第2474話・女たちの乱世
Side:慶寿院鎮永尼
力ある者より弱き者を助ける。それを堂々と言える者がこの世にいるとは……。
信じようと信じまいと、誰もが寺社を恐れる。帝でさえ仏の前では信徒であると言うてのけるのが寺社なのです。本願寺もそのひとつ。勢力だけでいえば叡山を超えているはず。
その本願寺を恐れることなく己を貫いた。
内匠頭殿は、今の日ノ本でもっとも高徳な者かもしれない。
いずれの寺社も開祖は世のため国のため民のために生きた。ただ、時が経て開祖の思いのままに生きる寺社は私が知る限りは存在しない。穢れ俗世の欲にまみれてなお、教えと寺社を残そうと足掻いている。
今のすべての寺社の僧侶や神職を合わせても内匠頭殿ひとりに敵わない。
神仏の教えを口にすれば今あるすべての寺社を従えるほどの宗派を作り上げ、王を名乗れば己が国を興すのかもしれない。
勝てるとは思えない。私たちは朝廷の権威を得てようやく叡山などと対峙出来る程度でしかないのに、尾張は己が力で立ち上がっている。
武衛殿も弾正殿も、内匠頭殿の信念を理解している。寺社が武士の助けにもならず光明にもならない。それが尾張という国。
「鎮永尼様、いかがでございましたか?」
清洲城内の客間に戻ると、高僧らが集まってきた。皆、なにかしらの成果があると望みを抱いている。
「よき、ひと時でした。ただ……、私たちは自らの責を果たさねばなりません。織田の治世といかに向き合うか。答えを出すのは私たちだと諭されました」
厳しき言葉は私の胸に秘めておきましょう。理解出来ぬ者の耳に入ると厄介です。
武衛殿と内匠頭殿の言い分はもっとも至極なのことです。力ある私たちが今以上に厚遇をされるなど無理なこと。
門跡さえなければ……。長き年月を経てようやく手に入れたというのに。尾張の治世で生きる邪魔になりかねないとは。世はなんと厳しいのでしょう。
「それは……」
「もっともなことでございますな」
皆も理解していることです。織田の治世は、僧や神職であっても今の世を生きる人として生きねばならぬもの。血筋や神仏の権威だけで厚遇して安堵を与えることなどないということを。願証寺から教わった通りなのですから。
「近江を境にあまりに世の形が違い過ぎる。畿内では未だ朝廷すら信が置けず、身を守るのに精いっぱいだというのに、尾張では武器を持たずとも生きられる。私たちはいずれに合わせて、生きるべきか。そこから考えないといけないのでしょう」
女の私が本願寺を変えるには叡山に対抗出来るほどの後ろ盾が必要だった。内匠頭殿ならばと考えた私が甘かったのでしょうね。恨まれ憎まれてまで助けるほどの理由がないのも事実。
それに……内匠頭殿も武衛殿も弾正殿も気付いていた。本願寺が彼らの敵となり脅かすかもしれないということを。決して乱を望むわけではない。それでも本願寺は得てしまった地位や権威、富などは手放せない。
「いずれ畿内と尾張は争いとなるか?」
「さてな、誰ぞが兵を挙げて三国同盟と戦をするというならば喜ぶ輩はいくらでもおろうが……」
「斯波と北畠の同盟が崩れぬ限り勝てぬぞ。足利と北畠の婚礼に南朝方の多くは喜んでおる。さらに仏の弾正忠と久遠は戦でも負け知らずだ」
いずれに合わせるかと説いたというのに、いつの間にか戦の話を始めた者たちに私は己の甘さを改めて教えられました。未だにどちらが勝つか。そんなことを考えている者を助けてくれるはずがない。
救いといえるか分かりませんが、本願寺が潰えたとて願証寺は残る。それだけは確かでしょう。教えは残せる。内匠頭殿の慈悲なのかもしれません。
Side:久遠一馬
元の世界の……、外を歩けないほどの暑さが少し懐かしい。
