第2433話・一度きりの……
Side:斎藤孫四郎
長尾からの使者は何度か来ている。ただ、此度は使者が家老だ。少しばかり格が違う。何用だ?
「増山城を落とすため、是非とも織田様のお力をお借りしたく、伏してお願い申し上げまする」
……聞き間違いか? 思わず同席する武官衆に視線を向けるも、驚きの顔をしておる。とすると事実か。
なにを考えておるのだ? 己の力で落とせばいいではないか。さもなくば退けばいい。もう十分神保を叩いたはずだ。その言葉、鵜呑みにするわけにいかぬ。
「力を貸すほどお困りとは思えぬが? 見事な戦ぶりだと評判ではないか」
神保方で乱取りしておるはずが、思うたより奪えなんだのか? 兵糧でもほしいというのならばあり得ることだが……。
「いえ、我らはもう打つ手がございませぬ。さりとて、我らが退けば、神保はまた東越中で勝手をしましょう。是非とも織田様で増山城を落としていただけたらと、恥を忍んでお願いに参上致しました」
おいおい、これはいかなるわけだ? 増山城は堅城なれど、長尾なら落とせる。武官衆も儀太夫殿もそれで一致しておる。あえて落とせる城をこちらに借りを作り落としてほしいというのか?
この場での返答は避けるべきか。
「相分かった。されど、戦するとなれば清洲に下命を仰がねばならぬ。しばし待ってくれ」
「何卒、良しなにお願い申し上げまする」
そのまま使者殿が下がると武官衆がざわついた。
「これはいかなるわけだ? ただ、愚かなだけではあるまい?」
愚か者ならば、後先考えず城を攻めるはず。昨日の物見の知らせでは長尾勢は城を囲んだまま神保領を荒らしておっただけとか。とするとその後に城攻めをして痛手を被ったのか?
「分かりませぬ。ひとまず今日の物見が戻るのを待ちましょう。すぐに清洲に知らせまする!」
武官衆が慌ただしく動くと、わしと近習のみとなり静かになった。
城を落としていかがする気だ? まさか、織田を巻き込み、そのまま越中一向衆を根切りにする気か?
しばし考え込んでおると儀太夫殿が姿を見せた。
「儀太夫殿、いかに見る? わしにはわけが分からぬわ」
「よく言えば引き際と見た。悪う言えば巻き込むつもりなのでございましょう。とはいえ、こちらを騙すことはあまり考えられませぬ。それをやると陸と海で荷留をして長尾は戦わずして敗れることになる故。上野での様子からそれはまずありえませぬ」
であるか。
「さらに、やり過ぎては能登畠山が出て来ましょう。清洲のほうで戦を広げぬようにと動いておりまするが、神保を潰してしまってはやり過ぎというもの。もしかすると畠山と対峙するためにこちらに功を譲るのやもしれませぬ」
「なるほど、意地を見せて椎名を守ったところで引き際か。確かに地図を見るといかに戦上手とはいえ、もう長尾が戦う場は残り少ないな」
もう戦をする場がなくなりつつあることを、越後守は分かっておるというのか? 会うたことのない者故、よう分からぬ。
「大将殿、長尾と話さねばなりませぬ。某が使者として参りとうございます。お許しいただけませぬか?」
なんだと。確かに越後守殿と話さねばならぬが……。相手は越後守護相当、わしや儀太夫殿ではいささか格が下がる。確かに会うならばこちらから出向くのが筋であろうが。
されど、儀太夫殿に左様な役目をさせてよいのか? 万が一ということもある。この男は、ここで失うてよい男ではない。父上がわしの立場ならばいかがする?
わしとて今まで新しき政と軍略を学んでおるのだ。儀太夫殿ばかりに背負わせるわけにはいかぬ。
……そうか!
「ならぬ。そなたひとりを敵地に送れぬ。越後守はともかく長尾方が此度の件に心底納得したとは思えぬ。帰りにでも狙われたらいかがする。短慮な者に道理は通じぬ」
「誰かが行かねばならぬのならば、某が参りまする!」
「まあまて、出向かずともよい。会うならば領境でよかろう。あちらにも出向いてもらう。そなたは、わしの名代として会えばよい」
父上ならばこうされるはずだ。相手は十年前、父上と兄上が争うておった頃と変わらぬ者ら。なればこそ、慎重に慎重を期しておかねばならぬ。
「大将殿……」
「忘れるな。相手は我らが忘れつつある古き戦をする者。越後守が出向くためには、こちらの格が足りぬと怒るならばそれまで。きっと大殿もご理解くださる」
斎藤家が内匠頭殿から受けた恩の数々を思うと、儀太夫殿だけは生かして返さねばならぬ。この者は織田が日ノ本を平らげるためにまだまだ働かねばならぬはず。
「畏まりましてございます」
わしは思い出したのだ。父上が愚痴っておった言葉をな。内匠頭殿は己がいかに大事な身であるか理解しておらぬところがあるとな。儀太夫殿もそうではあるまいか?
長尾越後守、己はこれを受けるか? この程度で異を唱えるならば、わしの一存でこの話断わってくれるわ。
生涯最後の大将としての務めかもしれぬのだ。大恥を晒しても結構。尾張のような太平の世がくるならば本望だ。
Side:久遠一馬
すずとチェリーが出産間近となっている。もっとも当人たちはそんな状態でも子供たちと遊んでいるが。
そんな折、越中から伝書鳩を使った緊急の知らせが届いた。
「ここで動いて来たか」
またかと苛立つ気持ちとホッとした気持ちが入り混じる。景虎さんは生き残る道を選んだ。彼にはなにもかも捨てて意地と面目だけで戦を続ける道もあったんだ。
正室も迎えず、家を捨てて出家しようとしたような人物だ。もっとギリギリまで戦の道を選ぶのかもと思ったんだけどね。
生き残るためにはどこかで方針転換をする必要がある。それがここなのだろう。後始末などの負担は増えるが、長尾勢が略奪しなければ越後が飢える。巡り巡ってその後始末はいずれ織田がしないといけないだろう。
長い目で見ると、越中の負担は仕方ない部分がある。
「もうすぐ十三年になりますね。私たちが日ノ本に来て。世が乱れてからと考えるともっと長いのですが……」
エルが微笑んだ。どういう意味だ?
「最後の鍵が揃いました。関東は遠からず変わることになるでしょう。私たちにとっても長かったですが、東国の者たちにとってはもっと長かったはず」
そうか。前古河公方である晴氏さんが動き、景虎さんが生きる道を選んだ以上、関東が最後まで新時代に抵抗する可能性が消えたか。
源頼朝公が鎌倉で政治を始めた時、どんな心境だったんだろうか? ふと、そんなことが気になった。
オレたちは頼朝公の思いもどこかで継いでいるのかもしれない。いや、継がないと駄目なんだと思う。
景虎さんは戦の天才だ。ただ、それ故に、史実では織田が台頭するなど世の中が変わっても争いは続き関東は出遅れた。
結果として豊臣秀吉の力によって押しつぶされる形で戦乱を終えたんだと思う。
畿内より先に平和になる。その成果で戦い続けた多くの魂が少しでも納得してくれるといいが。
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