第2467話・花火を見上げて

Side:慶寿院鎮永尼


 まるで地獄のようなこの世を照らす一筋の光。


 これが……。


 これほどとは思いませんでした。素直に見上げるしかありません。何人たりとも見下ろすことを許されぬ。


 それが、花火。


 かような花火を見た者が、欲にまみれた坊主など信じないというのは当然でしょう。それ故にこの国は……。


 この国で勢力を広げるのは、もう無理かもしれない。一向宗の教えを信じる武士たちですら、信仰はするが寺社の命には従えないと拒むのですから。


 織田は越中勝興寺の件を話す時、三河本證寺のことを先例として口にするとか。本願寺は、大義なき一揆を未だに止めることもせず認めるのかと疑念を持っている。


 私たちにとってはすでに過ぎたことと忘れていても、尾張はそのことを忘れず同じ一揆を起こされぬようにと変わり続けていた。


 越中の件が初めてではないのです。三河に続き二度目と思うからこそ、安易に信じてはくれない。


 十年前、本證寺の生き残りを引き取ったのは間違いではないはず。ただ、織田からすると罪人を庇ったとしか思えないのもまた事実。


 あの時、共に一揆を止めようとした願証寺は本證寺の一件があればこそ信じてもらえていますが、本願寺は使者が止めようとしただけで後始末では罪人を処罰するのを止めてしまった。


 そのことが今になって響くとは。


 斯波も織田も寺社を恐れることはない。門跡もどちらかといえば疎む理由になっているほど。今の私たちと織田が向き合ってくれているのは、命を懸けて一揆を止めようとしたあの使者の功があればこそ。


 駄目ですね。民を大切にし皆で力を合わせて生きるこの国には、私たちの道理は通じない。熊野ですら、織田に合わせることでの生き残りを考えているのですから。


 最早、越中だけのことではない。本願寺は尾張の治世に対していかにするのか。それが問われている。


 さらに、このことでは朝廷を頼ることも出来ない。院と帝が尾張に心寄せていて公卿と上手くいっていないとも聞かれるほど。その公卿である近衛公や山科卿は、今も尾張の流儀でこの地の者と友誼を深めている。


 長き年月に渡り根回しをして得た門跡が、まったく役に立たない世が来るなんて。


 本願寺は乱世が終わったらいかに生きるか。すぐにでもそれを考えなくては。


 尾張は私たちのことを待ってはくれないかもしれない。時を掛ければ掛けるほど、出遅れる。


 花火のように、尾張を見上げて従う以外に道はないのかもしれません。


 ただ……、それは難しい。




Side:近衛稙家


 空すら所狭しと打ち上がる花火……。相も変わらず見事なものじゃ。


いかなる身分であろうと花火だけは見下ろすことが出来ぬ。神仏の威を借る寺社の者らにはいい薬であろう。内匠頭はこの花火により寺社の上に立てるのやもしれぬ。


 夜空を制した者として末代まで名が残ろう。


「美味じゃの~」


 花火と共にあるは、目の前で炭火にて食材を焼く久遠料理。難しきことをしておらぬはずが、熱々のままかぶりつくと絶品じゃ。


 魚もいくつかある。京の都ではあまりお目にかかれぬ魚もあり、必ずしも上魚ばかりではない。されど、あえて左様な魚を選んで食うと、この味に驚かされる。


 塩加減がよいの。上物の塩だけでいい。


「殿下、よろしければこちらなどいかがでございましょう」


 なにか珍しきものはないかと頼むと、あまりみたことがないものが運ばれてきた。


「うむ、頂こう」


 尾張では、食うたことのないものも進んで食うようにしておる。初めて食う料理が楽しみのひとつじゃからの。


 これは……馬鈴薯か。添えられておるのは塩辛とバターなるものか。なんとも奇妙に思えるのう。


 おっと、まずは澄み酒で一息つくか。こうしておる間にも花火が上がり魅入る。


 花火と花火の合間に馬鈴薯を頂くか。あまり手の込んだ料理ではないな。焼いたのか蒸したのか。左様な馬鈴薯を添えられておる塩辛とバターと共に食う。


「おお、まだ熱いの。じゃが、これがよい」


 おおっ!? これは……美味い!! 馬鈴薯の芋らしい味に塩辛とバターがよう合う。芋のよき味が引き立てられておると言うべきか。


 他の料理とは違う味故に、よいのぉ。


「ほう、殿下は馬鈴薯がお気に召されたか」


「確かにあれは美味いな」


 若い者らが少し戸惑うようにわしを見ておるが、これでよい。この国で権威や身分を振りかざしたとて良きことなどない。武衛に習い、皆と同じく生きつつ僅かに上に立つくらいでよい。


 神宮のように捨てられては敵わぬ。


「飯は尾張が一番美味いの。羨ましき限りじゃ」


「左様でございますか……」


「そなたらも吾に遠慮など要らぬ。存分に楽しめ」


 難しゅう考える必要などないのじゃ。共に楽しむだけでよいのじゃ。共にな。




Side:足利義輝


 殿下は織田の家臣らと共に楽しげに酒を酌み交わしておる。相も変わらず油断も隙もないお方だ。


 本願寺どころか縁ある熊野すら捨て置く様子に驚く者もおる。


 まあ、オレからすると殿下らしいと思うが。縁を粗末にすることはあるまいが、今も大人しゅう花火を見ておる熊野と石山と共におったとて厄介な縁が増えるだけ。


 殿下は長きに渡り寺社に悩まされ続けた朝廷を知る者、この辺りで寺社を大人しくさせることには異を唱えまい。


「花火はよいな」


「はい、左様でございますね」


 御台も花火を楽しんでおり母上も上機嫌な様子だ。願わくば、尾張者のようにもっと楽に花火を見せてやりたいが……。


 熊野と石山が邪魔だな。あの者らさえいなければ、母上とて異を唱えまい。


 先人らも厄介なものを残したものだ。同じ仏門の者すら諭せぬ寺社など不要であろう。新しき宗派を作るのは勝手だが、誰一人として堕落したあとのことを考えぬ。その程度の者らが残したものだ。


 一馬は今から己がおらぬようになった先を考えておるというのに。


 いや、悪いのは寺社ではなく人か。残すのは寺社と教えのみで堕落した者らが要らぬのか?


 あまり短慮に考えてはならぬ故、口には出さぬが……。今のままでは新たな世の憂いとしかならぬ。


 残すべきなのか。残すべきでないのか。誰にも分からぬことなのであろうな。


 本願寺のことは近江に戻る前によく話したほうがいいのかもしれぬ。誰かが討たねばならぬならば……、それはオレの役目だ。


 津島の花火は、坊主ではなく学校の子らと共に見たいものだな。


 さすがに無理か。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る