第2465話・熱田祭り・その二
Side:慶寿院鎮永尼
風に乗って人々の賑わいが聞こえてきます。
尾張の国に来て以降、私たちは考えさせられることが増えました。寺社とはなんなのか。国とはなんなのか。
この世に神仏以外に信じるに値する人がいるとは思いませんでした。
例え同門の者らと絶縁しても尾張を守らんとする願証寺は正しい。私が同じ立場でもそうしたでしょう。朝廷では世を乱すことはあっても治めることは出来ないのですから。
「鎮永尼様、いえ、尼僧様。参りましょうか」
証恵が寄越してくれた僧たちと共に、私と顕如は少し町を歩くことにしました。武衛殿から勧められたのです。尾張の祭りを楽しまれてはいかがかと。
「ここだけの話。尾張を訪れた方々が町にお出になられるのは珍しゅうございませぬ。皆様、喜ばれることでございまする」
楽し気な願証寺の僧がそう教えてくれました。すでに熊野の者たちも町に出ておるとか。
身分を隠して外に出るなどいつ以来でしょうか。少し、胸が高鳴る気がしました。
常ならば許されぬこと。門跡となった今、畿内ではあり得ぬことでしょう。
ただ、ここは尾張。最早、朝廷の力の及ばぬ国。その主たる武衛殿に勧められては断るのは無礼になるというもの。尾張では尾張流の楽しみ方をするべき。そう皆を納得させるだけの国なのです。
まだ十代の顕如には、あえて身分の低い僧侶としての衣を着せました。生まれながらに本願寺を継ぐべき者として育てられた顕如に民を見せることが出来るのは、これが最後になるのかもしれない。
「よき町ですね」
人の賑わいは石山も決して負けてはいない。ただ……この国の者は容姿からして畿内とは違う。
まず髪が違います。男は髷を結わぬ者も多く、女も仏門に帰依せずとも髪を短くしたり珍しき髪の形をしたりしている者がそこかしこに見られます。
この国の者が習うべきは朝廷や寺社ではないのです。神仏を信じる故に、朝廷や寺社の信が失われている。
朝廷は斯波と織田を従えると今までと同じだと思っているのでしょうが……。本願寺は難しい立場に立たされてしまいます。
荒れる世から身を守るために武器を手に持ち、ようやく安寧の日々を送っているというのに。それ故に、尾張の人々からは疑われている。幸いなのは叡山なども等しく疑われているということでしょうか。
尾張にとって従わぬ寺社は厄介者でしかない。
今はいい。私が抑えることが出来ているうちは。ただ、顕如はいずれ私の手を離れ、己が力で本願寺を動かそうとする。そうなると織田と争う道を選びかねない。
生まれながら本願寺門主にある顕如は、世の難しさも民のことも理解が及んでいない。
愚かしいことですが、本願寺の主立った者には大義のためならば世が乱れようとも構わぬと考える者が多数おります。信仰を守るという大義名分で民を疎かにして戦に駆り立てるのは越中も本願寺も大差ないのです。
天は、朝廷に連なる畿内を見限ったのかもしれません。乱れに乱れた畿内を……。
Side:久遠一馬
喧嘩を仲裁してまた町を歩いている。
喧嘩の理由? 酒に酔って、ウチの屋台のたこ焼きと焼きそばのどっちが美味しいかで揉めたらしい。
心底どうでもいい理由だったので注意をして終わった。まあ、血の気の多い人は今もいるからね。つまらないことで喧嘩するのはなくなっていない。ただ、刃物を持ち出しての喧嘩は減ったけどね。
「あれは……」
ふと離れたところを歩く男女が見えた。甲賀出身の銀次さんが女性と一緒に歩いているんだ。
「銀次殿、奥方に少し前に子が出来たとか」
「そりゃめでたいね」
若い家臣がオレの視線の先に気付いて教えてくれたことに驚いた。時が経つのは早いなぁ。
この時代にはない言葉だが、独身貴族だった人だ。一種の世捨て人のように自分の食い扶持を稼ぐだけで生きていた。
面倒見がいいらしく独り身なのを心配する人が多くて、千代女さんがウチの若い衆の独身の宴に誘ったりしていたんだが。ウチの家臣の娘さんが彼のところに押しかけ女房のように嫁いだのがいつだったかな?
どっかで父親共々、銀次さんが助けた縁があったらしい。家中の外に嫁ぐことになるので事前に許可を求められたので許したんだよね。
初めは帰れと拒否していたらしいが、女性が居ついてしまうと、いつの間にか受け入れていたらしい。そんな感じだから今も婚礼も挙げていないらしいけど。
「ちょっと羨ましいね。勝手気ままに生きられて」
この世界に来た頃、オレが考えていた生き方に近いかもしれない。それなりに働いてエルたちとこの時代を楽しみながらのんびりと暮らす。
まあ、銀次さんの場合、過去にいろいろあったらしく世の中に対して思うところがあるようだけどね。仕官の話もたくさんあったらしいが、すべて断って生きている。
「殿は銀次殿のような者がお好きでございますからなぁ」
一緒にいる太田さんにそう言われて少し苦笑いを浮かべてしまった。確かにそうかもしれない。オレは、銀次さんみたいな人が自由に生きられるようにしたいんだ。
いつか、銀次さんが親子で会いに来てくれるといいな。
「行こうか」
「はっ」
向こうは気付いていない。このままオレたちは予定通り町を見廻ろう。
今年は、毎年、お祭りをくまなく見廻ってくれていたすずとチェリーが産休で大人しくしているからなぁ。オレと妻たちで見廻っているんだよね。
趣味と仕事を兼ねて見廻るふたりのおかげで、祭りの諸問題が大きく減っていた。報告が後で上がってくるようにはしてあるが、当日にその場で解決出来ることも多くあったんだ。
そもそも、オレたちは身分や地位を求めたわけじゃない。現場で織田家を支えるだけでよかったんだ。結局、偉くならざるを得なかったけど。
「あー! くおんさま!!」
心が温かくなるような気分の中、町の子供たちが駆け寄ってきた。
「やあ、みんな。お祭り楽しんでいるかい?」
「はい! おてつだいしています!!」
一度か二度、学校で授業をした時に来てくれた子供たちだな。さすがに名前まで覚えていないが、顔は覚えている。
少し前からオレが学校で授業をする日を決めると、尾張どころか美濃、三河、伊勢あたりからも授業を聞きたいと人が集まるんだ。おかげで授業を入れ替え制にするなどして対応している。
たいしたこと教えていないんだけどね。領民との交流も大切だからと続けている。
「なにかあったら、近くの大人に言うんだよ」
「はい!」
子供たちは地域の大人が見守ってくれる。もともと農村とかはそうだったんだけどね。今の尾張では地域を越えて助け合いがある。
ちょっとしたきっかけなんだけどね。治安が劇的に改善した理由のひとつだ。
オレたちばかりじゃない。尾張の人々の努力の結果だね。
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