第2452話・初夏の越中

Side:越中一向衆


 村には無事な田畑がひとつもなかった。越後の奴らが荒らしたんだ。


「秋の収穫が……」


 おらたちが持ち帰った銭と食い物で、秋までなんとか食いつなげるはずだったのに……。


 家のなにもかも壊された。村にあった小さなお寺様もだ。


「一揆だ!」


「そうだ! もう一度、一揆だ!!」


 生きていけねえ。お寺様に掛け合って、一揆をしてもらわねえと。越後者なんぞに負けた神保が悪い! 他国に奪いに来た長尾はもっと悪い! 許しちゃならねえ!!


 勝興寺様に一揆をしてくれるように掛け合う使者を村から出した。


「ひでえ、やつらだ」


「そうだ、おらたちは悪くねえのに……」


 一揆で持ち帰った僅かな銭と食い物でどう生き延びるか。皆、途方に暮れた。当然、同じ村の奴だって信じちゃいけねえ。気を許したらすべて奪うのは同じなんだ。


 互いに信じているふりをしつつ、相手のほうが多く持ち帰っただろうと内心で疑っている。


「おい! 斎藤に従う村は食えているそうだぞ!!」


 途方に暮れていると、姿が見えなかった奴が戻ってきた。どこぞに逃げ出したのかと思っていたが違ったらしい。


「あっちは織田様に従ったからな。織田様が食わせてくれるんだよ。そんなことも知らねえのか?」


「おかしいだろ!」


 こいつなに言ってんだ? おかしくねえよ。あっちはたくさんの国を治めているんだ。それだけ力のあるお方なんだから、食わせてやれるんだろ。


「ここらの村は、昔、お寺様に従うと言うて治めていた武士を叩き出したからな。今更、お寺様から離れるなんて出来ねえんだよ」


 若い奴は昔のことも知らんのか。加賀で一揆が起きたことも知らんのかもしれねえな。


 オラもよく知らねえが、加賀から偉い坊様たちが来たあと、ここらをお寺様の寺領にするとかで武士を追い払ったんだ。


 治めていたお方が一向衆は駄目だと言うて兵を挙げたからな。税も重かったし、おらたちもお寺様に従った。もっとも、お寺様が治めてもあんまり暮らしは良くならなかったがな。


 織田様はお強いらしいから関わるわけにいかねえが、長尾と椎名相手に一揆を起こして奴らを叩かないと気が済まねえ。




Side:滝川益氏


 越後守殿から、茶でもどうかと誘いを受けて増山城までやって来た。


 肝心の越後守殿は、増山城から下りて麓にあった屋敷に入っていた。多くは長尾に焼かれていたが、残っていたものもあったか。山城は堅固な守りとなるが、常の暮らしには向かぬからな。


 屋敷の中だが、夏ということもあり戸は開け放たれている。吹き抜ける風は少し冷たいか。そんな中、越後守殿も同席する長尾方の者らも一切口を開かず、ただ、越後守殿が茶を立てておるのを見ていた。


 尾張ではあまり見かけぬ侘茶か。


「久遠流の茶の湯もよいが、わしはこれも好きでな」


 ようやく口を開いたかと思えばそれか。それにしても越後守殿が口を開くたびに居並ぶ家臣らの顔が強張るのは何故だ?


「久遠流の茶は無形なり。侘茶もまたよいものだと、殿やお方様は時折、楽しまれておる」


 形を決めて、それを守れと強要されることを殿は好まれぬがな。身内で楽しむならば、悪うないと言うお方だ。


「左様か」


 まことに殿と対極におるような男だな。寡黙で多くを語らず。本来、武士はかような男が好まれるのかもしれぬ。


「滝川殿、食糧の助け。まことにかたじけない」


 場の様子を読んだからか、直江殿が口を開いた。この男が数少ない越後守殿の本意を察しておる者というのは相も変わらずか。


「すべては清洲の御屋形様と大殿の下命によるもの。某に礼は不要でございます」


 といっても通じぬとは思うがな。事実、細かいことはわしに任されておる。気付かぬはずもないか。


「尾張流賦役。聞き及んではおったが、己が立場となると理解するところもある。飢えさせぬために飯を与えねばならぬが、ただ飯を食わせるよりは働かせたほうがいい。食わせる飯があるならば戦よりもいいのは確かだ」


「左様だな。内匠頭殿が尾張に来て十年を過ぎたか? 飢饉に備えていたと伝え聞く。坊主どもが頭を下げるわけだ」


 長尾の重臣たちもだいぶ心が折れておるようだな。城攻めがそれだけ驚きだったであろう。


 なるほど。長尾家中には、この先いかがなるのかと案じる者がおるようだな。越後守殿がわしを呼んだわけはそれか。


「こちらとしては東越中のご領内で飢えをなるべく減らしていただきたい。長尾家としても持ち出しは多くなろうが、御屋形様と大殿が困らぬようにすると仰せである。それに先だって、織田領から越後と東越中との商いにおける品物の値を下げることをお伝え致す。商人が扱っておらぬ品が御所望ならば、某に言うていただければご用意致しまする」


 商いに関してはまだ尾張から下命が届いておらぬが、先に譲歩しても構わぬであろう。殿ならばそうされるはずだ。


 そこまで話すと越後守殿が僅かに笑みを見せた。やはり、家中が揺れておったのだな。己で従えればよかろうに。いや、長尾家中が織田に従うようにと、わしの言葉と態度で理解させる気か。


「……大盤振る舞いだな」


「北陸が荒れることは誰も望んでおりませぬ。戦は終わりでございます」


 殿ならば銭で戦を買い叩いたと苦笑いを浮かべるかもしれぬな。だが、それでもよい。時を掛ければ掛けるほど因縁が再燃するこの地は、銭で買い叩くほうがよい。


「神保は畠山が納得させたようだが、勝興寺が黙っておるのか?」


「勝興寺と石山本願寺とは清洲で話をしております。恐らく兵を挙げることはないはず。万が一兵を挙げたら当家も戦いましょう」


 その言葉に居並ぶ長尾方の者らが絶句した。一向衆を封じるほどの外交を行うのは長尾では無理なのであろう。織田とて苦労をしておるのだ。


 さらに石山本願寺と誼のある織田が一向衆に兵を挙げるとは思うておらなんだということか。


「その言葉はまことか!?」


 長尾方から思わず出たその一言に、越後守殿が初めて不快そうな顔を露わとした。


「もっ、申し訳ない。貴殿を疑うたわけではないのだ」


 すぐに察した男が深々と頭を下げると周囲が少し重苦しくなる。


「思うところがあれば、はっきりとおっしゃっていただきたい。人は言葉に出さねば分からぬことも多い。要らぬ配慮で疑念が出るのだけは困る」


 越中一向衆を相手にする意味をあまり理解しておらぬ者が多い。これは越中一国のことではないのだ。


 東国の、いや日ノ本の今後に関わること。


 一揆にて国を広げるという事実を認めるわけにはいかぬのだ。



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