹よ。教えたはずじゃぞ。世を変えるなど軽々に出来ぬと。内匠頭と同じことは吾にも出来ぬ。今、畿内を乱して喜ぶのはそなたらを疎む者だけじゃ。そなたと三国同盟の治世を落ち着かせるには今しばらく時が要る。朝廷が泥をかぶってもな」
……殿下。
「内匠頭が門跡を怒らぬのはそのためじゃ。話しておらぬが理解しておろう。関東が飢饉の今、畿内を乱すと天下が乱れる。誰が血を流して誰が背負うと思う? 尾張が背負わねばならなくなるぞ。それだけは吾が止める。なんとしてもな」
そういえば、一馬は門跡を仕方ないと言うて気にしておらなんだ。そこまで理解しておったというのか。
「忘れるな。新たな世をつくる者らを穢してはならぬ。尾張も本願寺との商いは続けるのじゃろう? 今のまま時を稼ぐことが大事。本願寺の行く末は奴らが好きに考えるであろう。吾も知らぬ」
間違いない。畿内を支えているのは殿下だ。一馬の心情ややり方を知り、合わせて動ける者は他にいないかもしれぬ。
「動けぬというのは辛きことでございますな」
血を流さずともやれることがあるか……。オレは随分と皆に支えられておったのだな。一馬に会う前から。
Side:久遠一馬
本願寺の反応は思いの外、悪くなかった。
鎮永尼さんがあまり厳しい言葉を伝えなかったようだが、それを加味しても本願寺内の意思統一は相変わらず出来ていないのだろう。
自分たちのほうが権威や身分は上だと思っている人たちだ。格下である武士、しかも尾張の田舎者に心から従いたいわけもない。
まあ、必要となれば合わせてやるというくらいの柔軟性は持ち合わせているのだろうが、史実を見ると畿内以西を確実に従えるくらいの目途が見えないと大多数が変わろうとはしないだろう。
そんな会談の翌日、願証寺の証恵さんがオレのところに訪ねてきた。ちょっと話しにくそうな様子なので人払いをしてオレとエルのふたりだけとなり、証恵さんもお供の人を下げた。
「申し訳ございませぬ」
開口一番で謝罪をしたことにエル共々驚く。
「なにを話したのか聞いてはおりませぬ。されど、鎮永尼様が内匠頭殿に目通りを願ったのは拙僧と会ったあと。おそらく拙僧が話したことが理由でございましょう」
証恵さん、直接会う機会はそこまで多いわけではないが、尾張のお祭りには来ることもあるしこちらのことを良く知っている人でもある。まあ、気付くよね。
「いい機会だったと思います。話したことは、おおよそ察しておられる通りかと」
「やはり……。本願寺には拙僧であっても言えぬことが多くございます。本来は拙僧が言わねばならぬこと。伏してお詫び申し上げまする」
「願証寺の難しい立場は理解しています。その一端は私たちの政にある。互いに難しい立場ですからね。焦らず付き合っていくしかないでしょう」
そりゃ、織田の治世に合わせて寺領も武装も最低限以外は放棄した願証寺と石山本願寺で話が合うはずもない。まして向こうが上位なんだ。付き合うのに相当苦労しているのは把握している。
「今少し、変わってほしいところでございますが……」
「難しいですね。下手に動くと越中や加賀を筆頭に畿内と西の寺院が離反する。私たちも願証寺は守りますが、本願寺は手を出せません」
もどかしい。そういう思いを抱えているからこそ、いろいろと話して聞かせたんだろう。鎮永尼さんが願証寺の後ろ盾なのは間違いないし。
「証恵殿、私からもひとつ伺いたいことがございます。本願寺に対する願証寺と末寺の不満はいかほどですか?」
オレと証恵さんの会話を静かに聞いていたエルだが、会話が途切れたのを見計らって口を開いた。
「……無視出来ぬものになりつつありまする。今はまだ拙僧たちで抑えておりまするが」
やはりそうなのか。こちらでもある程度は把握しているが、織田領の一向衆には本願寺への不満が高まっている。理由は畿内への印象の悪化や本願寺の実情が織田領だと知られ始めているからだろう。
はっきり言えば、畿内の本山クラスの堕落と腐敗が織田領内で広まりつつあるんだ。
これはオレたちが広め始めたことがきっかけだが、織田の治世を理解して慣れた寺社から情報が洩れることで、今ではウチが関与しない形で広まり続けている。
特に末端の寺社の人たちは真面目な人も多く、上の腐敗に昔から不満があったのだろう。それが織田の治世では言えるようになったんだと思う。
「この件は寺社奉行と共に別の席で話しましょう。今まで以上に力を合わせて落ち着かせていかないと駄目ですから」
「左様でございますな。異論はございませぬ」
史実で反織田の急先鋒だった願証寺が、織田の治世のために過激な僧侶や信徒を抑えているのが今の現状だ。
こちらも本願寺の批判をしている場合じゃない。勢力圏の末端を落ち着かせていかないと望まぬ対立の原因になりかねない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます