第2450話・初夏のこと

Side:久遠一馬


 梅雨は明けているはずだが、この日は雨が降っている。季節はもう夏だ。


 牧場の孤児院では子供たちが文字を書く練習をしたり、絵本を読んだりしている。今日はそんな子供たちと過ごしつつ、宗滴さんと話をしている。


「越中か、あそこも厄介な地でな。見事収めたものよ」


 最近は武士らしい顔をすることが珍しくなったが、少しだけ武士の威厳がある顔をしている。思うところがあるのだろうね。加賀一向衆には悩まされていたのだろうし。


「仮初のものですけどね。私から見てもあの地と加賀は一向衆が強すぎる」


 見事と言われると少し苦笑いが出てしまう。物量と外交で無理やり終わらせたと言う方が近い。どちらかというと力技だ。


「人々の心の支えとなる寺社は必要じゃ。されど……のう」


 そう。一向宗とて悪意を持って勢力を拡大したわけじゃない。それだけ世が荒れているという証でもあるんだと思う。


「関東と北陸。共に一筋縄ではいくまい。そなたの道には何故、こうも試練が多いのか」


 宗滴さん……。


 初めて会った時と比べると、明らかに細くなった自身の手を握りしめるようにして僅かに悔しさを滲ませている。


 見ているしか出来ない。一時代を築いた武士として、それは口惜しいのだろう。


「宗滴殿のおかげで多くの血が流れずに済みました。この道を貫いて見せますよ」


 ただ、越前朝倉家との誼を繋いだのは宗滴さんなんだ。加賀と越中の一向衆を勘違いさせないためにも朝倉家の協力は必要だった。織田家中でもその評価は高い。




 雨が少し収まったのでオレは病院に来ている。前古河公方である足利晴氏さんの見舞いだ。


 病室は個室でベッドと畳敷きの小上がりもある貴人用の特別室。ここ専用の看護師が隣の部屋に常駐していて、この時代では最高の医療環境といっても過言ではない。


「内匠頭殿か」


「いかがでございますか?」


 ご機嫌は悪くないらしい。椅子に座り外を眺めておられた。


「穏やかじゃ。穢れた我が身にはもったいないほどよ」


 穢れた……か。


「結構なことだと思いますよ。武士なのですから。穢れても守らねばならぬものがございます」


 後悔、もう少しやれたのではないのか。そんなものがある気がした。どうしようもなかったのだろう。それだけ足利家は難しい。


「ふふふ、そなたにもう少し早う会いたかったわ」


 一緒にいるエルと顔を見合わせる。この様子なら少し先のことを話してもいいかもしれない。


「関東は遠からず落ちます。越後の長尾殿がこちらと争う気がないと分かりましたので。関東管領殿がまだ残っておりますが、最後まで意地を張る御仁ではないはず」


 オレの言葉に少しだけ驚いた顔をしてこちらを見た。


 周知の事実とはいえ、オレがそれを口にするとは思わなかったのかもしれない。織田は所領は要らないと言っているし、それもまたひとつの事実だからね。


「わしはよき主君、よき親でなかったのかもしれぬな」


 晴氏さん……。古河公方家の内情はそこまで詳しくないが、当主がどこまで思うままにやれたかと考えると難しいのは理解している。


 たとえ義輝さんのように権勢を戻したとて一時のものだ。


「シンディから聞いております。御子息のことは出来る限り配慮を致します」


「すまぬな。そなたにはわしに配慮する義理などないというのに」


 冬からの報告で、病により少し気弱になっているというものがあったが、その通りなんだろうな。


「なるべく因縁は残したくありません。二度と乱世などにならぬように」


「くくくっ、氏康より先にそなたに会うておればなぁ。あやつにひとつ勝てたかもしれぬというのに……」


「それはそれで面白きことになったかもしれませんね」


 悔いるところはあれど、やれることはやったという自負もある。身分が違い過ぎて扱いが難しいが、あまりおひとりにしておかないほうがいいかもしれない。


「よろしければ病院内の者や他の患者にお声掛けをされてください。きっと面白き話が聞けるはずでございます」


 穏やかな余生を過ごしてほしい。先人として。関東の新たな時代を見るために。




Side:朝倉義景


「見事でございますな」


 孫九郎が唸るように言うのも無理はない。


 越中の斎藤が織田に降り、長尾と神保が争うなど騒がしくなった中、織田は一向衆を封じるべく動いた。


 能登畠山も我らも一向衆がこれ以上大きゅうなることを望んでおらぬとはいえ、上手くまとめて封じるのは難しきこと。わしには出来ぬかもしれぬ。宗滴ならば、あるいは……。


「長尾も織田とは争う気がない様子。関東で北条と争うておりましたので、もしやと思いましたが……」


 孫八郎は長尾に驚いたか。確かに関東管領を抱えて織田と争うてもおかしゅうないところだ。されど……勝てぬと見たのであろうな。越後は海路を止められると方々から恨まれる。


「殿、東国がまとまるのはもう避けられませぬ」


「然り、斯波家とはもう争えませぬ」


 立場の違いからか、反りが合わぬところもあるふたりだが、この件に関しては一致しておる。


「分かっておる」


 分かってはおるが、今は動けぬ。朝倉一族も越前の国人衆も、戦をせぬまま降るのは望んでおらぬからな。


 織田は国人衆にあまり重きを置いておらぬこともある。まして斯波家を裏切った我ら朝倉と国人衆が戦もせず降っては、厚遇されるはずがないと皆が思うておる。


「内匠頭殿とは話をしておる。越中が騒がしい最中、越前まで揺れては困るのだ。年寄りと武辺者どもが騒いでおるのは承知しておるが、捨て置け」


 威勢のいい者、昔のまま変わらぬ世だと思う者らは、未だに織田と争うべきだと言うておる。己で責を負う気がない者だ。


 戦をして己と一族は許されると甘い考えで世を乱そうとする。付き合いきれぬわ。尾張を中心に要らぬ家臣や国人衆を捨てておるというのに、いつまでわしが愚か者どもの面倒を見ねばならぬのだ。


 待つしかない。内匠頭殿は必ずや我らが降る時を作ってくれるはず。今は越中と加賀の一向衆の始末が先だ。以前から内匠頭殿は一向衆に懸念を持っていた。朝倉が降るには加賀と越中の一向衆の始末をせねばならぬはず。


 わしは宗滴の遺した土産たるこの機を生かすために朝倉家当主としてあらねばならぬ。


 決して愚か者どもの自負のためにではない。




※孫九郎:朝倉景紀


 孫八郎:朝倉景鏡



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