第2434話・軍神と儀太夫
Side:織田信秀
伝書鳩から遅れて書状が届いたが、その内容に思わず笑みを見せてしもうたかもしれぬ。
「そなたの弟は、なかなかよき決断をしたな」
越中に行った弟たちを案じていた斎藤新九郎を呼び、書状を見せると驚いておる。
「戦に勝ち勢いがある越後守殿に領境まで出向かせるとは……。長尾方は勝ち戦故、今更織田が出て行くことに不満もございましょう。話が拗れるのでは?」
「拗れても構わぬ。孫四郎が狙うたのかは分からぬが、ちょうどよい揺さぶりだ。あとは儀太夫に任せる」
当たり障りのない男と聞いていたが、この決断だけで功としてもよい。一馬たちが教えておったことをよう学んだと分かる。
「内匠頭殿が気に掛ける男でございますからな。越後守殿は」
「一馬は慎重だからな。されど、すでに手遅れだ。あの男がわしや一馬を超える男であっても、越後一国の守護代家でしかないあ奴に出来ることといえば、関東と北陸を数年地獄とするくらいであろう」
今までにも戦にて世を動かそうとした男は幾人もおるが、多くは志半ばで終わった。わしが及ばぬ男も幾人もおったであろう。それを超えるには才覚以上のなにかがいる。そう、天が求めるでもない限りは無理なのだ。
それに……、一馬らと築き上げた織田は、英傑のひとりやふたり現れたところで揺るがぬ。一馬らがおらなくても治められる国、それが織田の目指すもの。越後守がいかに優れていようと、あとが続かぬ者に敗れるほど容易くないわ。
「大殿や父上が苦難を重ねても戦では限りがございましたからな」
新九郎の言葉に昔を思い出す。越後守も懸命に生きておるのであろう。かつての我らのように。あやつは一馬と会わなんだわしや山城守の姿かもしれぬ。
「致し方ないところもあるが、上野で無駄な月日を使い過ぎたな。もっとも、あれは長尾よりは上杉の責だが」
わしの若かりし頃もそうであったな。守護代であった大和守家と伊勢守家がおり、わしは戦奉行のようなもの。いくら戦に強かろうと上の者らが半端故に上手くいかぬ。
わしが越後守ならば信濃にウルザとヒルザが入った頃には、北条と和睦を考える。越後守も考えておったのかもしれぬが。上杉家臣らは認めまい。
もしかすると越中での戦は、越後守にとって最初で最後の本気の戦になるのやもしれぬな。
Side:直江実綱(景綱)
織田は動くのであろうか? この件、こちらから頭を下げたものの、織田に動くだけの利があるのかと言われるとなんとも言えぬ。わしが織田ならば動かぬ。散々勝手に争いをしておいて、その始末を終えぬうちに助けろと言われてもな。
そんな折、織田方から使者が参った。
「殿に領境まで出向けとは、なんたる無礼!」
「こちらが下手に出たことで付け上がったのではないのか!?」
口々に出る不満は織田というより思うままに戦えぬ現状への不満であろうな。されど……。
「ふふふ、面白うなってきたな」
殿はこの知らせを待っていたと言わんばかりにご機嫌だ。織田方で出てくるのが滝川儀太夫だということもあろう。殿は越中入りをして以降、その者のことを幾度か気に掛けておられたからな。
「殿!」
「わしは知りたいのだ。仏の弾正忠と久遠が越中をいかに見て、いかにしようというのかをな。皆のおかげでようやく知ることが出来る」
いつ以来であろうか? かように楽しげな殿の姿は。あまりにご機嫌な様子で楽しげな殿に、怒りを露わとしておった皆が呆気に取られておるわ。
「かの者らは、連綿と続く争いの世を僅か十年足らずで変えたのだ。わしの勝てる相手ではない。同じ世を生きられることに感謝せねばならぬ相手」
裏切りと寝返り、面目と意地。勝手ばかりの者らに嫌気が差したような殿が、これほどお喜びになるとは。
「あとは任せる。わしは滝川儀太夫と会うてくる」
皆が呆気に取られたままだ。戦に強く、皆をまとめられるのは殿しかおらぬが、時折、よう分からぬことをお考えになるからな。
そのまま殿が席を立たれると、皆がポツリポツリと呟き出した。
「あの殿が戦場で笑みをお見せになるとはな……」
「もともと信心が強いお方だ。仏の弾正忠に対しても……ということであろう」
「弾正殿は人だぞ? 仏の弾正忠は異名だ」
「そんなことは分かっておる。要は戦をさせず敵を屈服させておるということだ。殿がお気に召すだけの男であることに変わりあるまい」
恐ろしきは仏の弾正忠か。公方様や武衛様を立てて争いばかりの世を落ち着かせつつある。畿内に先んじて争いを終わらせ、その慈悲の力は東国を覆い尽くそうとしておる。
我らのやり方では争いは終わらぬ。殿はそのことを人知れず苦悩されていたのかもしれぬ。
あとは、殿と滝川儀太夫次第か。
Side:滝川益氏
尾張からの書状に目を通す。守護様と大殿からは好きにせよというお言葉が、殿からは一切任せるというお言葉をいただいた。
甲賀の生まれのわしが、かような役目を賜るとはな。
大将殿にも驚かされた。まさか使者となるのを止められるとはな。とはいえ、落ち着いてみると分かることだ。我が殿やお方様がたが同じことを言えば、わしとて止める。
我が身はいつの間にか、己の勝手が許されぬほどになっておったらしい。立身出世とは難しきものだな。殿が昔、困っておられた心情が今になって分かる。
わしの一存で越中を中心に加賀、能登、越後、もしかすると、越前や若狭までも荒れることになるのやもしれぬ。
「儀太夫殿! 兵の支度が整いましてございます!」
「相分かった。行くか」
領境まではさほど遠くはない。とはいえ、尾張から連れてきた者らを中心に千の兵を連れていくことにした。斯波と織田と久遠の家紋と旗印を掲げた者らだ。
兵を率いるのは武官だ。鉄砲隊、弩隊、弓隊、焙烙玉隊と、越中に遣わされた者らの中でも選りすぐりの猛者を集めた。
無論、その兵はわしの守りであるが、越後守に見せるための兵でもある。奴が織田の兵を見ていかな顔をするのか。願わくは、それも確かめたい。
戦で世を見る武辺者か、それとも……。
震えがきそうだ。己の決断で世が動き、多くの命が失われることになるかもしれぬと思うとな。
越後守は、敵方の兵や民の命が失われようとも致し方ないと考えておるのであろう。それもまたその通りだが、愚か者どもの因縁と保身のために失われるのはもったいないわ。
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