第2459話・仏の道
Side:熊野三山の僧侶
許しを得て清洲の町に出ると、羨むほど人で賑わっておるわ。
「多少触れるなどございましょうが、何卒、今日ばかりはお許しを。この賑わいでございます故」
「ああ、そうじゃの」
左様な愚かな真似はせぬわ。美濃土岐家家臣のように末代まで笑い者にされとうない。ようやく招いてくれたのだ。
「身綺麗な者が多いな」
「身を清めることで病に罹りにくくなる。薬師様の教えでございます故」
珍しきことではない。寺社では昔から身を清めておる。とはいえ、それを市居の民にまでやらせておるのだ。聞き及んでおるが、己が目で見るとなんともよきものじゃ。
賑わう町を見ておると、それだけで胸が熱くなる。
「いかがされました?」
思わず込み上げてくる涙を拭うと、案内の者が驚いた。
「いや、すまぬな。争いのない国を己が目で見られたことに感極まってしもうたのだ」
世が乱れ、我らもまた穢れた身であることは確かだ。されどな、自ら望んで世を乱して己が身を穢そうと思うて仏門に入ったわけではない。
「お坊様、どこか悪いのでございますか?」
「病院に案内しますよ?」
城の前で涙を見せる者は珍しいのかもしれぬ。周囲におった年端も行かぬ子らに案じられてしもうた。
「いや、大事ない。清洲の町を見られたことが嬉しゅうてな」
よく見ると飴を売っておる子らしい。わしの言葉に安堵しておるのが分かる。
「ちょうどよい。飴をくれぬか」
「はい! ありがとうございます!」
案内の者が子らから丸い飴を買うた。これは、金色飴か? よく見ると子らの背には見覚えのある船の旗印が描かれておる。
まさか、この子らは……。
「おいしいよ。みんなで懸命に作ったの」
「それは楽しみじゃの」
得体の知れぬ余所者が泣いておったとして助けるか? 同じ僧籍の者なら助ける者もおろうが……。
子らが去るのを見つつ飴を口に入れる。金色飴のよき味がする。上物じゃの。
「あれが内匠頭殿の猶子か」
「左様でございます」
「なんとよき子らじゃ……」
孤児を引き取り、育てることの苦労は我らも知っておる。あの子らを見るだけで内匠頭殿を信じてよいと分かる。いや、我らが助けとならねばならぬ御仁なのかもしれぬ。
譲歩に譲歩を重ねてようやく尾張に来られたが、正しかったのだ。乱を望む者ならば戦い退けねばならぬが、太平の世を望む者ならば共に歩まねばならぬ。
「尾張者が羨ましいわ」
心から信じられる人などおろうか? 寺社とて上におるのは高貴な血の者であって高徳な者ではない。
東国が変わろうとするわけだ。あやうく出遅れるところであったわ。
Side:慶寿院
案内されたのは見たこともないところでした。卓と
「南蛮の間でございます」
これが……。清洲城には遥か大陸を思わせる間があると聞き及んでおりましたが。驚き見渡してもいられません。
勧められるままに席に座ると、紅茶と菓子が運ばれてきました。そのまま侍女が下がると、周囲から人気が消えました。
「お久しゅうございます」
証恵は落ち着いた笑みを浮かべました。証恵にとってここは多少なりとも気が許せるところということでしょうか。
「息災なようで、なによりです」
父が願証寺を創建して幾年月。願証寺も伊勢も尾張も本当に変わりました。僅か十余年、私にとってはつい先日のように思えますが、世は変わってしまいました。
まさか乱れた世がこれほど落ち着くとは思いませんでした。しかも、武威でも権威でもない。人の力で。
「願証寺はいかがですか?」
「よき日々を送っております。兵を挙げることも争うこともここでは不要でございます故。すべては鎮永尼様のおかげでございまする」
なんと羨ましい。寺社であっても争い戦わねば生きていけぬのが今の世。それが、争いを捨てて生きていけるとは……。
確かに私は、願証寺が求めるままに寺領を織田に差し出すことや守護使不入などを廃することを認めるように働きかけました。
思うところはありましたが、三河本證寺の顛末から見ても武威にて争い勝てるとは思えませんでした。なにより、加賀の二の舞にだけはしたくなかった。
結果として、本願寺に連なる寺の中で願証寺と織田領の寺だけが別の形になってしまいました。このことには今でも異論があります。ただし、代わりの策などなく、今の形を変えると神宮のように大恥を晒すだけになりましょうが。
「積もる話の前にひとつ聞きたいのですが、越中勝興寺を助けなんだのは何故ですか? せめて仲介でもしてくれていたら……」
「実は織田が越中に兵を送る前に、我らが使者を出して一揆を止めるべきかと内匠頭殿に内々に進言は致しました。されど、織田は願証寺を守らねばならぬ故、不要だと仰せになったと聞き及んでございます。三河の折に幾人もの僧が止めようとして命を落としたことを内匠頭殿は重く受け止めておられたと」
なんということでしょう。あまりのことに言葉が出ません。
「それが、久遠内匠頭殿ということですか」
「はっ、本證寺にて討たれた本願寺の使者のことも、内匠頭殿は忘れておらぬと仰せだったと」
荒れ果てた世を十年余りで変えた男。ただ、商人という出自から、穢れた銭を用いて日ノ本を買い叩いておるという蔑む者もおりますが、内匠頭殿ならばと信じる者もまた多いとか。
私も挨拶と僅かな話をしましたが、話す時が足りなかったのか落ち着いたよき武士としか見えませんでした。
「かようなことを申し上げてよいとは思えませぬが、直に会うたこの場故、申し上げまする。我らは尾張と共にありまする。たとえ本願寺と袂を分かつことになっても」
なんという覚悟でしょう。日和見をして世の趨勢を見定めるのではない。己が力で尾張を守るという決意が従甥から見えます。
「分かりました。私も力の限り、助けましょう。願わくは戦など致さずともよいように……」
勝興寺とあまりに違う。同じ教義を守る寺とは思えないほど。勝興寺は変わっていません。北陸で争っていた頃のまま。太平の国、尾張とあまりに違う。
懸念があるとすれば、私はもう若くはない。残された時は決して多くはない。私ではこの国の行く末を見届けることは出来ない。
会わねばなりませんね。内匠頭殿と。公の場ではない。内々に話せる場で。
懸念の理由はおおよそ理解しています。故に……。
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