第2432話・軍神の決断
Side:久遠一馬
足利晴氏さんが尾張に来ることになった。本人がいろいろと気にしていたようだけど、織田家としては入院するなら特に問題視はしていないんだよね。
むしろ医者を寄越せと言わなくてホッとしているくらいだ。
こちらとしては彼の入院より義輝さんが晴氏さんと一定の合意をしたことのほうが重要だ。そのことを話すために、義統さん、信秀さん、信長さん、義信君、北畠晴具さんとオレとエルが集まっている。
「上様は心底安堵しておろうな」
温かい煎茶を一口飲んだ晴具さんはそう言って笑みを見せた。一族や一門は面倒なことも多いが、同じ祖先を持つ者としてやはり見捨てられないんだよね。オレもこの時代に来て少しかもしれないが理解するようになった。
「疎むこともあり、滅んでもよいと思うこともある。されど、祖先を思うと見捨てられぬからの」
義統さんは特に斯波一族一門のことで悩むことが多いからなぁ。奥羽には特に多く配慮は無用と言うこともあるが、やはり完全に見捨てたいわけではないらしいね
ちなみに晴氏さんとの合意は、東西の足利家が新しい道に進むという意味では足利政権と一族としては大きな一歩だが、実は今の戦略を大きく変える影響はないんだよね。今後に関しては、関東に残る長子と現古河公方次第なところがある。
とはいえ、足利が東西で割れるという事態が避けられることは大きなメリットだと思う。他には平島公方もいるが、関東の地でトップにいる古河公方家の前当主が反三国同盟になるとそれなりに面倒なことになったはずだ。
有史以来続いていた朝廷による政治を変えた頼朝公と関東の地は、武士にとってもオレたちにとっても決して小さい存在じゃない。
「あとは越後の関東管領殿次第ですかね」
細かいことは今後、晴氏さんと話していけばいいのでそちらは問題ないが。古河公方家が動いた今、残る懸念は関東管領上杉憲政さんだ。
憲政さん本人はともかく、上杉家は今も北条を関東から追い出すことを諦めていない。まあ、スローガンみたいなものだしね。領国奪還と因縁の相手を潰すってのは。実現性の有無とか以前に、そういう思いでまとまっているというべきか。
「あの御仁か」
信秀さんが微妙な顔をしている。思ったより話が出来そうな人なんだが、困ったことに憲政さんが上杉を掌握しているとは言いがたい。家臣の総意に乗っかっているというべきか。
別に珍しいことじゃない。どこの家も寄り合い所帯だしね。多かれ少なかれ、一族、家臣、国人に配慮をしつつまとめている。
憲政さんだけなら脅威とは言えない。ただ、長尾景虎さんが今後も上杉の総意のままに動くと関東は大乱になるかもしれない。
怖いのは勝てないと覚悟を決めて動かれることだ。さすがに織田家が危機に陥ることはないだろうが、関東で徹底的に粘られると数年の時間と膨大な犠牲が出ることもあり得る。
局地戦のように大勢に影響がない戦から綻びが生じて戦略が破綻することだって、可能性はゼロじゃない。
畿内や西日本をどうこう言う前に、関東をなんとかしないとオレたちは前に進めない。
まあ、今のところそこまで悲観するほどでもないんだけど。
「越中次第かと。長尾越後守殿があの地でなにを見せるのか。関東をまとめて私たちと戦うのはあの御仁が本気になる必要があります」
エルの言葉にみんな口をつぐんだ。義統さんにとって信秀さんがそうであるように、景虎さんが憲政さんの代わりに動く武将となるのだろうか?
そろそろ動くころだと思うが……。
Side:直江実綱(景綱)
神保領で暴れておった味方だが、徐々に得られるものが減りつつある。乱取りし尽くしつつあるというべきか。
そろそろ神保との戦をいかにするか考えねばならぬ頃なのだが……。殿はひとり静かに碁盤と向き合い、時折、碁石を打つ音が聞こえるだけだ。
「そなた、意地と家、いずれかひとつしか残せぬとしたら、いずれを選ぶ」
殿がこちらを見て唐突に問われた。久方ぶりのお声がけに近習らが驚いたのが分かる。
「……家でございましょうか。滅んだ者の意地など忘れ去られてしまいまするが、家が残れば意地を張ろうとした心意気を語り継ぐ者は残せまする故に」
久遠内匠頭殿は、忠義は生きて尽くせと申したとか。初めて聞いた時には驚いたが、よくよく考えると理に適う。死を恐れるなどもっての外だが、武士ならば最後の最後まで生きる道を探すべきだ。
「ならば投了だな。軍議とする。諸将を集めよ」
「はっ!」
なんだ? なにが投了なのだ? もしや、わしの返答で殿はなにか重大な御決断をされたのか?
殿はいつも唐突だが、皆慣れておる故、すぐに諸将が集まった。すでに神保領で奪えるものはあまりなく諸将も揃っていたからな。一向衆の籠る寺はまだあるが、そこまで攻めれば厄介になる。
「ついに城攻めでございまするか!」
「あの程度の城、すぐに落としてやるわ!」
待ちにまって、少し焦れていた者も多いようだ。すぐにでも攻めてやると意気込んでおるが……。
「我らの戦は終いだ。織田に城攻めの助けを請う」
殿のお言葉に静まり返った。わしもなんと言うていいか分からぬ。殿でなくば気でも触れたのかと案じたくなるほどだ。
野戦ではこれ以上ないほど蹴散らし、領内も再起が難しいほど荒らした。あとは城を落とせばいいだけなのだ。何故……。
「武威を示し椎名の要請にこたえた。もう十分であろう。あの城を落としてしまえば、我らに先はなくなる。これ以上、上様の治世を乱すわけにいかぬ」
「殿……」
「皆が望まぬことは承知だ。故に考えに考え抜いた。だが……、わしではここが限界だ」
やはりここでも織田の顔色を伺わねばならぬか。口惜しい。されど、上様と三国同盟に逆らうわけにいかぬのも事実か。
殿は東越中の守護代とはいえ、我らは越後者。越中で古くから守護代だった神保を我らが潰してしもうては畠山も面白うないはずだ。名ばかりの守護家とはいえ、上様の権勢が高まっておる現状では軽んじるわけにもいかぬ。
まして相手は三管領家だ。外交として動くならば、我らは不利。とすると城攻めの功を織田に譲り、あとは斯波に仲介してもらうしかないか。
「異論あるならば、わしは隠居する。あとはそなたたちで決めて動けばよい。一晩、考えて返答をまとめよ」
そこまで告げて殿は軍議の席を立たれた。
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