第2458話・外交という場に赴く者

Side:武田信虎


 本願寺が主立った者を引き連れて尾張入りとはな。


「世の流れとは面白うございますなぁ」


 ついつい笑みをこぼしてしまうと、ナザニン殿とルフィーナ殿がいかんとも言えぬ顔をされた。


 本願寺とは、倅の継室と顕如の室が同じ三条家の娘という縁がある。三条家の娘を継室にすることは、わしが考えたこと。まさか、その縁が織田家に降ったことでまったく別の意味を持つことになろうとはな。


「本願寺との話し合いは無人斎殿が適任なのよね。本願寺を恐れず対等に渡り合える者は多くないわ」


「お任せくだされ。門跡を得て我が世の春となっておる本願寺とて容赦致しませぬ」


 古き書を紐解けば、坊主どもがいかに世を乱し勝手をしていたかが分かる。ここで本願寺に甘い顔をすれば、奴らは増長するであろう。ようやく見え始めた太平の世を奴らに乱されることだけはあってはならぬ。


「多くを望まないとは思うわ。とはいえ、越中の門徒をこちらで助けてほしいのが本音でしょうね」


「寺社の本分に戻るならば、それもあり得ましょう」


 身延の久遠寺は本分に戻ることにした。諸国を知り、それなりに末寺があるところだが、本山が甲斐という国では織田と争うても先はないとな。さりとて、あれは甲斐に本山があったから出来たこと。畿内に本山がある本願寺では難しかろう。


「無人斎殿が必要だと思うならば譲歩をしてもいい。叶うなら、あの地で一向衆の根切りは避けたいわ。ただし、一向衆の国は残せない」


「畏まりましてございます。ふふふ、楽しゅうございますなぁ。兵を挙げずに戦をするというのは」


 血が騒ぐのは、わしもまた武士だからか? これも戦なのだ。東国の新たな世のためのな。


「無人斎殿のそういうところ。見ているとやり過ぎそうで怖いけど、上手くいくのよねぇ」


「加減は存じておりまする故に」


 わしはもう自ら将となる気などない。ただ、今まで誰も成し遂げたことのない東国の新しき世を共につくれるだけで十分。ついでに甲斐源氏の名を残せれば、なお良しというところだ。


「ああ、彦五郎殿も御一緒に同席させるといいわ。学べることも多いはず」


 今川家の嫡男であるが、わしの外孫じゃからの。確かにわしの意志を継ぐ者としては倅や孫よりいいかもしれぬ。


 本願寺もまた、今隆盛を極めんとしておるほどの力がある。いかに動くのか楽しみで仕方ないわ。




Side:足利義輝


 御台として迎えた、そねが実の父と母と会えるようにした。今頃は親子でよき時を過ごしておろう。


 人としての生き方は師や一馬たちから多くを学んだ。そねもまた将軍の御台としてあらねばならぬが、時にはひとりの人に戻ってよいのだ。


 オレは師と兄弟子らと共に、清洲城でしばし鍛練をして汗を流した。


 やはり、オレは将軍よりも一人の武士でありたいと心から思う。将軍として名を挙げてもそれだけは揺るがぬ。


 とはいえ、今必要なのは将軍だ。


「飢饉に必要なのは備えか」


 越中や関東の様子を兄弟子から聞いておるが、飢饉に耐えておるのは祈りや信心があるからではない。常日頃から備えておった者らだ。


 かつては義倉というものがあり飢饉に備えておったと聞き及ぶが、今の世で残るのは新たに義倉を設けて備えた織田くらいであろう。


 これひとつ取っても寺社は織田より劣る。


「祈りで腹は膨れませぬ故。作物が育つかどうかは祈りの余地もございましょうが、今ある飢えを救うのは人の役目かと」


 確かに師の言う通りだ。天の助けがあるまでは人の知恵と力で生き抜かねばならぬ。


 寺社の中には備えをしておったところもあろうが、近頃は高利で貸し付けて銭を稼ぐことばかりするからな。


「師よ。熊野は何故、唐突に尾張に参ったのだ?」


 少し前から争う様子が皆無となっておったのはオレも知っておるが、いささか動きが早い。なにか謀でもあるのではないかと案じてしまう。


 もっとも熊野は殿下の縁があるはず。そこまでおかしなことはするまいが。


「某も確とは聞いておりませぬが、今巴殿や氷雨殿の話では諦めたのかと……。神宮が揉めているうちに斯波家と織田家と上手くやりたいのでございましょう」


「諦めたか」


「意地を張って十年、もう十分と思うたのだと某は思いまする。余り出遅れると居場所もなくなるおそれもございまする故に」


 それはあろうな。関東次第なところもあるが、東国が変わるのはもう避けられぬ。今の朝廷に変わりつつある東国を従える力はもうない。


 足利はそもそも関東の出。オレが畿内のために命を懸けて東国を従えることなどあり得ぬと悟られたか。


 まあ、いい。おかしな動きなど出来ぬように睨みを利かせてやるわ。こういう時は将軍の地位が役に立つ。




Side:久遠一馬


 歓迎の宴から始まり、招待客との予定がいろいろとあって忙しい。


 オレは役目を理由に出席しない時もあるが、まあ、一通り公式の場には出席している。


 東国では飢饉で苦しんでいる人たちが多いというのに、贅を尽くした宴で喜び、自分たちの地位や権力のために取り入ろうとする寺社を見ていると、信頼どころかストレスが溜まる。


 仕方ないことだと分かっている。あの者たちだけを一方的に排除する方法は、オーバーテクノロジーを用いた禁じ手以外には存在しない。


 それに寺社とはいかなる存在か人々に理解させないと、トップを潰しても代わりが出てくるだけだ。彼らが世のため人のためではなく、自分たちのために動くと言うことを世に示していかないといけない。


 我慢の戦いだ。二度と、宗教が世を乱さないようにするための。


「殿、やはり本願寺は、こちらで越中一向衆を助けてほしいようでございます」


 交渉を始めたばかりの、外務方からの報告を持って来た一益さんの言葉に思案する。今までの様子からお金を出せば面倒を見てくれると思ったのだろう。


「勝興寺はなにも失っていない。このままだと無理だろうね」


 本願寺一行には三河本證寺の跡地でも見せるべきだろうか。それとも飢えて荒廃した越中を見せるべきか?


 実利を渡すことで面目を立てる。オレも今まで随分とそれで収めてきたが、織田家はそろそろその形を卒業する頃に差し掛かっている。


「本願寺との担当は誰だっけ?」


「無人斎殿でございます」


「なら、任せていいかな」


 さすがはナザニン。外交においては隙がない。


 信虎さんは過去と現在と未来をきちんと抱えて生きている人だ。酸いも甘いも経験していて、オレたちの政策にも精通している。


 彼なら穏便に本願寺に示してくれるだろう。今の尾張の治世がどうなっているか。




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