オレはひとりになりたいと頼んで、日差しが照り付ける清洲城の庭を歩いている。ひとりで冷静に考えたかったんだ。先ほどの会談のことを。
正直、言い過ぎたのではないかと思うところもある。なにかしらの方向性を示すくらいならば、しても良かったかという考えもないわけではないんだ。
ただ、本願寺とは一度しっかりとぶつかってでも話さないといけなかった。今までの経験からも、このままだとどこか後戻り出来ない状況で対立しかねないという懸念があったのも事実だ。
「かじゅま!」
唐突に聞こえた声に驚いてしまった。振り返ると、信秀さんの下の子たちが駆けてくる。庭を散歩していたらしい。
「今日は良き心地ですね」
「はい!」
信秀さんも子供が多いんだよねぇ。史実より長生きしているから、史実以上に子だくさんだ。時々、会いに行くからみんなオレを覚えてくれている。
「皆の兄上なのですよ。忘れてはなりません」
「はい! あにうえ!」
今日は乳母さんたちと一緒に土田御前もいる。微笑ましげにしていた土田御前だが、オレを見たあと乳母さんたちに声をかけると、乳母さんは子供たちを連れて少し離れて歩き出した。
「一馬殿は間違っていませんよ。軽々に寺社へ口出しなどするべきではありません。貴方は自らの生き方で皆に道を示すだけでいい。寺社ならば、そこから学ぶべきです」
思わず土田御前の顔を見ると、あまり見たことのない顔をしている。案じるような困ったような。そう、母親が一緒に悩むような顔に見える。
「一馬殿は寺社の恐ろしさを、身を以て知らないのでしょうね。半端な助けは後顧の憂いとなります。殿や貴方の亡き後、私たちの子や孫、子孫が必ず報復されます」
「太平の世になってもですか?」
「報復の仕方は戦ばかりではないはず。それは一馬殿のほうが詳しいのではありませんか?」
確かに、それはあり得る。中途半端が一番いけない。分かっているんだ。ただ、それでも平和を望む者を突き放すことに抵抗感がある。
「一馬殿、人は誰もが高徳な者になれますか?」
「……いいえ。それはあり得ないでしょう」
「それがあなたの探しているものではありませんか」
本当にその通りだな。彼女ひとり理解したとて出来ることは高が知れている。下手をすれば尾張が本願寺の内部争いに巻き込まれる。
「一馬殿、誰かを救えば誰かが救えぬ。それが今の世です。貴方とてそれは同じ。忘れてはなりませんよ。それだけは」
「はい、確と覚えておきます」
敵わないなぁ。オレはまだ元の世界で生まれた故の、甘さが抜けきっていないのかもしれない。
これから畿内と対峙していかないといけないというのに。
もっと、精進しよう。苦しくなるのはこれからだ。
◆◆
永禄六年、六月。熱田祭りの後、斯波義統、織田信秀、久遠一馬、大智の方こと久遠エルは、本願寺の慶寿院鎮永尼と会談をしている。
鎮永尼のたっての希望であったと本願寺に残る資料には記されている。
願証寺の住持である証恵と会った鎮永尼は、越中勝興寺の騒動の際に仲介を申し出た願証寺に対して、二度と犠牲を出さないためにも不要だと断ったことを聞いて一馬に会わねばならないと考えたとされる。
ただ、織田家も久遠家も寺社の内情に関与することは避けていた。少なくとも自力で出来ることは自力でするべきだというのが当時の織田家の方針であり、会談の場で一馬は鎮永尼に対して堂々とそれを話して説き伏せた。
鎮永尼自身は一馬が助けてくれず落胆したとされるが、奇しくも本願寺上層部は一馬の言い分をもっともだと認める者が多かったとされる。
この会談ですぐに動くことはなかったが、寺社の在り方を本願寺に改めて考えさせるきっかけになった会談として重要なものとなっている。
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