第2448話・静かなる流れ

Side:滝川益氏


 戦が終わったあとにやるべきことは、今までと変わらぬ。所領を定め、民を食わせる。


 ただ、それが難儀するのだが……。


 織田としては両属の村や係争地は放棄してもよい。されど、肝心の村がいずこに従いたいと願うかは別だ。戦の最中も流民を食わせておったと知ると多くの村は織田に従いたいと願う。


 とはいえ、長尾も椎名もそれでは納得致さぬ。そこは話して決めるしかない。


 肝心の長尾は八千という兵を徐々に越後に帰しつつある。勝興寺は越中の外れにあり、むしろ加賀に近く攻めるのに骨が折れる。同門の瑞泉寺は新たに長尾となるところと織田領に近いが、越後守殿は今のところ一向衆と本気で戦をする気はないらしい。


 残しておいても所領を荒らすだけだからな。長尾では数千の兵を食わせるだけの力はない。


「儀大夫殿……」


 わしは次々と入る知らせに悩まされておる。


「地力の差が出始めたな」


 織田領ではあれこれと騒ぐ前に働かせておる故、大きな騒ぎにはなっておらぬが、神保領も長尾領も椎名領も戦で荒らされた故、食う物がない。戦が終わった途端に飢え始めて近隣と争いを始めておるところすらある。


 食える織田領と食えぬその他。このままでは長尾との関わりも悪うなってしまう。さて、いかがするかと思案しておると、大将殿に呼ばれた。


「儀太夫殿、長尾方はいかがする? 飢え始めておる。このままでは戦となるぞ」


 用件は同じことらしい。あまりの暮らしの差に領境が不穏になりつつあるからな。


「向こうから食糧を融通してほしいと頼ませねばなりませぬ」


「やはりそうか。ならば、わしのほうから越後守殿に書状を出しておく。代わりに放生津の守りを頼むと言うてよいか?」


「はい、それならば構いませぬ」


 越中に来るまでは目立つ御仁ではなかったのだがな。織田のやり方を確と理解しておられる。しかも加減の上手いお方だ。現状でこちらから頭を下げろというのはあまりようない。なにかしら長尾の顔を立てる名目がいると思うていたところだ。


「神保にも助けを送らねばなるまいな」


「そちらは畠山を通して頼むことになるはず」


 おそらく清洲ではもう動いておろう。戦が終わる前に話は付けておるはず。あとは畠山からの使者が到着すれば、神保にも食糧を送れる。


「あとは一向衆か」


「そちらは某にもなんとも……、自力で助けるというならばそれでよいことでございます」


 すでに越中織田領内にある一向宗の寺からは助けを求める声が出始めている。勝興寺ではなく織田に従うので、引き続き食糧を融通してほしいというところも少なくない。


 越中斎藤家が領内の寺社にも等しく助けを出していたからな。それを続けて欲しいという声は多い。


「勝興寺が兵を挙げたらいかがする?」


「無論、戦うまで。長尾も兵を出しましょう。野戦は長尾に任せてもいいかもしれませぬ。さすれば長尾の面目も立ちまする。いっそのこと神保も出陣をさせてしまえば越中は落ち着くことになりましょう」


「なるほど。とすると勝興寺は動かぬな」


 動かぬとわしも思う。越後守殿はあわよくばこのまま一向衆が動くことを狙ったのかもしれぬが、そこまで愚かではあるまい。


「そういえば一向衆に加担して、こちらの村を荒らした両属の村に人が戻ったそうだぞ」


 戻ったのか? 戻れば罪人として捕えねばならぬというのに。素知らぬふりをして流民にでもまぎれたら見逃してやれたものを。


 理由があれど、一揆に加担した者は罪人だ。まったく、困ったことをしてくれた。




Side:久遠一馬


 義統さん、信秀さん、義信君、信長さんとオレとエルたちでお茶をしている。恒例となりつつある時間だ。


 今日はちょうどいい天気なので、庭に出てアフタヌーンティーとしゃれこんでいる。


「本願寺の使者は慌てて戻ったか。事態を甘く見ておったらしいな」


「守護様のお怒りが確と伝わったのでしょう」


 義統さんの言葉にオレが答えると、同席する皆さんが少し笑みをこぼした。


 信秀さんが会ったあと、石山本願寺の使者は義統さんとも会っている。当然、厳しい言葉で突き放した。


 先日の勝興寺の使者と今回の石山本願寺の使者に対して、義統さんが直に会ったことは、義統さん本人が望んだことだ。いい加減、毎回のように敵対した者たちに味方だと思われるのが不快で仕方なかったらしい。


 信秀さんとオレたちも、それがいつか斯波家と織田家の確執として家中や領内でおかしな噂になることを懸念してもいた。


 義統さんを出さないのは別にオレたちが止めていたわけではない。身分とか責任問題とか情勢次第では厄介なことになるから動かなかっただけだ。


 とはいえ、当人が望まれるならオレたちも止める必要はない。


「本願寺は寺社と武家の間のような者たち。それ故に、当人たちも悩んでいることでしょう」


 エルの言葉に緩んだ空気が引き締まった。


 妻帯を認めていて親子で地位を世襲している本願寺とその系列は、寺社を名乗りつつ武家のような権力継承体制を整えている。


 本願寺が門跡寺院となったことで、トップを院家として一族を一家衆とする。門跡寺院の権威と一族の血により各地の寺を従える。なんというか、俗世にまみれた体制で勢力が拡大してしまった。


 三河本證寺のように、本願寺の使者まで殺めるとかやらかさない限りは見捨てるのも難しいだろう。当然、勝興寺はそんな愚かなことはしないはずだ。


 本願寺上層部は今のところ三国同盟と争う気なんてない。シルバーンからの報告でもそうなっている。思うところはあるようだが、勝ち目がない一揆で得るものはない。


 まして勝敗が決まったあとに今までと同じように遇されるかと言われると、今の織田家だとそれはあり得ないと彼らも理解している。


 ただ、そこまで理解して割り切って考えられるのは、ごく一部だけだということだ。


 寺社が有史以来積み上げた利権を取り上げられ、武士に生殺与奪の権利を握られることに喜ぶ者は多くはない。


 世の中の多くは自分たちの味方だ。そう考える寺社の関係者は織田領以外の寺社では今でも多数派だろう。


「加賀を己が国としたのだ。此度も己で始末をつけよう」


 信秀さんも、この件で必要以上に本願寺に配慮はしないらしいね。友好関係は続けるし商いも変えないが、越中一向衆相手に配慮をしてやる義理はない。


 これは別にオレたちだけじゃないんだよね。斯波や織田以外でも加賀を乗っ取ったことで一向衆に対しては見る目が違う。


 東国が変わろうとしている時に寺社はどうするのか。長年、織田と誼を深めている本願寺ですら、その現実を突きつけられている。


 デリケートな話だが、どうするか決めるのは本願寺なんだよね。




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