第2457話・流れのままに
Side:久遠一馬
義輝さんたちに続き、石山本願寺と熊野三山から団体さんが到着した。
「石山と熊野か。喧嘩などするまいな?」
流石の信秀さんもどうなるか分からないと言いたげだ。
石山は去年から話があって調整していたが、熊野は今年に入ってからの話だからなぁ。織田領の熊野領での賊の扱いなどで熊野が大幅に譲歩したことで招待した。
ただ、オレたちはそこまで心配していない。
「上様と近衛殿下がおられますから。なにも出来ませんよ」
席次などは足利家での形式をそのまま用いる。当然、上座は義輝さんだ。朝廷の実力者でもある近衛さんもいる。石山と熊野であっても大人しくしているだろう。
オレたちも別に義輝さんの権威で石山と熊野を抑える気はないが、義輝さんがいることで彼らも納得するだろう形は整える。義輝さんと共に同行した奉行衆に助けてもらいつつ、今、席次などを決めているところだ。
「十年じゃからの。ここで動かねば次の十年も待つだけになろう。わしは待つことに慣れておる故、気にならぬが……。石山と熊野は待ちきれぬのであろう」
確かに、義統さんの言う通りだ。待ちきれなかったと言うべきだろうね。
兵を挙げての上洛もせず花火の普及もしない。近江以東の流通経済はこちらでほぼ握っている。これ以上、意地を張って、反三国同盟だと思われると余計に動けなくなるだろうからなぁ。
ほんと、西に対する影響は、やはり北畠と六角の力が大きい。南北朝時代の雄である北畠と足利家を支える六角。奥羽勢や畠山家もそうだが、両家の縁で争いを回避出来ることも多い。
越中の一件は決して目立っていないが、三国同盟の外交力の勝利とも言えるんだ。
「一馬よ、石山の門跡はよいのか? わしにはよう分からぬが……」
ふと疑問を口にしたのは義信君だった。まあ、勢いある本願寺が朝廷の権威を得るというので織田家中でも懸念の声があるのも確かだ。
「あれは私たちに対する動きではないですからね。寺社同士の争い、畿内における立場の確立など向こうの事情ですよ。影響がないとは言いませんが、そこまで困りません」
本願寺の門跡は彼らの悲願というか、前から狙っていたことだろうしね。いろいろ問題もあるところだが、山科本願寺から逃げることになったことなど彼らが権威を求める理由はある。
というか門跡という肩書きが対織田で役に立つと思うなら、わざわざ尾張まで来ないと思う。この時代は身分が低い者が高い者のところに出向くのが基本だ。花火見物という名目を用いたところで、それは同じ。
向こうがこちらに出向くことは、それだけ彼らとして争う気がないという意思表示になる。畿内で言えば細川氏綱さんと三好はこちら側の陣営だ。石山本願寺もどちらかというと三国同盟に協力している。
石山本願寺に関しては、どちらかというと願証寺の独立性をこちらで守ってやらないと駄目だとは思うが。事前の調整では向こうも願証寺への締め付けを厳しくする気はないらしいし。
懸案らしい懸案は、越中一向衆だけだ。
越中に関しては事前調整がついていないんだけど。石山本願寺としても、尾張に来たら非公式に話し合うことで決着を付けたいらしい。
願証寺からの情報だと、石山本願寺としても北陸をどうするかは決めかねているみたいなんだ。足利政権が息を吹き返したことで、あそこの問題が再燃するのを恐れている。
時代は乱世から太平の世に傾きつつある。石山本願寺であっても、もはや一揆で勢力を広げる時代ではないと察しているんだよね。
まあ、察していても変えられないのが人というものであり、寺社もまたそうなんだけど。
Side:滝川益氏
一向衆を除く越中全域で蕎麦の種まきが間に合うとの報告に安堵した。最早、椎名も神保もない。とにかく蕎麦を植えさせねばならぬ。
これで長尾と神保からの流民は抑えられよう。一向衆は相も変わらずなので、あちらからの流民は増えておるがな。こちらは致し方ない。
「尾張では花火の頃だなぁ」
大将殿がそう漏らすと、共におる武官衆と文官衆の皆が残念そうな顔をした。心まで荒むような越中におればこそ、尾張が懐かしゅうなるのであろう。
わしだけではない。織田家中の皆も、すでに乱世の武士ではないからな。隙あらば抜け駆けをして、奪い争い生きる者たちではない。
「年寄りは昔も悪うなかったというが、まことなのか? 越中に来て地獄を見ているようで嫌気が差したわ」
「勝てば悪うないのであろう? 荒れ果てた田畑を気にも留めぬのは長尾を見ておれば分かる」
若い者らは越中という国で古き世を初めて見た者も多い。学校や武官学校で学んだことなれど、己のこととして理解出来ぬ者は多いからな。
「神仏の名を騙り一揆を起こした寺がのうのうと生きておる。あれでは世が鎮まるはずもない」
「それは分かるが……、我らが血を流して寺社を正して他国を助けるのか?」
「あのような者らを許す本山も朝廷も悪い。いずこも責を負わぬではないか」
「世が乱れた責は……」
若い者らの言葉はすぐに荒くなり厳しくなる。まったく……。
「そこまでにしておけ。他者を軽々しく罵るでない。大事なのは己がいかに生きるかだ」
止めようかと思うていると大将殿が先に声を上げられた。さすがは山城守殿の御子息だな。声を掛ける時をようご存じだ。
「申し訳ございませぬ」
「心情は理解する。だがな、賢く生きよ」
もっともな言葉だ。朝廷や寺社の本山に責を負えと言うたところで、それを成せる者は多くない。それに責を負うことで世がさらに荒れると面倒しかない。
大将殿はそこまでご存じなのであろうか? 織田家中でもそこまで知る者は多くないはずだが……。
「内匠頭殿を見習え。望むならば静かに争わず変えていけばいいのだ。目立たぬところからな」
見習えと言うたところで同じことは出来まいが、道理だな。己の生き方から変えるべきだ。
「なるほど……」
「確かに争えば、我らもまた奴らと同じことに……」
皆が納得したことで安堵するものの、殿が皆の心の支えとなっておる現状には少し先を憂いてしまう。
尾張者くらいは殿の支えがなくとも己が足で立って生きてほしいものだが。それはまだ先のことか。
焦るべきではないな。越中の様子を確と尾張に伝え、同じ過ちを犯さぬように皆で学べるようにするか。
太田殿ほどとはいくまいが、越中の仔細は残したほうがよい。ちょうど手も空いて来たことだしな。
◆◆
永禄六年、越中騒動記。
永禄六年の越中の様子を克明に記した書物になる。著者は久遠家家臣、滝川益氏。
当時、すでに織田家では久遠家にならい報告書を提出する形が整っていたものの、益氏はそれとは別に越中の情勢から織田家が学ぶべきことは多いと考え、今後の参考にと自らの意見も交えて書き残したものになる。
同書はあまり資料が残っていない、同時代の越中の様子が分かる資料として貴重なものになっている。
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