第2473話・異なる世を生きる者
Side:久遠一馬
残る問題はオレと鎮永尼さんとの会談だった。断ってもいいとみんな言ってくれるが、本願寺とこれ以上関係を悪化させたくない。会ってくれなかったと不満を持たれても困る。
そこで会談には応じるが、義統さんと信秀さんと一緒での会談で調整してもらった。なにかを求めるならば義統さんと信秀さんを説得するといいとしか、オレには言えない。
鎮永尼さん、相変わらずなにを求めているのかはっきりしないんだよね。助けてほしい。そんな意志は伝わるが、なにをどうしてほしいのかすら交渉担当の者が理解していないと報告にある。
近衛さんと山科さんとも雑談程度の本願寺の話をしたのだが、オレと個人的な誼を築きたいのだろうと言っていた。
気持ちは分かるんだけど、そもそもオレ個人と政治は別物だ。確かに北条家とか朝倉宗滴さんとか、個人的な友好関係から政治的にもつながることはある。ただし、それは織田家の政治に合致しているからであって、無理やり個人的な関係を政治に持ち込んではいない。
夏にしては少し冷たい風が開け放たれている障子から入る。オレは義統さんたちとエルと共に、誰もいない広間で平伏して待つ鎮永尼さんを見つつ席に着いた。
この場には彼女だけだ。願証寺の証恵さんを同席させるかという話もあったがなしにした。決していい会談になるとは思えない。願証寺をあまり巻き込みたくないんだ。
頭を上げさせると鎮永尼さんは形通りの挨拶をした。
「鎮永尼殿、我らになにを望む。一馬に会うていかがするつもりなのだ?」
一呼吸置いて話を進めた義統さんの言葉に、鎮永尼さんの表情が幾分強張るのが見えた。決して喜んではいない。義統さんはそんな本音を隠していない。
今も寺社に対して一番厳しいのは義統さんだ。神仏への信仰心もあるし、寺社というものを後の世に残さないといけないと考えればこそ厳しくもなる。
義統さんは矢面に立たせてはいけない人だ。それもあってなるべく寺社への不満や不信が外に漏れないようにしていたが、そのせいか、なにかあるたびに義統さんは味方だと勘違いした者たちが義統さんに助けてほしいと騒ぐ。
それが本当に不愉快だとよく愚痴を漏らしていたからなぁ。そろそろ隠さなくてもいいんじゃないかという流れに最近はなりつつある。
「私はただ、教えを残し寺を守りたいだけでございます。そのために内匠頭と会わねばならぬと思った所存」
「武田無人斎では物足りぬと武田の面目を潰し、本願寺だけは守れと一馬に申し渡す気か?」
「そのようなつもりは……」
本人にそんなつもりはないだろう。ただ、武田家は明らかに本願寺の態度に不満を抱えることになる。信虎さんはすぐに騒ぐ人じゃないが、越中勝興寺の支援を突き返したことで本願寺と武田の関係は確実に悪くなる。それは鎮永尼さんの失態だ。
「一馬は自らの力では生きていけぬ者には助けを出すが、生きていける者は助けぬ。本願寺は己の始末すら出来ず、生きていけぬと申すのか?」
厳しい顔つきで現実を突きつける義統さんもまた変わったなと思う。最初の頃は、どこか他人事のようにオレと信秀さんが尾張を変える様子を見ていたんだ。
それが今では、自らが立ち上がり領国を守り、日ノ本を統一しないといけないと覚悟を決めた武士そのものとなった。
鎮永尼さんは厳しい顔つきのまま無言だ。未だかつて、こんなことを言われたことがないのだろう。この時代では最大勢力の本願寺の奥にいて出てこない人だ。触らぬ神に祟りなし。まさにそんな扱いだったのは察する。
「守護様、私の本音を申し上げてよろしいでしょうか?」
「ああ、そうじゃの。そなたの口から確と伝えるとよい」
このまま会談が終わりそうな気もしたので、オレは自分の意志を伝えないといけない。そう思い自ら声を掛けた。
「鎮永尼殿、私は神仏は信じますが、寺社や僧侶や神官だというだけでは信じません。そもそも本願寺では末法を説いて来世で救いをという教えを広めておりますが、あれがあまり好きではありません」
義統さんも本願寺に対して不快感をきちんと伝えた。オレも伝えるべきだ。自身の考えとスタンスを。上手に嫌われろ。晴具さんの教えのままに伝えないといけない。
「人は死ぬまでこの世で生きて、この世を良くすることに励むべきです。この荒れた世を正すのは仏法ではない。人だと思っておりますので。誰も見て帰った者のいない来世を語り、人の目を今生から逸らすことは私の考えと合いません」
少し滑稽な気もする。オレは綺麗事を並べられるほど立派な人じゃない。今もシルバーンの存在と力を隠して、そのうえでズルをしているんだ。
やがて、すべてが明らかとなる日が来るとしたら、オレとオレの子孫は卑怯者として人々から迫害されるかもしれない。
ただ、それでも……。
「願証寺は私たちと共に歩むべく多くの苦難の道を乗り越え、犠牲も出しました。故になにがあろうと守らないといけない。本願寺とは、かつて三河本證寺の一揆があった時に使者となったお方が命を懸けて蜂起を止めようとした。あのお方の遺志を受け継ぐべく、共に生きていけるように商いなどで努めておりました」
鎮永尼さんは静かにこちらを見ていた。もしかすると、これで本願寺との関係は終わるのかもしれない。でも、義統さんも信秀さんもエルも誰も止めようとしない。
「本願寺はあれから十年余り。なにをしておられましたか? この先、いかになさるおつもりですか?」
もっと早く会うべきだったのかもしれない。少なくとも彼女は平和な世界を求めている。ここまで織田が大きくなる前に会って、共に悩み考えていたら違っただろう。近衛さんや山科さんのように。
こういうことになるから、オレはなるべく自分の足で出向いて人と会うようにしているんだ。近衛さんたちだって、何度も尾張に来てくれた。
彼女と関係構築するのはこれから始めないといけないが、果たして若くない彼女にその時間は残されているのだろうか。
「朝廷の権威の下、昔からの形で生き残りたいなら畿内で生きることをお勧め致します。私たちは、いえ私は自ら出来ることを為さぬ者を助ける気はございません。本願寺ならば自力で出来るはずです。まずは、自らの為せることをお考え下さい」
彼女との会談はこの一言で終わった。
強大な本願寺故に大変なんだろう。ただ、オレが今以上に助けるのは無理だ。彼らは祈りの日々に自ら戻る気などないんだ。
これはオレの甘さが招いたことなのかもしれない。形だけでも寺社を残していかなくてはと随分と甘いことをした。
難しいね。政治に携わるって。
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