第2444話・夏を前に

Side:近衛稙家


 足利も変わったの。大樹と共に朽木におった頃とは明らかに違う政をしておる。


 無論、それは致し方ないことじゃ。歴代の将軍を支えていた形はすでに崩れ、京の都を追われておったあの頃と同じように出来るものではない。


 古くから続く権威を用いて守護や諸勢力を束ねることが悪いとは思わぬが、それで上手くいかなんだのも事実。


 特に大樹は寺社を厚遇しておらぬ。菊丸として世を知ったことで寺社の本性に気付いたのであろう。少なくとも今以上に厚遇して力を与える気はまったくない。


 あやつは内匠頭の見ておる次の世のため、そのためだけに将軍として残っておるのだと分かる。


 そんな折、熊野からの使者が参った。


「よう決めたの」


 織田の治世に従うことも厭わず。熊野三山は、ようやくその覚悟を固めたらしい。あれだけ厚遇されていた神宮を誰も助けぬことで、尾張と争う愚を悟ったと見える。


 吾としても、織田に頭を下げて教えを請い、共に利となることを恐れずに取り組めと叱咤しておいたのじゃが……。


 久遠の真髄は武家というより寺社に近い。優れた者が多いが故に勘違いされるが、それに惑わされると道を誤る。内匠頭がおらぬようになろうとも、寺社のように知恵と技を受け継ぎ、相応に生きていくであろう。


 改めて思うが、日ノ本はいささか寺社が増え過ぎた。支える民に応じて増えるならばよいが、民が苦しむほど寺社が増え、寺社同士で争うなど本末転倒じゃ。


 実のところ、この件は古くから懸念としてあったことじゃ。今ではあまりやらなくなった強訴なども昔は多かった。武士が世を動かすようになり大人しゅうなりつつあるがな。


 熊野の使者には、くれぐれも尾張を怒らせるような真似をするなと念を押して帰した。


「熊野の動きが神宮を動かすとよいのじゃがの……」


 織田にとっても北畠にとっても、神宮をいつまでもあのままにしておけまい。かというて朝廷の祖を祀るだけに潰すわけにもいかぬ。


 やはり、寺社は弾正と内匠頭がおるうちに身綺麗に致さねばなるまいな。


 世の安寧を祈り、世のためにあるべき寺社に戻らねば滅ぶことになりかねぬぞ。


 ともあれ、熊野が落ち着くと内匠頭としても少しは懸念が減ろう。西から来る船は熊野の領海を通るからの。あの地が敵となり荒れると困るはず。


 吾としては、このくらいしかしてやれぬがな。




Side:久遠一馬


 すずとチェリーが赤ちゃんを産んだことでウチはお祭り騒ぎだ。とはいえ、仕事も待ってくれないんだよなぁ。


 まず越中だ。


 織田領に来た流民は多く、中には故郷に戻りたいと願う人もいる。ただし、現実的に考えて戻れる人は僅かしかいない。むしろ、今後も流民は増えることになるだろう。


 神保と一向衆の領地の多くでは秋の米の収穫が期待出来ず、次の収穫は来年の春の麦だというのだから、なにかしらの手を打たないと飢え死にする人が増えるだけだ。


 無論、神保と越中一向衆にこちらから無償で手を差し伸べるなんてことは出来ない。この時代では人命よりも一部の家や寺社の面目のほうが重んじられるんだ。下手すると助けて恨まれることだってあり得る。


「西南大蝦夷港から食糧を送るように船を出しました。ただ、尾張と美濃からも引き続き食糧を送る必要があるでしょう」


 エルの報告に、これで一息つければいいと期待するが……。


 日本海側へウチの船が入港するのは奥羽領を除くと初めてのことだ。そこまで親しい勢力もなかったし必要もなかったことで、今までは日本海側は使っていなかったんだよね。


 寄港地に関しては越中で長尾がこちらに渡すと約束したところか、能登畠山の湊を予定している。すでに義統さんと能登畠山と血縁がある六角義賢さんに頼んで協力を要請してある。


 まあ、情勢が変化しても、景虎さんの様子から察するに越後の湊が使えると思うので困ることはないだろう。ただ、越後から越中には街道の難所があり物資輸送に向かないから出来れば越中の湊が使いたいんだが。


「北の湊に当家の船が入る。北陸の者らがいかに受け止めるか、気になりまするな」


 ここで最大の懸念を口にしたのは、太田さんだった。


 恵比寿船は戦略兵器だからなぁ。荷を運ぶ大型の大鯨船となると見た目からして威圧感もある。


 とはいえ、織田領の食料も限界がある。大蝦夷、大陸からも運べる分は運びたい。


「今は加賀一向衆を巻き込んだ大乱とならなかっただけでよかろう」


 資清さんの言う通りだ。それだけはなんとしても阻止しなくてはならないと近隣や関係する諸勢力とは外交で積極的に動いていた。


 中でも宗滴さんが紡いだ朝倉家と久遠家の縁は、足利政権としても斯波家や織田家としても重要な繋がりとなりつつある。


 ほんと、あそこが反尾張になると困るんだ。おかげで加賀一向衆の包囲網と言えるくらいには抑え込むことが出来ている。


「殿、関東でございますが……」


 次は望月さんから関東の報告だ。


「北条はよいのでございますが、他は芳しくありませぬ」


 ほんと北条とそれに従う国人衆はよくやっている。事前の報告では北条方の国人衆は不満が燻っていたことからあまり期待出来ないと思われたが、不満はあっても備蓄はしてくれていた。


 実のところ、その辺りは一概に言えないことがいくつもある。関東で歴史の浅い北条家が大きな顔をすることに不満を抱える勢力は今も多い。ただ、北条と争い勝てると思えないことや、足利政権や織田家との良好な関係を喜ぶ人も相応にいる。


 史実のように長尾が上杉と共に関東で大暴れしていれば、また違ったのだろうけど。関東諸将も長尾にあまり期待していない。


「安房の里見が関東管領殿にしきりに関東への出陣を促しているとか……」


「らしいね。あそこはもう上杉が北条を叩いて関東に戻る以外に道がないから」


 関東で孤立している里見は、偶然にも史実と同じく長尾の関東遠征を望んでいる。里見としては北条を叩いて関東に上杉が戻らない限りは、織田の経済制裁でどうしようもならないからだろう。


 上杉もそこまで里見の味方をしているわけではないが、他があからさまに避けることで唯一の理解者のように見えるのかもしれない。


 長尾の関東遠征はないだろうね。景虎さんは越中を落ち着かせないと駄目だし、上杉にしても、当主の憲政さんはそこまで北条を憎んでなにがなんでもという様子でもない。


 関東も助けてやりたいが、助けを求めてもいない相手に一方的に助けると侮辱したとか言われる時代だからなぁ。


 なかなか難しい。


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