第2451話・尾張にて過去をおもう
Side:尾張の領民
休めと命じられて、その場に腰を下ろす。一日三度は休ませてもらえるし、昼には飯を食わせてくれる。尾張の賦役は今も変わらねえ。
何年も賦役をやっていると、働く奴らの多くは顔馴染みだ。近くにいた奴らと近頃あったことや巷の話をする。
「越中は酷い飢饉らしいぞ。食う物がなくて大荒れだとよ。あそこは一向衆が多いからなぁ」
ひとりの男の話に昔を思い出す。おらの村は本證寺というお寺様が治めていたが、そのお寺様がなくなる少し前のことだ。
満足に歩けない年老いたおっ母を残して一家で逃げた。お寺様は税の取り立てが厳しくてな。今思えば、織田様に対抗しようとしておられたんだろう。
あれから十年以上経つというのに、越中ではあの頃と同じなのか。
「どうかしたか? 越中に親戚でもいるのか?」
隣の奴がおらの顔色が悪いことを案じてくれた。
「いや、おらの故郷と似ていたから。三河だったんだ」
「ああ、あそこか……」
人伝に聞いた話では、おっ母は家族が逃げたという罪で本證寺の坊様たちに殺されたらしい。そんな坊様たちも織田様に成敗されて今はいねえがな。
おっ母が逃げろと逃がしてくれたおかげで、おらの家族は今もみんな無事だ。上の子は読み書きが得意とのことで、蟹江で織田様のご家中のお武家様の下で働いている。
もう逃げなくてもいいようにと織田様のお役に立ちたいと自ら願い出たんだ。
「困ったもんだよな。豊かになれば奪われる。おらたちはまっとうに働いているだけなのに……」
隣の男の言葉に皆が沈んだ様子になる。
もう二度と、あの頃には戻りたくねえ。そう思って守護様と織田の殿様の下で皆で豊かにしているってのに。
坊主も一向宗も二度と信じねえ。
「危ういのか?」
兵が必要ならおらも戦に行く。
「いや、戦はすぐに終わらせたらしい。ただ、飢えているそうでな。領内から食糧を分けてやるそうだ」
お寺様ですら奪うのに、織田様はいつも与えてばかりだ。おらなんかが案じていいことじゃないのは分かっているが、織田様は困っておられないかと案じてしまう。
「諸国から米や雑穀が売られてくるからなぁ」
隣の男の話に驚く。そうなのか?
「尾張には珍しい品や酒があるだろ? あれを買うために米を売るんだと。おかげでおらたちは飢えないって商人が言っていた。なんでも久遠様がそんな形を整えられたらしい」
それは良かった。死ぬのは怖くねえんだ。おらたちを助けてくれた尾張のためなら、おらは死んでもいい。
「ここの賦役が終われば、川の流れもよくなって大水が減るだろ」
そうだな。おらたちはおらたちの仕事をしないと。
ここは皆で助け合う国なんだ。おらも……。
Side:久遠一馬
今日は勝興寺の処遇について、寺社奉行の堀田さんと千秋さんと素案を議論している。
「当初の案の通り、謝罪と賠償で商いは再開して構わないと思います。高級品とか嗜好品は売っても困りませんしね」
こちらとしては本願寺にも勝興寺にも強気に出ているが、相応の謝罪と賠償があれば許す前提ではある。
現状で荷留のまま追い詰めて暴発させて力で潰したところで、彼らは織田の力に敗れたと思うだろうし信仰する一向衆もそう思うだろう。
こちらの狙いはあくまでも統治、内政で自滅してもらうことだ。
「勝興寺はこちらの狙いに気付くことはなかろうな」
「理解するところもあるが、一向衆はやり過ぎだ。あのまま残してはおけぬ」
堀田さんと千秋さんの表情が険しい。オレたちも織田家の皆さんも、誰も一向宗を潰そうなんて思っていない。
ただ、絶望する人たちを惑わすような言葉で、一揆に駆り立てるのは止めてもらわないといけない。
長尾、椎名、神保など、一向衆以外の勢力は飢饉対策をすることで合意している。今からすべてを救うのは難しいだろうが、それでも飢えない程度に食わせることで助かる人も多い。
一向衆以外が飢えから助かる中、勝興寺は寺領の人々をどうするのか。所領を維持する以上、責任を負って治めてもらわないといけない。
「越中領の寺社も守護使不入を求めないことでほぼ一致しておる。正式に廃するには、それこそ勝興寺あたりが文句を言うであろうから頃合いを見計らうことになるが……」
千秋さんの言葉に安堵する。越中織田領内にも一向宗の寺があるんだよね。ただ、神保と一向衆の蜂起に巻き込まれることを懸念した越中斎藤家が、一向宗の寺にも食糧を分け与えたことで彼らは織田に従う道を選んだ。
現状だと最善の判断だった。越中織田領の寺社は、今後検地と人口調査を得て状況を理解したあとに守護使不入や関所などを撤廃してくれるといい。
勝興寺は抗議以上のことは出来ないだろう。あとは統治で劣って困ったあとに頭を下げるか蜂起するか。
「それで構わないでしょう。末寺は助けて行かないと駄目ですしね」
北陸で一揆を起こした一向衆も、最初は自衛や理想のための蜂起だったのだろう。悪意あって国を乗っ取りここまで憎しみを広げたとは思わない。
朝廷も武士も領民も、みんなに責任があることだ。
ただ、それでも北陸に宗教の国を残してはおけない。後の世のためにも。
「では、細部はこれを基に考えるということで……」
「ええ、そうしましょう」
どうせ石山本願寺がちょうどいい和解案を持ってくる。こちらはそれに乗ればいいだけだ。十年以上もの間、商いで良好な関係を築いているんだ。そのくらいはしてもらわないと困る。
あとは長尾と神保と椎名の面目を相応に立つようにしてやれば、一向衆といえども軽々しく蜂起は出来なくなる。
ほんと景虎さんがこちらに従う意思を示してくれて助かった。あの人と越後を敵対勢力として考えると難易度が上がっちゃうからさ。
報告を聞く限り、益氏さんが上手く話したんだよね。景虎さんと。大将の孫四郎さんもよくやってくれている。あの難局に妻たちを出さなくても済んだのは織田家として大きな成長だ。
「内匠頭殿、越前はいかがなっておられる?」
少し考え込んでいると堀田さんに問われた。
「ええ、朝倉殿はこちらに合わせてくれるそうです。家中が少し厄介ですが、上手くやるでしょう」
オレとして想定外だったのは、斯波家と朝倉家を繋いでいるのがオレ個人だということか。宗滴さんが尾張に滞在して斯波家に頭を下げている現状もあり、だいぶ因縁は薄まりつつある。ただ、それでもオレが繋がないとなかなか上手くいかない。
若狭には細川晴元もいる。越前が反三国同盟となって一向衆に味方すると困るんだよね。敵は分断するに限る。
義景さんがこのまま対一向衆で歩調を合わせてくれると、正式に和解を取り持つことも出来る。
何度か会っているが、あの人も文治の人だ。今の世の中を理解しているし、オレと価値観が近い人でもある。
ほんと、宗滴さんが残した最後の一手は北陸の一向衆すら救うのかもしれない。
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