第2439話・増山城攻め

Side:滝川益氏


 夜明けだ。東から昇るお天道様に手を合わせる。


 久遠家では戦は人の知恵と技で挑む故、神仏の力など借りぬが、皆が無事に戻ってほしいと祈るのは変わらぬ。


 今日も雨が降りそうもない空に安堵する。この季節は雨が多いが、ここ二日ほど雨が降っておらぬ。鉄砲や焙烙玉を使うには、ちょうどよい戦日和だな。


 後方に設けた陣の中では十のゲルで玉薬の調合を着陣してすぐに始めておる。


 山城攻めの難点は恐ろしいほどの玉薬を必要とすることか。焙烙玉だけでも二千五百はつくらねばならぬ。この玉薬を作るのがまた難しいからな。


 武官衆は昨日のうちに地元の者を呼んで、増山城と近隣の様子を聞き出しておる。それほど難しきことをする必要はないが、いかほどの敵がおるかということや城への山道はいかになっておるかなど知っておくべきことは多い。


 味方を隅から隅まで見て回り、すべての支度が整ったことを確かめたのちに本陣に入ると諸将が揃っていた。


 皆、よい顔をしておる。


「さて、それでは攻めるか。武官衆、すべて任せる」


「はっ!!」


 大将殿は気負うことなく命を下した。武官衆では常日頃から城攻めについて皆で考え切磋琢磨しておるからな。わしとて細かいことを口出しすることはない。


 山城は山の形に合わせるように作られておる故、その山によって違いもあるが、鉄砲や焙烙玉を使うと離れたところから相手を叩けるのであまり意味がない。


「あの様子では二日もかからぬかもしれませぬな」


 本陣におる文官の言葉に大将殿が少し考える仕草をした。


「落とすだけならばかかるまい。こちらの攻めを見せたところで降伏を促す。そのための時が必要だ。人は愚かだからな。決断するにも悩む時がいる。まして己一人で決められる者などあの城におるまい」


 これから戦う敵だというのに、大将殿も文官衆も憎むどころか哀れに思うておるのかもしれぬな。




Side:直江実綱(景綱)


 あの城を二日か。まことに二日で落とせるのかと疑う者が味方には多い。砥石城のことは聞き及んでおるが、増山城の様子を見ると落とせるとは思えぬのだろう。そもそも織田の戦は聞いた限りだと信じられぬところもあるのだ。


 無論、嘘をついておるとは言わぬが、鉄砲やら金色砲にて槍の届くところに近寄ることすら出来ぬと言われても、見た者でなくば己ならばそうはならぬと思う者が少なからずいる。


「申し上げます! 織田より城攻めを始めるとのことでございます!」


 そうか、いよいよか。わしは急ぎ殿の下に向かう。


 そういえば織田からは馬を確と繋いでおき、暴れぬように小者を付けておけと言われておる。それほど違うと言うのか? 大きな音がするとは聞いておるが……。


 殿は本陣から増山城を静かに見ておられた。


「始まったな」


 城の麓から鉄砲の音が聞こえたが……。続けて鉄砲より大きな音が響くように聞こえた。


「金色砲でございましょうか?」


 分からぬ。手数てかずが恐ろしいほど多いというのは聞き及んでおるが、織田はあまり戦をせぬこともあってその内情が伝わって来ぬのだ。


 殿は黙して語らずか。そのまま城より聞こえる音のみが響く、なんとも異様な戦が続く。


「あれではただの的だな。槍が届かぬ戦をされては我らに勝ち目はない」


 ようやく口を開かれた殿だが、そのお言葉は寂しさのようなものが感じられる。怒りや恐れではない。


 皆、必死に生きて戦う。それが今の世のはず。いや、古くから同じなのかもしれぬ。力ある者が争いを禁じたところで一時のこと。誰しも弱い者を従え、大きゅうなることで生きていく。


 織田の動きは左様な世の流れに逆らうもの。


「殿、織田もいずれ綻びが生じるのではございませぬか?」


 本陣には殿と重臣らしかおらぬ。故に、今一度、確と問うておかねばならぬ。先日からのことがいずこまで本心なのかを。


「かもしれぬな。されど、今の世が終わるほうが先であろう。やがて戦を知らぬ者らが戦を望む世がくれば……あるいは……」


 殿……。戦はお嫌いではないはず。だが、自ら望んで戦を始めるお方でもない。もしかすると尾張の武芸大会のように武勇ある者が競い、力の限りを尽くす場を眺めておられるほうがお好きなのかもしれぬ。


 あれから幾度、大きな音が聞こえたであろうか? 絶え間なくあのような音が出る飛び道具で攻められては神保とて心が折れてしまうであろうな。


 見ておるだけの我らでさえ……。




Side:織田家の黒鍬隊


 城から鉄砲を撃つ音が聞こえ、程なくして焙烙玉を使う音が聞こえ始めた。


「始まったな」


 おらたちは皆で焙烙玉の入った籠を前の奴に渡すのが役目だ。城が落ちるまで、前に出ていった者たちのために焙烙玉を運ぶ。


 昔は粗末な槍を持たされて前に出て戦えと言われたもんだがなぁ。ちょうど近くで見ている長尾の奴らみたいに。


 そういや、奴らは昔の戦のままだったことに皆で驚いていた。余所の戦は変わらないと聞いてはいたが、これほど違うものか? 戦にならねえだろ。織田様は敵を近づける戦なんかしねえんだ。


「神保だっけか? 誰か知らねえが、運がねえなぁ」


 一緒に運ぶ奴が城を見上げて呟いた。鉄砲や焙烙玉を使う様子は鍛練で何度か見たことがあるが、あれだと勝てねえだろ。まして山城だと人が歩けるところが限られている。


 山道の近辺を狙えばいいだけだから、焙烙玉隊の奴らはむしろ狙うのが楽だと言っていたくらいだ。


 その時だった。長尾方の陣が騒がしくなった。おらたちはまさかと思いつつ長尾方のほうを見る。長尾が裏切ったらこの焙烙玉を奴らにくらわしてやる。


「あーあ、馬を逃がした奴がいるな。怒られるぞ」


 引く者も乗る者もいない馬が駆けているのを見て安堵した。馬は臆病だからな。鉄砲や焙烙玉の音に慣れないと暴れて逃げるんだ。


 すぐに馬の後を小者や雑兵が後を追っている。


 おっと、おらたちは焙烙玉を運ばねえと。早く尾張に帰って賦役をしたいなぁ。この国にいると嫌なことを思い出すんだ。


 尾張に来る前、苦しくなんの楽しみもねえ生まれ故郷での日々。暮らしていくだけで精一杯だった頃のこと。頼もしくて、おらのこと面倒を見てくれていた兄が戦に行くと言って帰ってこなかったこと。いいことはひとつもねえ。


 おらはもう嫌だ。面目だのなんだのと、すぐに荒事ばっかりしていたかつての日々には戻りたくねえ。


 この焙烙玉で、そんな戦をする奴らを皆、討ち取ってしまえばいいのに。



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