第2454話・地獄か極楽か
Side:とある旅の僧
東海道を西に進み尾張に入ると、特に珍しきものがない村が一際賑わっておるのが見えた。
「お坊様、よろしければ休まれて行かれませぬか? 尾張の見どころと立ち回りかたをお教え致しておりますよ」
村の者が街道で旅人に声を掛けていて、急ぐ者には握り飯を売るなどしておる。
「見どころとは?」
「ええ、いろいろとございますよ。まずこの時期だと花火がございます。熱田様と津島様の祭りで奉納花火が上げられますから」
僅かばかりの駄賃を渡すと、村の者は尾張のことを教えてくれた。花火を見るにはただ、当日熱田に行くだけだと難しいこと、よい場で見たいならば相応に銭を払うか早めに行かねばならぬことなど。
南奥羽や関東では飢饉となり、多くの地で飢えから争うてばかりだというのに。織田の地はなんと穏やかな国なのか。
街道沿いの田んぼも三河や尾張では例年と変わらぬほど育っておる。仏の弾正忠の国は飢えなどないのであろうか?
村の者に礼を言うて先を急ぐが、なんともよき顔をしておることを羨まずにはおられぬ。
恨み憎しみ、わずかな食い物を得るために争い、血を分けた者らでさえ争う。武士も坊主も己が米を分け与えるなどありえず、この機に所領を広げようとするばかり。
まともだったのは北条方の相模や伊豆くらいであろうか。関東の者らはかの者らを余所者と蔑むが、もっとも民を思い所領を治めておるのは北条だ。名のある祖先がさぞ嘆いておろう。
わしは、そんな故郷に嫌気が差して己が身ひとつで旅に出た。
「ああ、お坊様。托鉢をされる時はお気を付けて。尾張では、いずこの者とも知れぬ破戒僧が銭を寄越せと騒ぐことで旅のお坊様は嫌われることがございます。もしお困りのことがございましたら、寺社か奉行所に行けば食わせてくださるはず」
歩き出したわしに村の者が駆け寄ると、小声でそう教えてくれた。
「わざわざすまぬな。ご忠言に従うとしよう」
豊かな地だ。それだけ欲深い者が集まるのであろう。嘆かわしい。仏門を己の私欲のために使うなど。左様な者らがこの世を乱して、地獄と化しておるのだというのに。
世が乱れる? 坊主が乱れておるのだ。治まるわけがない。それを誰も咎めることもない今の世が腐りきっておるのだ。
夕刻に差し掛かる。道中にあった寺にて軒先を貸してもらおうと足を踏み入れると、寺に世話になる旅の者らで溢れていた。
「僧侶殿、一晩の宿をご所望でございますか?」
ここは旅籠もやっておるらしいな。
「いや、軒先を貸していただけぬかと参りました」
「左様でございますか。よい場をお貸し致すことは難しゅうございますが……」
薄汚れたわしを見てなにかを察したのか、寺の者は同じように諸国を巡っておる者らを泊める客間に案内してくれた。
「あいにくと銭は僅かしかないが……」
先客が幾人かおるが、いずれも着の身着のままの僧侶や修験者などだ。
「銭などいただけませぬ。同じ僧籍の者を一晩お泊め致すだけ。飯もあとで運びますのでゆるりと休んでくだされ」
皮肉なことだな。関東より織田領のほうが余所者であるわしを丁重に扱ってくれる。
「旅籠のほうは賑やかでございますな」
「騒がしくて申し訳ない。ここは寺領などない寺でございましてな。織田様から頂く禄と旅籠で暮らしております」
ここもか。駿河より西の多くの寺では、寺領がなく旅籠や売れる品を作って売ることで暮らしておる。無論、織田が寺領を召し上げておる話は聞き及んでおるが。
己で来てみると聞いた話とは違うと分かる。寺領がないことを不満に思うておらぬのだ。
「よき日々のようで羨ましい……」
「尾張は皆で助け合い生きておりますので」
本来あるべき、世のため国のため民のためにある寺社が織田の地にはある。それを誇るように笑みを見せる寺の者が心底羨ましい。
まさに仏の国だな。
Side:久遠一馬
義輝さんたちが伊勢に入ったと知らせが届いた。公式訪問も慣れてきて、織田領では落ち着いて応対出来ているそうだ。
オレ自身もそうだが、義輝さんにとっても出向くことはそれだけでプラスになる。やはり地元に来てくれると将軍様を身近に感じるんだ。
それと義輝さんのあとには、石山本願寺一行が花火見物のためにやって来る。実はこの石山本願寺一行は越中と無関係に前々から話を進めていたことだ。
昨年、史実と同じく石山本願寺が門跡寺院となったことと、今年の冬には願証寺が院家となることが内定している関係でお祝いとして花火見物に招いていたんだ。
越中の件で揉めるわけがない理由のひとつはこれにあった。朝廷によりようやく門跡寺院となった石山本願寺が一揆を認めるなどあり得ない。
今回、本願寺トップは顕如さんが尾張入りする。まだ十代で若いんだけどね。それとオレは会ったことがない彼の祖母である鎮永尼も同行するらしい。石山本願寺の中枢にいて顕如さんを補佐していると言われている人だ。実は彼女、願証寺の証恵上人の叔母だ。
願証寺と本願寺を繋いでいる人物であり、願証寺が織田の治世に合わせて体制変更などを割と自由にやれているのは、彼女の理解があるからだと報告がある。
結構な年齢で六十を過ぎている。今回の石山本願寺一行の尾張入りに合わせて、彼女の願証寺訪問も予定されている。
「十年も余所で花火上げないと、みんな来てくれるようになるんだな」
いろいろと報告を聞いた感想を漏らすと、一緒にいる妻たちや資清さんたちがなんとも言えない様子で控えめに笑った。
花火を打ち上げてほしいとか、花火を売ってほしいとか、花火作りの技を教えろとか、いろいろと要求があったんだよね。この十年の間に。
実際、線香花火は模倣されて各地で売られている。それに爆竹のような花火もある。ただ、打ち上げ花火は未だに作れた者はいない。
これは技術的な問題と費用がネックになっている。高価な火薬で花火を作ろうとする勢力が今のところいないんだ。
最初の頃、堺の町とか寺社が真似して作ろうとしたものの、費用が掛かり過ぎることで止めた。火薬があるなら鉄砲に使いたいんだろう。ある意味、賢明な判断だと思う。
「外務方と寺社奉行はてんやわんやよ」
なし崩し的に外務方の手伝いを続けているナザニンの少し愚痴っぽい言葉に、苦笑いしか出ない。
熊野にしろ石山にしろ、尾張が一時の成り上がりではないと判断したことで動いている。彼らとて旧勢力として爪弾きにされたくはないし、畿内と一緒に沈みたくもない。
いろいろと大変になるなぁ。
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