第2437話・地獄の越中・その二

Side:神保長職


 籠城からひと月、こちらは兵糧があと幾日持つかと怯える日々。領内は荒らし尽くされ、秋の収穫すら諦めざるを得ぬというほど。


 一向宗の所領も同じく荒らされたと聞き及ぶが、長尾は一向宗の寺よりわしを討たんと城を包囲したままだ。


 長尾景虎。少なくとも戦下手ではなかったな。野戦での大勝のあとも籠城する我が城を包囲したまま領内を荒らしておるのだ。城から討って出るのを待っておるのであろう。堅城を攻めるは愚策だ。


 遊佐と能登畠山には助けを請う使者を送ったが、あの数の長尾相手に後詰めを出すとすればもうしばらく時が掛かる。後詰めを出してくれればな。野戦で大敗したわしをいずこも愚か者と謗っておろう。


 そんな折、長尾方から使者が来た。降伏の使者かと苛立ちつつ迎えるが……。使者の身分と口上を聞いて居並ぶ家臣らの顔が青ざめたのが分かる。


「降伏し速やかに謝罪と賠償を求めまする。さもなくば、我らは守護代である長尾越後守殿の求めに応じて兵を挙げることとなりましょう」


「まてまて! 我らは斎藤に手を出してなどおらぬ!!」


「左様だ! 事実無根! 言いがかりをつけて越中を己がものとする気か!!」


 じっとこちらを見据える使者に我に返った家臣らが騒ぐ。この……愚か者どもが……。


「黙れ!!」


 わしの一喝で家臣らは静まり返った。ひと月も籠城した末のこと故、疑うのは仕方ない。されど、相手は大国、織田の使者なのだぞ?


「ご使者殿、家臣が無礼を申しました。我らの兵が斎藤方を荒らしたという確たる証はあるのか?」


「両属の村より内だった村がいくつか襲われておる。お疑いとあらば、そちらで現地に出向き確かめるとよろしかろう。神保殿が組んだ一向衆が一揆に従わねば許さぬと有無を言わさずこちらに手を出してございます」


 一向衆……。あの愚か者どもがぁぁぁ!! 役に立たぬばかりか足を引っ張るのか!! 仏の名を騙る蛮族そのものではないか!!!


 いっ、いかん。わしが取り乱してはならぬ。それこそ長尾と織田に皆殺しにされる。


「確かにわしは一向衆と共に兵を挙げた。されど、あの者らはわしが差配したわけではない」


「お言葉を返すようで恐縮でございますが、それを証立てするなにかがございましょうか? 戦に敗れた故に籠城しておりまするが、長尾に勝ち椎名を討ったあとはこちらも狙うつもりだったのではございませぬか?」


 今の織田に狙うて手を出す愚か者がおるか! とはいえ、左様な言い訳で納得するわけもないか……。


「荒らしたのは長尾方とて同じであろう? 長尾に味方する理由がいずこにあるのだ?」


「いえ、荒らしておるのは一向衆と神保殿の所領からの流民のみ。越後と椎名の兵は両属の村すら近寄りませぬ。さらに越後守殿からは流民が押し寄せておる件の詫びを戦後にするとの確約もございます」


 はっ……はっ……謀られ……た。


 長尾は端から織田を味方にするつもりだったのだ。己の武勇は十分示し、そのうえで堅城と名高い増山城を織田に譲ることで畠山に斯波をぶつけるつもりなのだ。


 長尾は所詮、越中では余所者。さらに下剋上ばかりしておる家だ。畠山とて信じられず仲裁すると己が不利となることを考えておったのであろう。


 いかがする? ここで降るか? 


 出来るわけがない。わしが籠城しておることで領内は荒らされたのだ。せめて意地を通さねば領内の者にわしが殺される。


 いかがする! いかにしろというのだぁぁ!!




Side:勝興寺(越中一向宗)


「神保は粘るの」


 酒をあおった男の言葉に笑い声が響いた。


「もう少し使える男だと思うたのだが……。長尾如きにいいようにやられるとは」


「あの愚か者のせいで領内まで荒らされたではないか。まったく……武士という輩は……」


 戦なのだ。勝つことも負けることもあろう。負けた時のことを考えず、いざ負けると臆病風に吹かれて籠城したまま怯えておるとは情けない。


「領内から随分と人が逃亡したようだが?」


「構うまい。人が減ったほうが飢える者は少なくなる。民というのは勝手に増える。己が食い扶持を考えず子を設けるからな。獣と同じだ」


「守るべきは信仰なのだ。民が増えようが減ろうが知ったことか」


 越中において戦など珍しゅうない。勝手にやればいい。此度は飢饉故、人減らしのために神保を助けてやったが、その恩を仇で返しおって。


「神保と長尾はいかようでもよい。斎藤はとうとう織田に降ったか」


「あそこは数年前から似たようなものだろう。斯波も織田も手を出さぬ限りは口を出さぬ。勝手にやればいい。三河の愚か者と我らは違う」


 織田か、海沿いを得ておらぬのが幸いと言えような。飛騨と接する要所を押さえておるとはいえ、北陸は雪深い。海がなければ自慢の南蛮船とやらも使えまい。


 石山の本山からも織田とだけは騒ぎを起こすなと煩いくらい書状が届く。石山の奴らめ。我らをそこらの愚か者と同じと思うておるのか? 誰が手を出すか。


「長尾のせいで織田領に商人が出向けぬ故、能登からしか必要な品が買えぬ。まったくあの下剋上の謀叛人が」


「仕方なかろう。貧しき盗人だ。関東で北条に勝てぬ故、鉾先をこちらに変えたのであろう。確かに北条よりは神保のほうが御しやすい。畠山も畿内も落ち目だからな」


 東国、とりわけ尾張から東は織田で決まりであろう。あやつらは本来、寺社が担う商いを奪いおった。寺社が商いで負けたというべきか。


 東国では京の都より尾張にのぼるという。それは寺社とて例外ではない。


 ただの武辺者ならば、いずれ戦に敗れ諸勢力が見限るが、織田は戦から商いに戦場を変えた。つまり、寺社のように末永く奴らの世は続くはず。


 織田……、いや久遠の商いは、少なくとも日ノ本外にいけぬ寺社が勝てる相手ではない。


 さらに織田のためならば死を覚悟する民が山ほどおるという。あれは武家ではない。坊主より坊主らしい寺社だ。奴らの戦は一揆よりも恐ろしいものとなろう。


「あまりやり過ぎると織田の怒りに触れるぞ」


「構うまい。我らはもう手を引いた。あとは神保も椎名も長尾も知らぬ」


 織田の厄介なところは所領を召し上げることか。とはいえ、寺社が食えるようにしておる。今までの形といずれがいいのか。


 斎藤め、織田に降る前に挨拶の使者を寄越せばよかったものを。さすれば神保などと組まずに、神保と椎名の争いを口実に織田から銭と米を得ることも出来たのだ。


 まあ、よい。我らは恨まれぬように当分大人しゅうしておればよい。



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