第2442話・地獄の夜更け

Side:神保長職


 家臣らがいかに動こうとも、わしはこの城を出ねばならぬ。織田もいつまでも待っておるまい。己の荷をまとめるために寝所に入る。


 近習らは一言も発せず、ただ悲壮な顔をしておる。その顔に苛立ちが募る。なにも言えぬのは理解するが、左様な態度でいるならば迷惑だ。


 わしの心情も察せぬ愚か者どもが。


「ここはよい。そなたらも荷をまとめよ」


「……はっ」


 顔も見たくない近習を下げると、ひとりになった。


「くっ……長尾め……」


 近習らの様子もあってか、抑えていた怒りや苛立ちが一挙に溢れだす。戦に負けたのはわしの不徳だが、それでも長尾は許せぬ!


 八つ裂きにしてやりたい!!


「畠山も許せぬ!」


 思えば畠山のせいで越中は荒れたのではあるまいか? 


 にもかかわらず、守るのは己の面目ばかりか? そもそも畠山は守護家であるが当代は守護の役目に就いておらぬ! それなのに己の面目ばかり気にして守護の如く振る舞う気か! 好き勝手して己が国のように振る舞う一向衆を見て見ぬふりする臆病者がぁぁ!!


「一向衆! 奴らこそ国を乱す元凶! にもかかわらず民を惑わし世を乱しておるというのに、何故、捨て置くのだ!!」


 自害するか? かような屈辱を受けて生きながらえてなんとする? いや、自害すれば長尾と畠山が利するだけだ。


 奴らを地獄に落とすまでは死んでも死に切れぬ。


「はあ……はあ……はあ……」


 此度のことでよう分かった。ここは大人しゅう退くが、いずこも信じるに値せぬ。必ずや、長尾も畠山も一向衆も潰してくれる。必ずや……。




Side:斎藤孫四郎


 日が暮れる頃、明日の朝には降伏すると告げる使者が増山城から下りてきた。


 まだ油断出来ぬが、騙し討ちはするまい。戦は終わりだな。


「戦に勝ったというのにあまり喜ぶ気になれぬな」


 思わず呟いた一言に、居並ぶ武官衆も文官衆も同意すると言わんばかりになんとも言えぬ顔をしておる。


 此度は長尾が勝者となり神保が敗者となった。それだけのことだ。織田が捨て置けば数年のうちにまた戦を始めるだろう。


 どちらかが滅ぶようなことは滅多にない。家を残すための知恵なのかもしれぬが、その知恵が世を乱しておるのだ。


 これは口が裂けても言えぬが、武士などおらぬほうが世のためなのではあるまいか?


 まあ、それは朝廷も寺社も同じか。唐では世を乱す皇帝を討つことがいにしえからあるという。


 日ノ本も一度、名のある者らが滅んだほうがよいのではないかと考えてしまう。


 少し考え過ぎか。わしも疲れておるのやもしれぬな。


「今宵は気を緩めるなよ。神保も長尾もなにをするか分からぬ」


「はっ」


 念には念を入れねばな。人は愚かなものだ。気を緩めた途端に、長尾と神保の双方から攻められたとておかしゅうない。




Side:直江実綱(景綱)


 主立った者が下がったあと、殿とわしだけになった。


 味方の陣も今宵は静かで、勝ち戦でこれほど静かな夜は珍しいかもしれぬ。


 勝ち戦のはずが、勝ち戦ではない。かというて負け戦でもない。織田の強さを見せつけられた戦のまま終わってしまう。


「殿、これでよろしかったでございましょうか?」


「……分からぬ。されど、争うた先で待つものに満足出来る者など越後者にはおるまい」


 我らは所詮、米の余り採れぬ越後で生きる者。世のことを考えること自体、おこがましいのかもしれぬな。


 下剋上の長尾とそしられ、ご自身も兄と比べられ戦上手ということで担がれ今に至る。そのお心はわしにも分からぬところが多いが、今でも長尾家当主という座をあまり喜んでおられぬのかもしれぬな。


 誰もが当主となり一国の主となりたいわけではない。勝手極まりない者らに嫌気が差してしまう者もおって当然だ。


「すべては天命なのかもしれませぬな」


 越後者である我らがやれるのは、せいぜい近隣との戦に勝つことだけ。


 昨年、近江にて公方様の新しき御所と御台様をお迎えする婚礼を見た時、我らは悟った。戦ばかりではなにひとつ解決せぬのだと。


 致し方ない。その一言に尽きような。




Side:勝興寺(越中一向宗)


 長尾勢も荒らし尽くしたのか少し大人しゅうなったと聞き及び、商人に織田領に商いに行かせたが、商いを禁じられたと慌てて戻りて参った。


「……いかなることだ?」


「それが……」


 一向衆が織田領を荒らしたことで織田は商いを禁じると言うたとか。


「端の者のやったことであろう?」


「織田は神保と我らが謀ったと疑いをもっておるようだ。もしかすると織田か長尾が謀ったのかもしれぬ。織田はすでに長尾の求めに応じるとして増山城へ挙兵したらしいからな」


 急遽、主立った者で集まり話をすることになるが、まさかと思う話に皆が戸惑うておる。


「面倒な。尾張の守護代風情が増長しておるという話はまことのようだな」


「謝罪の使者を出さねばなるまい。銭でも欲しいのだろう。尾張は寺社を寺社とも思わぬ無法者」


 あちらこちらから不満が聞かれる。それだけこちらは身に覚えのないことなのだ。石山が煩いこともあり下手に出ておったというのに。ただ難癖をつけておるだけであろう。雑兵が勝手なことをするなど珍しゅうない。


 長尾の勝ちが揺るがぬことで織田か長尾のいずれかが動き出したか? これだから下賤な武士は嫌なのだ。


「石山も甘いわ。武士を付け上がらせていかがするというのだ」


「そうは言うが、現状では一揆など出来ぬぞ。長尾に手酷くやられたからな。それもあって織田が強気に出ておるのだろう。もとより寺社を叩くのが好きらしいからな」


 いかにするかと皆で話し合うが、今の我らには織田と争うだけの余力がない。


「住持殿の奥方は若狭管領の娘だからな。もとより斯波と織田は我らを味方とは思うておらなんだのであろう」


「形ばかりの使者を出して謝罪を済ませればよかろう。尾張との商いが出来ぬのは少々困るが、奴らに必要以上に屈せずとも生きていける。あとは時世を見極めればよい」


 ここ北陸はもとより尾張に屈せず生きておる地。あまり上手くいっておらぬが加賀も同門だ。さらに畠山も長尾も越前朝倉も織田に屈することを望むまい。


 争いを悪化させれば石山が煩かろうが、形だけでも謝罪をしておけば言い訳にはなる。商いがいかになるか知らぬが、織田が駄目でも畿内から海路で来る船で必要な品を手に入れることは出来る。


 ひとまずは様子を見るしかあるまい。


 いつか仏罰が下るはずだ。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る